満州について(ミュージカル李香蘭に関連して) [旗日には「日の丸」を掲げよう]
「ミュージカル李香蘭-名古屋公演」を観に行くのに、自分なりにもう少し歴史を整理しておきたいとの思いで、何冊か本を読みました。
いくつかわかったことがあり、思いを新たに出来た部分もありましたので、浅学な私にはとても重い内容だとは思いつつも、ここで書かせていただきます。
今回勉強するまでは満州は自分にとってよくわかっていなかった部分で、またいわゆる司馬史観の影響なのか日露戦争以後の日本(特に関東軍・大陸での日本人)は悪人の集まりと言う先入観で、当時の日本政府に対する関東軍の横暴に対し単純に許し難い思いを持っていました。
しかし今回、関東軍には日本軍の一支隊という要素だけではなく満州国のほとんど唯一の軍隊であるという側面がわかり、日本国としては納得いきがたい独自の行動も満州国という視点から見たときには理解できる部分がいくつかあることがわかりました。
(ちょうど明治維新の際の官軍のようなもので、各藩が出身母体であるけれどもあくまでも「官軍」であり、時としては出身藩の意向に逆らう事もある。それによって明治維新を成立させ廃藩置県まで実現した。時としては萩の乱や西南戦争など本来所属するはずの出身藩との戦争まであった)
少なくとも関東軍および満州国の指導者の一部には「五族協和」「王道楽土」を夢見て、大東亜共栄圏の成立を戦略的に本気で実現しようとしていた人たちが居たように思えました。
(だからこそ開拓団として大量の日本人が行ったわけだし、大量の中国からの移民もあった。:それ以外の、本当にどうしようもない人たちもたくさんいたようですが)
また戦後の史観(激しい戦闘の主体となった海軍およびアメリカ側からみた史観)で大東亜戦争は対米戦争だと私自身すり込まれていましたが、日清・日露戦争以来の日本にとって最大の仮想敵国はロシア(ソ連)であり、そのための日独伊三国同盟であり、満州国であり、日華事変だということがわかり、日本自身の長期的な国家戦略からは、むしろ海軍が主体となって行った太平洋上での戦闘は虎の尾を踏んだ結果であり、大きな歴史の流れや日本国本来の政略・戦略からすると枝葉のような気さえしてきました。
(現にアメリカは、戦後対ソ連の防波堤である日本が事実上消滅したことにより、これまで日本が関東軍により支えてきたソ連の圧力と直接対峙することになり、その後長く続く果てしない米ソ軍拡競争(冷戦時代)に巻き込まれたのは周知の事実で、欧州での世界大戦に裏口から参加しようとしたアメリカのやり口は大きなツケを支払うことになった様にも思います。かつての、満鉄のアメリカとの共同経営構想がアメリカ議会で通っていれば、全く別な歴史と東アジア地図があったのかもしれません....。)
日本は終始、自分自身の安全保障の観点で「第2日露戦争」の恐怖から政・戦略を発想し、本来の戦略正面ではない太平洋でのアメリカとの戦闘など誰も望んでいなかったということでしょうか?
いずれにしても、日華事変以降(日清戦争)の日本の歴史を考える場合、太平洋にウエイトを置くのではなく、あくまでも政戦略の中心は大陸にあった(ロシア以来のソ連の南下への対処)というのが重要な視点である様に思えます。
だからこそ、「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」だと言うことなのでしょう....。
ここ数ヶ月の勉強で、明治維新以来、日清戦争・日露戦争・満州国建国・日華事変・大東亜戦争・朝鮮戦争・米ソ冷戦・そして今につながる歴史が、一本につながってきました。
歴史は深く、知れば知るほど興味は尽きません!
PS.
「ミュージカル李香蘭」を観て、劇中の歴史評価や事実認識に自分としてはどうにも納得のいかない部分が幾つかあります。
(満州国は悲惨な強権国家だったのか?それとも希望にあふれた楽園だったのか?とか、中共と国民党との勢力争いの経緯と日本の関わりや、その後につながるはずの朝鮮戦争への経緯?などなど。)
それと芝居の中では、満州国内の出来事と中国本土の出来事とが余り整理されておらず、よくわかっていない人には混乱の元になってしまう様に感じました。(満州国の国内問題と国際問題である中国でのことでは、評価の仕方が天と地ほども違うはず!?:私もよくわかっていない人なので恐縮ですが....。)
また、新たしい本を何冊か仕入れ、現在も勉強の最中ですので、この点についてももう少し勉強して、自分の頭の中を整理しておきたいです。
また読み終わりましたら、書評等ででも触れさせていただきます。
山本様>突然の書き込みで失礼いたします。『戦前・戦後の~』をお読みいただき、ありがとうございました。亡くなられた兼松様からお話を聞いた時のことを、思い出します。私たちが伝え聞いている「歴史」が、兼松様が「体験」された当時の世相や空気と大きく違っていたことに、目を開かされました。
by 加賀谷貢樹 (2007-06-20 17:22)
加賀谷貢樹 様、まさか著者ご自身にコメントいただけるとは思わず望外の幸せです。
その後「戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか」を読み、いたく感銘を受け、戦前の事を書いた本を探して読むようになりました。
「戦時体制」と「戦前」の区別がつくようになり、ひょっとしたら「大正デモクラシー」の延長線上で、今以上に成熟した「民主主義」に到達できていたのではないか?、少なくとも戦後GHQの民主化政策が成功した基盤は「大正デモクラシー」によって日本自身が経験を積んでいたことに依るもののように思うようになりました。
貴重な著書。本当にありがとうございました!
PS.
不躾で申し訳ありませんが、戦後史でそれを経験していない私にはどうしても解らない謎があります。
私の戦後史についての最大の謎は、WGIP(War Guilt Information Program )に関することです。
戦後GHQの主導による情報操作(WGIP)により、戦略的に戦前の価値観の否定がされたところと、独立回復後4000万人もの署名を集めた戦犯の名誉回復が行われた事までは理解できるのですが、「その後、人口の約半数が署名したにも関わらず何故「その時点」で価値観の再構築が行われず、今に至っているのか?」今だに不思議でなりません。
マスコミを通して繰り返し刷りこまれた結果というのが様々な方達に話を伺った一応の回答ではあるのですが、そもそも国民の支持がなければ署名は集められず、国民の支持がこれだけあるのならばGHQという重しを失った後のマスコミの工作は、多くの国民の反発を招くだけで有ったはずだと思われてなりません。
前に講演を聴く機会があった東條由布子女史などに直接質問をぶつけたりもしていますが、いまだに納得のいく回答に出会ってはいません。
by たいせい (2007-06-21 10:21)
TB有り難うございます。
ここはお国をなん百里~
父親が良く歌っていました。
満州は支那から見て不毛の地でした。万里の長城を見れば分かると思います。
満州建国してから不毛の地が、治安が良くなり、経済も発展しました。
特に日本から見て一番大きいのは、共産主義の防波堤になっていることでしょう。
当時、世界中で一番共産主義の危険性を感じとっていたのは日本と独逸だけでしょう。
支那が共産主義にならない為にも満州は必要でした。
第二次世界大戦後の冷戦を見れば、当時の日本が警戒していたとおりになってしまいました。
満州は日本の傀儡政権と一言で片付けられないほど重要な国だったと思います。
傀儡政権が悪いと言ったら、今でも米国やロシアの傀儡政権は世界中にありますね。
李香蘭は当時ものすごく美人だったそうですね。
日本人と知って驚いた人が多かったようです。
by まさ (2007-08-20 23:23)
まささん、満州については私にとっていまだに謎が沢山あります。
民間人も含めて多くの日本人が、当事者として様々なことを見聞きしていたにもかかわらず、あまり語られてこなかったのは一体何故なのでしょうか?
戦勝国側の了解無しには出来なかった戦犯の赦免や、シベリアに送られていた多数の日本人が人質に取られ、語りにくい中で完成してしまった戦後の言論空間のせいなのか?、中共への気遣いなのか?、最近までほとんど書籍も出ていなかったように思います。
まささんのBLOGは、これらの事績が良く紹介されており、本当に勉強になります。
今後ともよろしくお願いいたします!
by たいせい (2007-08-21 11:14)