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我が青春の穂高岳 [我が青春の「山登り」]

 穂高という山に、特別な思い入れがあります。

 私が山登りを始めたのは、まだ十代の頃

書店でたまたま手にした写真集に雄大な山岳の姿を発見し、日本にこんなところがあるのなら、自分のこの目で見てみたいと思ったのがきっかけでした。

 まわりに山登りの経験のある人が一人もいなかったので、書店で技術書を買い、登山用品店に通い、ベテランの登山者に「シロートがこんなとこには来ちゃ行けないんだ」と言われるのが怖くて、恐る恐る一人でテントをかついで夏山-表銀座縦走コースの起点、燕岳に入ったのを今でも思い出します。
(周りの人たちが皆ベテランに見え、カッコ良かったなぁー)

 その頃の私

 その時からずっと穂高岳を意識していました。
 山岳ガイドの本を見ると、どの本を見ても穂高が絡む山旅はすべて上級者向けのコースだと書いてあり、写真で見る日本離れした景観とあいまって、いつか自分もこの山にはいることが出来るのだろうか?と憧憬の目で見ていました。

 サラリーマンでしたので、毎年1~2回の山旅をこなし、そろそろ行けるようになったのではないか?と思って上高地に入山したのは山を始めてから4年後のことでしたが、あいにく台風の発生と重なって果たせなかったりもあって、ますます穂高への思いは募ってゆきました。

 ジャンダルム

 梓川を遡上し、初めて穂高の内懐である涸沢に入った時、不覚にも涙かこぼれました。

 写真集などでいつも見慣れたはずの風景なのに、「日本にこんな風景が、本当にあったのか!」「やっと、穂高にはいることが出来た!」そんな思いが、胸をいっぱいにしたのだと思います。


 その後、毎年夏になると穂高に入るようになり、仲間も出来、いつしか積雪期にも登るようになり、私の20代は、仕事と穂高で暮れていきました。

 とは言っても、不真面目な登山者だったので、岸壁登攀など真剣な登山に情熱を燃やしたわけではなく、発泡スチロール容器で肉を持ち込み山頂で焼き肉をやったり、重い大根を担ぎ上げて一日中煮込んだ“おでん”に舌鼓を打ったり、天気がよいとご機嫌で昼間からビールを飲んだりにうつつを抜かしていました....。

(私としては、重い食材を苦にせず、稜線まで担ぎ上げたことに評価いただきたいものですが....。)
(ちょっと弁解ですが、槍穂主脈縦走6泊7日テントの旅なんかも真面目にやりましたので、誤解無きように....。)
 
 とにかく穂高にいるだけで「気分はサイコー!」でした。
 

 
 その頃出会った、達人老夫婦がいます。
 
 当時の私たちは、体力も技術もそれなりに自信があり、山岳ガイドなどに書いてあるコースタイムは概ね半分の時間で踏破することが出来、特に技術の必用な岩場と下りにおいては誰よりも速く歩く自信がありました。
 
 下山時のかけ声は「温泉でビール!、温泉でビール!」、
声で先行者にプレッシャーを与えつつ、ドカドカ歩くというのが得意技だったりしました。
(そうしないとなかなか道が開けないのでやっていたのですが、今考えればよい迷惑だったです)
 
 しかしある時、穂高から岳沢側の下りで我々のペースをものともせずに、かなり速いペースで下山する二人組がありました。
 
 振り返って顔を見ると、「な・な・なんと、二人とも、どう見ても60過ぎの老夫婦ではありませんか!」
 
 結局その時は、前穂から河童橋まで抜きつ抜かれつのデッドヒートを展開して、それまでで最短記録で下山してしまいました。
 
 坂巻温泉の露天風呂でビールを飲みながら3人で話していて「あの老夫婦は、天狗に違いない!」との結論に到達し、いつか自分も「あの天狗のような達人老夫婦になりたい!」との思いを強く持ちました。
 

 
 それから数年経ち、32の時に父が経営している今の会社に転職し、いつしか忙しさに紛れて山に行かなくなりました。
 

 
 女房と結婚する前に「あの憧れの達人老夫婦」のようになりたいとの思いを思い出し、「山登りに行ってみないか?」と誘ったところ快諾が得られ、前ほどのペースでは有りませんが数年に一度のペースで登るようになりました。
 
 やはり、一時自分が思いを傾けた「穂高」を見せたいとの思いを持って、最初は八ヶ岳、次は後立山連峰と三年かけて穂高に連れて行くことが出来ました。
 しかし残念ながらその年は天候不順、一度も青空を見ることもなく下山せざるを得ませんでした。
 
 リベンジしようと次の年にも穂高に登ろうと決めていたのですが、あいにくその年に女房は身ごもり、穂高への思いは果たせずにいます。
 
 ついでながら、その時身ごもった長女の名前は“青葉”。
自分としては上高地から2時間半ほど登った梓川沿いの“化粧柳の黄緑”のイメージ。
 長男は“立夏”。
二十四節気の“立夏”からなのですが頭の中のイメージは“夏山”です。
本当は“穂高”と付けるつもりだったのですが女房が大反対でした。
(天気が悪い穂高だったので、女房にとって濡れた険悪な岩場のイメージのようです)
 

 いつの日か、女房と子供を連れて、子供たちと名前の由来の話しをしながら「我が青春の穂高岳」に登れる日を夢見ています!
 
 
PS.
 最後に穂高に登るときに、自分を鼓舞すべく作った“檄文”&“報告文”です。
 今読んでも面白かったりするので、調子に乗ってここで紹介します。
(当時個人的なHPを開いていましたので、そこで公開したものです)
 
 
『我が青春の穂高岳 復活への挑戦なのだ~ぁ!』 檄 文
 
 筋肉はいつしか萎み、おなかの周りは贅肉にまみれ、少し動くと青息吐息。体重と体脂肪率を気にはするもそのくせ普段何もせず、肝臓は日ごろの不摂生にてフォアグラ状態(中性脂肪とγ-GTPはすでに修復不能か?)。青春の盛りは到に終わり、我々は既にルビコン川を渡ってしまったのであろうか....?
 
 昨年秋の上高地、梓街道を闊歩する山屋の群れ。河童橋の望遠鏡から吊尾根を遠謀すると、下界を睥睨する山屋の姿。手繰り寄せる若かりし日の記憶、研ぎ澄まされたバランス感覚と洗練された技術で槍穂の岩稜を縦横無尽に駆け抜けていった、あの日々の充実感はいったいどこに? 嗚呼、レイバック!、ジャミングにささくれた手足!、そして「ふぁいと~ぉ いっぱ~ぁつ!!」。我々の体が重力に逆らい垂直に移動する事は、もう二度とないのであろうか??? 我々はもう、川の向こうに立つことは出来ないのであろうか????
 
「ぐお~ぉぉぉぉぉぉっ、く~っ くやし~~ぃ! せつな~~ぃ! やるせないよ~~ぉ!!」
 
 ふともたげる、こんなにふくよかになってしまった「自分の体への怒り」、こんなはずではないという奇妙なる「反骨心」、今の体でも登れるのではないかという「甘い悪魔のささやき」。  青春とは、決して体力や健康ではなく「挑戦する心」であったはず。(病気の人や体の不自由な人にも、当然青春はあるのだ~ぁ!) 15年前、望めば空を飛ぶことすら可能だと言い放ったあの若さは、まだ我々の中に残っているのだ~ぁ!(残っているはず? いや、残っているといいなぁ???)
 
 そんな訳で、今回は「甘い悪魔の罠」に体を預けることに決めたのだ。罠にかかった我々子羊どもは、どれほどのしっぺ返しがあろうとも山登りはいったん出発してしまえば途中で引き返すことは不可能なのだ。つまりは「いくばっか」なのだ! そして青春を取り戻すのだ~ぁ! 我が青春の穂高岳なのだ~ぁ! 我々はまだ川を渡っていないことを証明するのだ~ぁ!! わ・わかいのだ~ぁ! まだ、おじさんじゃぁないのだ~ぁぁ! ぜ・ぜっ・絶叫なのだ~ぁぁぁぁぁ!!
 

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
夢にまで見た「青春の穂高岳」は雨だった!?(まだおじさんじゃなかった!) 
 
まだ「おじさん」じゃないのを証明する為
わが青春の穂高岳縦走計画を強行しました!
年を取ったのを無理やり忘れ、10数年前に歩いた槍穂の稜線の思い出
そんなものを取り戻しに行きました。
人数は3人、私と女房と山仲間のH氏
3泊(天幕)4日、穂高岳主稜線縦走と、なにやら大それた山旅でした。
 
 
むかし女子高生にザックに括りつけたネギとゴボウを指差され
「あのひとネギ背負ってる~ぅ!? カモがネギ背負ってる~ぅ!?」
といわれたのが心地よかった記憶にだまされ
食料は実に無謀にも体力をわきまえず生野菜を大量に持参。
当然のことながらテントを背負って、荷物は一人20数キロ
若かりし頃には無かった、お腹の周りの贅肉10キロ
足せばなんと30数キロの大荷物
持ち上がるかどうか不安でなりませんでした。
歩き出したら以外に快調、
上高地バスターミナルを基点に、当初の予定通り涸沢まで
歩行時間6時間強、高度差1000m
な・な・なんと、予定通りにスケジュールをこなせるではありませんか!
自分の体力に、少し自信が戻りました。

ただ今回の山行は、3人の内だれの「日頃の行い」が悪かったのか?
(勿論たいせいに決まってるって!?)
天気内はまったく恵まれず、太陽を目にしたのは数時間
後はガスのなかで、息も絶え絶え、のたうちまわった山旅でした。

槍の穂先や、ご来光、とうとう一度も目にすることなく終わってしまいました。

穂高岳山荘

上高地

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アキラ

私は登山はやりませんので、苦しい登山をする人の気持ちが解りません。
そこに山があるから・・・とは、よく聞きますが、そんなものでは無いのでしょう。
私が住んでいる、神奈川県逗子市の「前の市長」は山男だったようです。
一緒に酒を酌み交わしたり、食事をしたりと、懇意に付き合っています。
彼は何も言いませんが、聞くところによると『氷壁』のモデルなる人物とかで、毎年暮れから正月にかけては、密かに一人で「奥穂高」に追悼登山をしているようです。ザイルを切った?切れた?あの人物です。
奥様とお子さんと、青春の思いでの穂高・・・必ず実現してください。
by アキラ (2006-07-28 09:44) 

たいせい

 nice! ありがとうございました!

 「何故、山に登るんでしょうね?」
 昔、山に登り考えていたことがあります。

 確かに景色が良く、空気がきれいで、ビールはおいしいのですが、
しんどい思いをして登っているときだけでなく、下山時や、滞在中も、「こんな辛い事はもうやめよう」と、考えていたような気がします。
 でも、下界に降りて2~3日もすると「次はどの山に登ろうか?」と、考える自分が居たりしていました。

 「達成感」「非日常空間」
 私の場合は、この二つが理由を考えるキーワードだったような気がします。

 良いテーマをいただきましたので、いずれ考えをまとめ、BLOGに書いてみようと思います。

PS.
 アキラさんは神奈川県だったのですね。
 おとなりの静岡県と勘違いしていました....。
by たいせい (2006-07-29 13:47) 

しましま

しましまも山に登るのは大好きです。この10月から丹沢にちょくちょく行くようにしています。彼女にもよさを理解してもらいたくて、先日一緒に三ノ塔まで行ってきました。いずれは二人で穂高へ、と思っています。達人老夫婦には、僕も憧れちゃいます。
山についての記事は、この一編だけのようですが、他にも書いてみてくださいね。
by しましま (2006-10-29 00:02) 

たいせい

 しましまさん、nice!&コメントありがとうございました。
 BLOGも拝見させていただきました。

 長女が生まれてから5年ほど山から遠ざかっていますが、今でも私の趣味はと聞かれると躊躇無く「山登り!」と言ってしまう自分が居たりします。
 20代から30代前半の青春の思い出のほとんどは「山」にあり、挫折や達成感や友情をそこで学んだことは自分の「大切な宝物」です。
(女房にプロポーズしたのも、実は白馬岳頂上直下だったります....。)

 仕事が慌ただしく、このところ記事の書き込みが滞っていますが、山についても書きますので、今後ともよろしくお願いします!
by たいせい (2006-10-31 12:36) 

fukusuke

訪問&コメントありがとうございました!
山っていいですよね~♪
僕は最近登山を始めたんですが、山と呼ばれるような山には、
八方尾根、そして穂高(天気と残雪の状態で涸沢カールまででしたが…。)
ぐらいなんです…。
あとは筑波山や鋸山、車山レベルで…。
まだまだ初心者なんですけどね…。
今度の休みには谷川岳に行く予定です^^
夏の間には天狗岳にも行こうと思っておりますが、
比較的安全な山でオススメの山があったら教えてください。^^
by fukusuke (2007-07-09 23:21) 

たいせい

 fukusukeさん、カヌーやハンググライダーなどもやっていたことがありますが、私が最終的に行き着いたのは山でした。
 技術が未熟で高度400mの雪面を滑落したこともありますし、人の体ほどの岩塊に襲われそうになったこともありますが、それでも嫌にならずに登り続けていたたのは、うまく説明できませんが強い魅力を感じた為だと思います。

 オススメの山というと、山登りの志向にも依りますが私の場合は稜線で迎える朝と森林限界を超えるというのが基本で、たとえば次のようなパターンが思い浮かびます。

南八ヶ岳縦走(女房を始めて山に連れて行ったのはこのパターンです)
○美濃戸口から入って4時間で稜線に立て、頂上直下の山小屋に1泊で可能。(ガイドブックよりも歩行一時間分中まで車で入れます。:場合によっては赤岳往復だけでも価値があります)
○主要な岩場には、何と階段?がかけられていて唖然とします。(積雪期には嫌らしいです)
○小屋から5分で赤岳山頂に立て、何と言っても、朝焼けの中で見える富士の眺望は天下一品です。
○天幕の場合は、天幕場が行者か赤岳鉱泉に限られ、稜線で朝を迎えることが出ません。

白馬三山縦走(女房にプロポーズしたコースだったりします)
○これも一日で稜線に立てるコースですが、よく知られている大雪渓から登るのと、北側の小蓮華側から登るパターンがあります。日程的には少し余分に掛かりますが私は後者の方が好きです。
○唐松岳まで足を伸ばすと岩場がありますが、白馬三山を縦走して鑓温泉側に降りるのであれば、難しい著頃はほとんどありません。
○鑓温泉に入るのならば宿泊した方がよいです。(温泉でゆるんだ筋肉でそのまま下山するのは筋肉を痛めます。:苦い体験があります。)

 他にも幾つかパターンはありますが、5月の山だと雪洞堀りなんてのも技術がいらず楽しいです。
 私も初心者だった頃、本で掘り方を読んでスノーソー(雪のこぎり)と雪スコップとツエェルト(入り口用)見よう見まねで作ったのを思い出します。
 私の場合、白山、立山-室堂、穂高-岳沢でやりましたが、とても楽しい思い出になっています。

 
by たいせい (2007-07-10 10:38) 

fukusuke

オススメ情報ありがとうございます!
参考にさせていただいて、チャレンジできるレベルになったら
ぜひぜひ行ってみたいと思います。^^
それにしても、たいせいさんは熱いですね~♪
下山後の温泉はホント至福の一時です。
これからも登山の魅力、たくさん覚えていきたいと思います。
by fukusuke (2007-07-10 23:58) 

たいせい

 fukusukeさん、上で挙げた例は技術的なハードルは決して高くないので、気が向いたら是非チャレンジしてみてください。

 本文中にある三人組の温泉の写真は、コメントに書いた白馬鑓温泉です。
 登山道の真下に露天風呂があり、素晴らしく気持ちの良い温泉です。
(昔は、朽ちかかったコンクリートの露天風呂があるだけだったような記憶がありますが、女房と行ったときには、女性からの要望が高かったのか?ベニヤで囲われた浴槽がありました。:前は混浴だった記憶があったので残念!:スケベ心では無く風情が無くなるという意味で....。)
 始めていった時には、当初入る予定はなかったのですが、あまりの良い雰囲気とあと2ー3時間の歩行で下山だとの気安さも手伝って、立ち寄り入浴しましたが、
乳酸でいっぱいになった足の筋肉をお風呂で緩めて、再度過酷な運動をすることに無理があったのか?、下山途中から三人とも肉離れと見まがうような激しい筋肉痛に見まわれ、下山後も一週間以上まともに歩けない状態となってしまったことを報告しておきます。

 私の場合、上高地下山の場合の立ち寄り湯は坂巻温泉の露天風呂なのですが、どこか良いところがありましたらお聞かせ下さい。
(今はもう開通している安房トンネルの着工前は、中ノ湯温泉の露天風呂が上高地への分岐直ぐ下の国道の梓川対岸にあり、登山後に観光地の渋滞を眺めながらの風呂が何やら気持ちよく、すごく好きな温泉でした。:残念ながら移転し、風情も失われて今はもう行っていません。:浴槽の後は今でも残っているのでは?)

 山の話を書き出すと、止め処なく話が続いてしまいます。
 長文失礼いたしました!

PS.
 友人からは「熱い」ではなく、「暑い」とよく言われます!?
by たいせい (2007-07-12 18:11) 

robita

TBありがとうございました。青春の光があふれているような記事ですね。
山はいいですねえ・・・なんて、私は若い頃もっぱらスキーで訪れるだけでしたけれど。
山本さんの勧めに応じる奥様の姿勢が素晴らしいと思いました。
ご夫婦共に好奇心旺盛で、子育てを終えられてお二人の生活になっても人生楽しめそうですね!
檄文には笑わせていただきました。
by robita (2007-11-30 09:48) 

たいせい

 robitaさん、この記事には思い入れがあり調子に乗ってTBを送らさせていただき失礼いたしました。
 幸いな事に妻はこの手のことにも興味を持ってくれて、私の方の体力が持たないので「達人老夫婦」とまでは行きませんが、子供の手が離れた段階でまた山登りにいけるようになるのではないか?と、甘い期待を持っています。

 本来ならば下の子供もかなり歩けるようになったので、来年辺りに登山とまでは行きませんがキャンプに行こうと計画していたのですが、残念ながら(?)三人目の妊娠中で果たすことが出来ません。
(芝居見物の方はまだやっていますが、来年はそれも難しそう)
 数年後には、子供も連れて家族で山に入りたいと思っています。

 コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-11-30 10:48) 

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