少子化問題、間違った論点!(年金制度を守るために子を産むの?) [時の話題]
ここの所の少子化についての議論で忘れられているのが、「子を産み育てる世代の本音」だと思います。
別に「年金制度を守るため」に子を産むわけではないし、ましては「社会のため」にと言う高い「理念」で子を産み育てるわけではありません。
どれだけ国の保護を受けようとも、お金がかかるのが事実ですし、とてつもない時間を取られるのも防ぎようがありません。
(勿論、国や地方自治体の手厚い配慮で少しでも楽になればそれに越したことはありませんが)
本質的には、「子育ての楽しさ」、「命のつながってゆく喜び」を、若い世代に伝えることが、何よりも必要ではないのでしょうか?
私自身、3歳と1歳の二人の子供がいますが、どんなに疲れて帰ってきたときでも子供の顔を見、声を聞くことで癒される。(理屈抜きで、ただひたすら可愛いです。:勿論、責任の重さも感じますが....。)
一日一日確実に成長してゆく様が、自分自身の喜びとなり、子を育てることで自分自身の成長へもつながる。 「どれだけの犠牲を払ってでも後悔しないだけの喜びが、そこにはある!」子供を産み育てる理由はこの一言に尽き、これを若い世代に伝えることこそが、本質的な対策であろうと思います。
つまり、子供の沢山いる家でも、決して「社会のため」、「理念のため」に、生み育てているのではなく、「自分たちの喜び」として生み育てているわけですので、これをどう伝えるかという点が、最も大切な論点ではないでしょうか?
また、昔は今より貧しく、子育てに時間も掛けられなかったにもかかわらず、ほとんどの家庭では多産が普通でした。
(昔は、「家を守るという考えが強く、無理矢理にでも生ませた」と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、子育ての当事者である父母が「喜び」を感じられないのであれば、それとても長持ちしていたはずがありません。)
その点から考えても、制度を手厚くして、子育て世代の負担を軽くしてやれば少子化問題は解決するかのような議論は、崩壊していると思われて仕方ありません。
考えてみれば解ります。
「年金問題」や「子育て支援」などについて制度設計をしっかりすれば「少子化問題」が解決するか?と言うと決してそうではなく、若者世代に「モチベーション」の無いところでこれをやっても、出生率の微増程度の可能性はあっても大きな回復要因になるとは到底考えられません。
少子化問題への対策は個別の問題として議論しなければならない問題で、その結果としての「予測出生率」などを元にして、「年金問題」などの制度を「個別に考える」というのが本筋で、それを混同した議論では、問題の本質を見失ってしまいます。
(勿論、少子化問題が解決すれば様々な問題が解決に向かう事は自明の理なので、最初に議論するのは「少子化問題」だと言うことは、言うまでもありません。)
より負担を軽くする(どのみち負担はなくなりません)という意味合いで、確かに制度的や精神的な意味でバックアップする手法を検討することは必要なのですが(国会などはそれが仕事ですのでやむを得ません)、「社会のため」「理念のため」だけでは、若者のモチベーションは上がらず、先細りの道を歩んでいるように感じます。
(子供を産むと「利益が上がる」と言うところまで持ってゆくつもりならば、別ですが!?:もっとも「金のため」子供を産む親では、育児がとても心配です....。)
議論は入り口を間違えると、出口が変なことになってしまいます。 出来れば、このあたりの話を改めてしていただいて、スタート地点の確認をしてから具体的な施策の検討に入って欲しいと考えます!
あるBLOGへ書いた私のコメントを若干増補して書きました。 ご意見のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にコメントいただければと思います!
PS. とあるBLOGのコメントで見た意見ですが、
『多産家庭を見たことがない人は、「さらに産むとどうなるか」というイメージを持ち合わせていない気がします。地方などで近所親族みんな3-4人という状態であれば、「じゃぁ私もなんとかなるでしょ」と考える連鎖が大いにあります』 そんな要素も、確かにあると感じます。
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こんにちは、先輩!
私の友人は子供が5人もいます。
しかも、立て続けに頑張ったようで、遊びに行くと細かいのがいっぱいです。
とてもにぎやかで、楽しそうですよ。
ただ、お父さんは死に物狂いで働いている様子。
最近ではなかなか入会している某団体にも参加できないでいるそうです。
by やぶです。 (2007-02-17 17:25)
やぶさん、5人は素晴らしいですね!
我が家でも3人目の子供の仕込みに入ろうか?と、鬼嫁と話をしておりますが、何せこちらの40代という年齢がネック。
定年のあるサラリーマンではないだけ まだ気は楽ですが、仕込んだとしてその子が一人前になる頃には、私は何歳かと考えると気が重くなります。
子供に残してあげられるのは、財産でも事業でもなく兄弟だと考えていますので、とりあえず、欲望のおもむくまま「野獣」になろうと思っています!?
by たいせい (2007-02-17 17:47)
まーきんさん、nice!ありがとうございました。
また機会がありましたら、お気軽にコメントいただければと思います。(元気が出ますので)
今後ともよろしくお願いいたします!
by たいせい (2007-02-17 17:53)
こういう言い方をすると少し語弊があるかも知れませんが、おそらく、たいせいさんのおっしゃる「子育ての楽しさ」、「命のつながってゆく喜び」は、すごく自然で当たり前なことなんだと思います。昔の人はその当たり前のことを当たり前に知っていたのでしょう。
ただ、今の人達は、子育てだけでなく色々な当たり前のことが分からなくなっているのではないかと感じます。きっと、モノや情報が氾濫し過ぎていることもその原因の一つでしょう。
なんとかしていきたいものです。
by くらじ (2007-02-17 18:18)
キャプテンハーロックが言っていた、「永遠の命とは親から子へと受け継がれていく命の事だ」というのを思い出しました。
ところで「価値観の多様化・生まない自由」だのと言っていると、人類はどんどん個体数が減っていってそのうち滅びるのではないかと思うのですが・・・
先進国ってのは危ない領域に入っているのではないかと危惧します。
by nina (2007-02-17 18:59)
こんばんは。とても納得できるお話し、おおいに賛成です。子供を育てる親たちがその気にならなかったら少子化なんか解決するはずない。
どんなときにその気になるか?というのは難しい問題です。どんな子育てされたかにもよります。うちの場合、かみさんが3人きょうだい長女だったので、3人子供を持つのは当たり前、という感覚がありました。うちでは3人ちびがいてご機嫌です。ご機嫌ですが、もちろん子供のためには頑固オヤジとしてしょっちゅう怒ってますけど(苦笑)
一人っ子夫婦だと一人が当たり前かも知れない。親から見すてられたという感覚を持っていると、子供を持つ気にならないかも知れません。そういう面はどうしょうもありません。
どんなことがあればその気にならないか、というのは、ジェンダーフリー教育を受けてきたとか、子供の教育費がとても対処できないとか、いくらでもありそうです。うちでも、4人目はさすがに(43歳サラリーマン、定年を考えると…)無理かなと思っています。そう言う問題を潰していくのが政治の仕事かな?とも思います。
子供には幸せになってほしいですね。とにかく、それあるのみです。そのために、今できることがなにか。ブログで主張できることはなにか。
山本さんは貴重なお仲間だと勝手に思っています。弊ブログ「家族がいちばん」のおすすめブログに入れますのでご了承を。
by 練馬のんべ (2007-02-17 20:23)
PS.ちびちゃんかわいい。うちの一番下によく似ています、娘達が大騒ぎでした。
by 練馬のんべ (2007-02-17 20:25)
同感です。
人一倍遅かったので、「孫か?」とよくからかわれましたが、
大きくなる過程を眺めることは充実感がありましたね。
事情が許さないので、もう一人と言うわけには行きませんが、
可能であればまた育ててみたいです。・・・次は孫か?
by おばりん (2007-02-17 20:25)
こんばんは。
自分の子供が生まれた喜び・・・未だに息子が生まれた時の気持ちは忘れられません。立会いで19時間、食事する暇も無く付きっ切りで当時の妻の傍にいたので、体力的には限界に近かったですが、産声を聞いた瞬間に、全部が吹き飛びました。
少子化を経済問題で絡めても、たいせいさんのおっしゃるとおり説得力は無いですよね。私の両親の世代で考えても、私より経済力があったかというと、そんなことはなかったですし。
私の子供の頃なんて、私の家はかなりのレベルで貧乏でした。でも貧乏が当たり前の世の中だったから、あえて疑問も持たずに、結婚-出産-子育てへと、多くの夫婦が自然に向かったはずです。
むしろ、今のほうが子育てに都合が良い仕組みや道具がたくさんあり、便利な世の中になっていますから、昔よりは遥かに子育ての環境的には恵まれているのではないですか?まあ、東京などはターミナル駅の近くなどでは、保育所の定員が足らずに子育ての環境でもかなり劣悪にはなっていますが、そういう局所的なところを外して考えると、昔よりは良くなっていると思うのです。
今は子育てに便利で、所得も昔と比べればマシになっている。それでも子供を産み育てるべき世代の人間が、子供を産み育てようとしないのは、社会全体が子供を育てるほどの心の余裕を持っていないからだと、思うのです。そして、この余裕を失った方々に、無理して子供を産み育ててもらう必要は無いと、思うのです。
確かに、子育ては理屈抜きに喜びに繋がります。そういった子育ての喜びをもっと伝えることも必要ですが、それでも子育てに向かない人たちが増殖しているということも、併せて考えなければなりません。
日本でも、アメリカ型の行き過ぎた個人主義が蔓延し、「自分勝手」と「権利」を履き違えた人ばかり、多くなって来ています。むしろ私的にはそういった方々は無理して子孫を作らずに、ちゃんと子育てに喜びを感じることの出来る人たちが、しっかりと次世代へそれを繋ぐ事で、淘汰していくことも必要なのでは?と、過激なことを考えてしまっています。
文章がうまく書けず、niceと同時にコメントをお送り出来ませんでした。度々長文失礼しました。
by (2007-02-18 00:02)
はじめまして。練馬のんべさんのところから来ました。
私もたいせいさんのご意見に賛成です。子育ては楽しい、人生そのものという感じです。それを、まだ子供のいない世代に教えてあげたいけれど、公の場でそういうことを言ったり書いたりすると、「産みたくても産めない人を傷つける。」という人が出てくるので難しい。確かに、産みたくても産めない人は本当にお気の毒です。私の知り合いにもそれで苦しい思いをした人もいるし。だけど、そういう人がいるからといって子育ての良い点を言えなくなるというのは、困りものです。
あと、まーきんさんと同様、
>(子育てに向かない人を)淘汰していくことも必要なのでは?と、過激なことを考えてしまっています。
ということが、私にもありますが、一方で、無計画に出産し、放任したり虐待したりする親も増えているわけです。きちんと、子育てとは何か、家族とは何かということを若い人たちに啓蒙していくことも必要ではないかと思います。
関連記事をTBさせてくださいね。
by milesta (2007-02-19 08:17)
くらじ★さん、街に子供の姿を見なくなったのも一因かもしれません。
大人が子供と「どう接して」「どう育てたらよいか?」、日頃接する場が無くなり、想像が付かなくなっているのかもしれません?
私は、鬼嫁には内緒ですが、女房よりも子供の方が欲しかった時代が結構ありました。
犬やネコよりも、人間の子供の方が絶対面白そうじゃぁないですか?(無責任に育てるつもりで言っているのではありませんので、誤解無きようお願いします)
きっと昔は、周りに子供達が沢山遊んでいて、そんな感覚が普通だったように感じています。
うちの子供達のためにも、周りに遊び友達が多く組まれてくることを願ってやみません!
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 16:17)
ninaさん、我が家では三人目を目指そうと思っていますが、このまま行くと先進国よりも先に、我が家の家計が危険な領域に入ってしまいそうです。
多産を家訓とし、千年後には我が一族が多数派をしめることが可能になるかも?
(そうなったら危機的ですね....。)
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 16:30)
練馬のんべさん、BLOGのお気に入りにお加え下さり本当にありがとうございます。
コメントを読ませていただき気がつきましたが、どうやら私と同い年のようですね。(私は昭和39年3月です)
さて、結局 我が家でも子供が沢山欲しいと思う切っ掛けは、練馬のんべさんのところと同じように、私は3人兄弟の長男、女房も3人兄弟の長女で、「兄弟がいるのが当たり前」「一人っ子はかわいそうだ」と、思い続けて育ったことが作用して、「子供は沢山欲しいねー!」という暗黙の了解につながっているように思います。
本当ならばバスケットチームぐらい作りたいのですが、さすがにそこまでは行けそうにありませんが....。
(もう少し早く結婚していれば可能性はあったのかな?:そんな思いも、若い世代に伝えられれば「晩婚対策」に役立つかもしれないですね。)
PS.
練馬のんべさんのちびちゃんの、BLOGデビューを楽しみにしています。
親ばか大会なんかも、実は好きだったりしますので....。
by たいせい (2007-02-19 16:57)
おばりんさん、私も「子供と一緒にいる楽しさ」を出来るだけ多くの人に伝えたいと思っていますが(自分が楽しいだけの「親ばか」ぶりしか伝わらないかもしれませんが)、「子供が育っていく事の充実感(まだ私は充実感という意味では、入り口に立ったに過ぎませんが)」を、沢山の人(特に若い人たち)に伝えたいですね!
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 17:03)
まーきんさん、私の方こそ失礼いたしました。
この記事を書こうと思ったのは、昔は何故多産だったのか?という単純な疑問から、まーきんさんの仰るように「昔の方が貧乏」「昔の方が忙しかった」という部分で、いくら社会制度を整えても少子化問題には実はほとんど影響がないのではないのか?と考えたことに端を発します。
(「理念」や「理屈」で書くと、筆が上滑りするから避けようとの思いで、このBLOGでは等身大の自分が書くと言う部分に重きを置こうと考えていますので、ニュアンスが伝えられるかどうか?不安でしたが....。)
我が家でも、一人目の長女の出産は女房に陣痛が始まってから生み終えるまで50時間かかり、本当にしんどかったです。
そんな状況だったので、生まれた当時は子供のことよりも女房が無事ならそれだけで良いと思いましたが、実際に子供に接し、愛情が生まれ、本当に喜びの多い毎日を過ごさせていただいています。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 17:24)
milestaさん、子育てに向かない人の淘汰について、私はまだ考え方がまとまっていません。
と言うのは、昔もそんな人は沢山居たようにのではないでしょうか?
でもそれは、「地域社会」や「子供たちの社会を通して」未然に発見され、何らかの措置が執られていたように思います。
子供を通して問題が噴出しては居ますが、本質的には子供の問題と言うよりも、地域社会の問題のように感じています。
地域社会が壊れてしまっているために、学校や公共機関・NPOの問題であるかのように言われていますが、地域社会が本来持っている機能を発揮できれば、解決できる問題のような気もします。
だた、そうはいっていられないのも事実。
どう考えればよいのか?、本当に難しいですね。
子育ての楽しさを伝えると言うことに関しては、言葉で理屈をあれこれ言うよりも、楽しそうに子育てをしている場面を沢山の人たちに見せることに尽きる様に思います。
また、「子を持てぬ人を傷つける」と言う方がいらっしゃったら、「そういったお気の毒な人たちに言っているのではないことは、話を良く聞いていただければ解ると思います」との一言で住むのではないでしょうか?
(意図的な言葉狩りだと辛いですが....。)
コメント&TB、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 17:50)
jakkie-3さん、初めまして!
nice! ありがとうございました。
おかげさまで、記念すべき100nice!を無事迎えることが出来ました。
BLOGを続ける元気が出ますので、お気軽にコメント等も下さればと思います。
今後ともよろしくお願いいたします!
by たいせい (2007-02-19 17:53)
ご丁寧なコメントを頂きまして、有り難うございました。
貴方様のような立派な方がおられるなんて、日本もまだ捨てたものではないと思いました。
今後ともサポート、アドバイスをお願い致します。
by mutouha80s (2007-02-19 23:51)
mutouha80sさん、初のコメントありがとうございます!
いつも、BLOG「無党派日本人の本音」を楽しみに拝見させていただいています。
私は40代前半で、mutouha80sさんに比べ半分の人生経験しか持ち合わせておらず、時代の風雪を経て警鐘を鳴らし続けていらっしゃる中での様々なご意見、本当に参考になります。
今回の件につきましては、実際に現在進行形で子育てをしている自分に立ち返って思うことがあり、コメントをさせていただきましたが、失礼な物書きになっていたらこの場でお詫び申し上げます。
今後とも、気がついた点など有りましたら、いつでもご意見いただけますようお願いいたします。
by たいせい (2007-02-20 10:06)
子育てが楽しいと本当に思っている人は、少ないと思います。子供達と一緒にいて楽しくない訳ではありませんが、日々一人一人の子供にかかわる時間が取れない、仕事を持っている私は、今は楽しいと思うより、悩みのほうが大きいように思います。核家族が増え、お父さんは仕事、平日は母子だけで過ごす、家庭が増えています。我家もそうです、子供達が起きている時間に帰ってくることは、ほぼありません。お父さんが、子供と過ごすのは、平日30分位です。保育所で過ごす時間は一日10時間です。これでよいのでしょうか?「男の子は母親次第」という本もあります。結局、母親一人での子育てになっているという本です。
by 鬼嫁の妹 (2007-02-21 11:18)
子供の事を論じるときには、一つや二つだけのことを考えていたのでは駄目なような気がします。
日教組のあり方を初めとする教育問題、男女均等法、妻の労働問題その他戦後の日本の状況から全てを洗い直して考え直さない限り、うまく行かないと思います。
昔はこうだった、あのころはどうだったと言うことはたやすいですが、現実は昔やあのころとは大きくかけ離れてしまっているのですから。
by アキラ (2007-02-21 12:02)
鬼嫁の妹さん、私が育った頃の我が家でも恐らく状況はそんんな感じで、出張続きの父とは余り遊べず、仕事を持った母や祖母とも日中接してはいませんでした。
私が乳飲み子だったころも仕事に出ていて、日中ほとんど一人で家に置き去りにし、午前・午後の休憩時間に哺乳瓶を私の口にくわえさせて、そのまま仕事に出るという日常だったと聞いています。
おそらく母は、鬼嫁の妹さんと同様の思いを持ち、大変な思いをして私をはじめとする3人の兄弟を育てて来たのだと思います。
母と、そのことについて余り話したことはありませんが、それでも3人の子供を産み育てたのは、何らかの「喜び」なり「充実感」が子育てのエネルギーになっていたのではないのか?(時々しかないのかもしれませんが)と、考えています。
(仕事でも何でも、常日頃は辛いことが多いですが、年に一度ぐらいしか有りませんが「大きな喜び」が得られることもあり、それによって続けることが出来ているように思います。)
我が家もそうなのですが、鬼嫁の妹さんのところでも、「何か!」が有るから子供を沢山欲しいと思っていらっしゃるのではないでしょうか?
本題からは多少ずれてしまいましたが、この記事は「今言われている少子化対策は、何か大事な点を見落としていないのか?」と言う趣旨で、「年金問題の解決」や「社会制度を守るため」に、子を産み育てているのではない!というのが、一番に言いたかったことです。
当然、様々な子育て支援が必要なのは言うまでもありませんが、何かここの所ピントがずれた話が多いと感じています。
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-21 13:38)
アキラさん、まさかこれほど多くのコメントを様々な方から寄せていただけるとは思っておおらず、「子供の事」への関心の深さに今回驚かされました。
同時に、「年金制度」や「社会システム」を守るために子を産み育てているるのではない!との考え方に同意いただける方達の多さに、安心もいたしました。
我が家の子供は上が3歳ですから、これからアキラさんも上げられているような様々な問題にも直面し、多くの疑問や、きれい事では済まない抜き差しならぬ場面を、数限りなく迎える事になるのではないかと思います。
昔、自分の両親が出来た事なら自分にも出来るはずだと信じ、背伸びせずに、等身大の自分を認識してよく考え、自分に出来る事を一つづつやってゆくしかないですね。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-21 14:09)
たいせいさんにお願いがあります。「子供の事」に関心が深いみなさんに聞いてみたい事があります。「学級崩壊」、「LD」、「ADHD」について記事にしてもらえませんか?H君は「LD」、「ADHD」の疑いがあるそうで、今度5歳児検診がありますがどきどきです。
by 鬼嫁の妹 (2007-02-23 10:28)
鬼嫁の妹様、「LD」「ADHD」については、数回勉強会やセミナーで知識として聞いたことがありますが、私自身定見を持ち合わせておらず、申し訳ないのですが、記事にするのは大変難しいと思っています。
(個性として認識すべきで、押しつぶすのではなく褒めて伸ばすことによって、才能を開花させた人も何人かいるという程度の認識で、今の段階で、等身大の自分が書けると言うレベルには到底到達できていないです)
ただ、私の妹の子が心臓の「中隔欠損症」と生後一週間で診断され、数年間の間、時々私の住む(当然両親もです)実家まで泣きに来ていたことがあり、そのことについての記事が書き溜めている中にあり、近日中に記事としてアップしたいと思います。
妹の場合、数年後に「この子は私の子。たとえ可能であっても健康な子と取り替えるつもりはなく、この子の”個性”と思うしかない!」との言葉が聞かれるようになり、最終的には6~7歳の時に手術をして根治しました。
私にとっても、このとき目の当たりにした妹の親としての態度に感じる物があり、自分の子供達が人より劣るところがあっても、その子の「個性」だと考えようと思っています。
比較することは出来ないのですが、我が家は、もうすぐ2歳の立夏の歯の成長が遅く、まだ前歯しか生えていないことが半年ほど前から気にかかっています。
しかし、「我が子」は変えられる物でもないし、私たちが努力してどうなる物でもないので、これは「この子の個性」と考えて、一喜一憂しないでおこうと鬼嫁とは話し合っています。
来週後半は出張続きになるので、再来週になるかもしれませんが、上にのような記事を書いてみたいと思います。
回答になっていますかどうか....?
コメントありがとうございます!
by たいせい (2007-02-24 12:25)
はじめまして
コメントとTBありがとうございました。
私たちはまず、周囲の子供たち(兄姉や親戚や友人知人の子たち)に触れて、ああ自分も欲しい、と思うようになりますよね、でも、少子化の今、まわりに子供があまりいないのでそういうことがわからない人が増えているのでしょうかねえ。
「子育ての喜び」「子供の可愛さ」、持ってみればほとんどの人が実感することと思います。
うちにも3人いますが、喜びや可愛さもさることながら、「こちらもずいぶんと成長させてもらった」とつくづく思います。
仰るとおり、子育ての経済的支援は大事ではあるけれど、少子化問題の本質ではないでしょうねえ。
私の記事もTBさせていただきます。
by robita (2007-05-15 10:08)
robitaさん、日々の子供の成長を見るに付け、「子供を育てている」というよりも「子供を通して自分自身が育ててもらっている」という感じを強く持つようになりました。
何よりも、家に帰ると「とーちゃん♪、おかえりー♪」と体にまとわりつく子供達の笑顔が一日の疲れを癒し、明日への活力の源ともなっています。(女房も、辛いこともあるけれども同様な思いを持っているようです)
そんなよろこびを出来るだけ多くの人にも伝えたい者だと思います。
コメントありがとうございました!
by たいせい (2007-05-15 10:51)
TB有難うございます。
同感です。本当に仰る通りで、私も制度の維持の為とか、社会の為などと考えて、子どもが欲しいと思ったことはありません。今の少子化問題に対する認識がおかしな方向にいっていることが、そもそもの問題だと思います。
私の両親はどちらも兄弟が多く、私も4人兄弟です。できれば最低3人は欲しかったのですがタイムリミットです(一人目を授かるまでが長かったので…、なかなか思う通りにはいかないものです)。仕事をしている時には、「子どもをおんぶする姿が想像できない」とか「家庭に入るより仕事をするタイプだね」などと、勝ってなことを言われていた私ですが、もともと専業主婦として子育てに専念したいと思っていましたので、妊娠中からどっぷり母としての幸せに浸っていました。自分の子どもを持つ幸せは何ものにも替え難いものですよね。もちろん楽しいことばかりじゃありませんが、子どもに手のかかる今が一番幸せな時なのだと思います。今ではすっかりオバサン化しており、ヒールのついた靴など滅多に履かない私ですが、幸せを日々感じています。
マスコミや教育界は「ジェンダーフリー」などとヒステリックな主張を垂れ流す暇があったら、女性が本来持っていた母性の認識を啓蒙すべきではないでしょうか。
先進国になるほど少子化が進むのを避けられないという話を聞きますが、“種の保存”という生物の本能が弱まってくるからなのでしょうか…。
by ハハサウルス (2008-02-29 21:50)
ハハサウルスさん、私は配偶者である妻よりも先に子供の方がより欲しかった口なので、昨今の子供を持つと大変だという雰囲気にずっと違和感を持ち続けてきました。
結局、マスコミも国会も「子供を持つと大変だ」という情報のみをセンセーショナルにあげつらい、結果的に多くの人たちの不安意識のみを増幅させていると感じています。
確かに子育ては、金銭的にも時間的にも大変で親に多くの負担がのしかかるわけですが、「子供を多く持ちたい」との意識の醸成には「負担がどれほどかかろうがかけがいのない悦びがそこにある」と言うことを感じさせる以外に方法はないように思います。
今まで100あった負担が90になったとしても、それで沢山の子供を産み育てようなんて気になるわけがありません!
そもそも、私たちの親の世代に比べ、既に当時であれば夢のような制度が用意されてきているわけで、それでも少子化が進行するというのは、問題の捉え方と手法が間違っている以外の何者でもありません。
(自分の親に出来たことが、自分に出来ないわけがないと、開き直ればよいだけなのかも?)
今言われている社会制度は、少子化対策のための制度ではなくて、女性の社会進出のための施策が議論されているだけだと、思われて仕方ありません。
(勿論、様々な施策で子育てが容易になる方が嬉しいには決まっていますが...)
もっとまともな議論が、公的な場所やマスコミから聞かれるようになって欲しいものです。
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-03-01 16:04)
こんにちは,はじめまして.
robitaさんのところのTBからお邪魔しました.
ちょっと古い記事なのですが,古い記事でもコメントOKとのことですので,お言葉に甘えてコメントさせていただきます.
わたしは,たいせいさんとは逆に,産みたくなるような動機付けなど,相当難しいと思っています.育児の喜びや,生命のつながりなど,観念的で実感しにくいことは,独身者や子なし夫婦に伝えようがありません.これは,やってみて初めてわかることだと思います.
そうではなく,産みたくても産めないと感じている夫婦に産んでもらうために何ができるのか,産めないと感じる理由は何か,そういうことをひとつひとつつぶしていくしかないと思いますね.それがたとえ,女性の社会進出のための施策と思われようとも.
この記事を読んで,いろいろ思うことがあったので,自分もエントリー上げました.TBさせていただきました.
by とと (2009-02-22 22:55)
ととさん、妻には内緒ですが私の場合結果的に三十代半ばと晩婚になりましたが、二十代の頃「妻よりも子供が欲しい」と思っていたように思います。
そんなことから普通に子供を3人つくり現在子育ての真っ最中ですが、現在4人目をどうするのか?と思いあぐんでいるのが正直なところで、考えているのは私の今の年齢と経済問題です。
その点から考えると、子供を作る気のある夫婦にとっては、様々な施策が有効性を持ち経済的な支援が重要だという点については全く異論はありません。
ただしそれで全て解決する問題ではなく、「子供が欲しい」というモチベーションのないところに施策を打ったところで幾らかの効果があるにしても抜本的な効果砥は成らないはずで、その意味で様々なところで言われている少子化対策は議論の入り口が間違っていると考えて書いたのがこの記事です。
私は現在の子育て環境自体が一昔前に比べて夢のように整備が進んでいる状況だと思っています。
子供の医療費はかかからなく成っているし一時保育や学童保育などの支援システムも出来、収入水準も私が楚だれられた頃に比べて明らかに上がってもいます。(収入の多かったバブル期にも少子化は進行しています)
それでも少子化に歯止めが掛からないのは、やはり晩婚化と子育てに関するモチベーションの問題なのではないでしょうか?
ととさんのBLOGにもあった、「普通」に結婚して「普通」に子供を産み育てるという「普通」が昔とは大きく変わってしまったとのご指摘、まさにその通りだと感じています。
若い人たちが幅広い年齢層を持った地域社会と交わらなくなり、「子供の可愛さ」を感じる場面が減り、「この人達でも3人子供を育てているのだから私でも何とかなるだろう!?」と実感できる様な人間関係が極めて薄くなっています。
またマスコミなどが必要以上に子育ての大変さを煽り立てすぎているようにも感じており、きっとこの辺りも「少子化問題」を考える一つのポイントなのでしょうね。
ただ、子育て支援の名の下に様々な施策が採られたとしても(現状既にかなりの)、元々大変な子育ての大変さがが幾らか軽減させる程度というのが正直なところで、とてもではありませんが子育てが夢のように楽しいことだけになると言うのは考えられず、この程度のことではたいした対策になるとは思えません。
(子供を沢山産んで育てると利益が上がると言うところまでするのならば別ですが、そんな親に育てられる子供は可愛そうです。)
現実に家族の一員としてペットを飼うことの楽しさ可愛さが知られ、ペットの今風な飼い方が広まると同時に、お金を掛けてでもペットを飼おうという人が増えています。(昔よりも今の方がパートナー的な飼い方に変わっています)
問題は若い人たちの子育てに関する実感を伴った体験の欠如であり、今のペットブームのようなことは子育てでも起こりうるように思います。
少なくとも個々の細分化した対策を持って少子化対策と言われており、もっとも大きな影響を与えているはずのモチベーションについて仁尾議論が全くないことに違和感を感じています。
コメント &TB、ありがとうございました!
by たいせい (2009-02-24 14:24)
お返事ありがとうございます。
もう少しよろしいですか?
たいせいさんは、なぜ20代の頃子どもが欲しいと思われたのでしょう?
愛する人がいたからですか?
それとも、単純に子ども好きだったからですか?
その理由がわかれば、たいせいさんの言われる<産む気のない人が産みたくなる>モチベーションアップは、図れるかもしれません。
わたしは、産む気のない人を産みたくさせるより、産みたいけど産めないと考えている夫婦に、まずは産んで欲しいと思います。
そのことが結果として、<普通に2~3人の子どもがいる社会>につながれば、産むことへの躊躇は減ると思っています。
>子育てが夢のように楽しいことだけになると言うのは考えられず、<
↑その通りです。
でも、この記事では『子育ての楽しさ』を伝えることで、産むことへのモチベーションがアップすると書かれていますよね。
わたしは、二人の娘を悪戦苦闘しながら育てていますので、若い子に『子どもっていいよ~』とは言えないですね。『いいこともあるし、とても可愛い。しかし、同じくらい苦しいこともある』とは言えますが。
>またマスコミなどが必要以上に子育ての大変さを煽り立てすぎているようにも感じており、きっとこの辺りも「少子化問題」を考える一つのポイントなのでしょうね。<
これはあると思います。
いじめやひきこもり、ニートの問題など、子どもを一人前にする難しさを宣伝する情報は溢れかえっています。
そして、これがペットとの違いです。
ペットは、自立させる必要はありません。ただ可愛がってやればいいのです。
子育ては、自分の手元にいる20年足らずの間に、自立できる人間に育て上げなければなりません。
可愛がるだけでいいのなら、ペットブーム的に出産ブームは起きるのかも知れませんが、ペットと育児では根本が違うのですから、同じようにはいきません。
>少なくとも個々の細分化した対策を持って少子化対策と言われており<
全く同感です。
産む性としての女性を社会にどう位置づけるのか、この部分があいまいだと感じています。
女性を働き手(納税者)と位置づけるのか、もしくは家庭を守り、働き手としての夫をサポートし、次世代を担う働き手を育てることで社会貢献を求めるのか、もっと明確にしておいた方が、ぶれずに対策も取れると思うのですがね。
by とと (2009-02-24 21:12)
ととさん、上手く伝えられないかもしれませんが、私が子供が欲しいと思っていたのは「自分と同じ部品で出来た『自分の分身』」が欲しかったということのような気がします。
またその時期に妹の長男が生まれ、「甥っ子がこれほど可愛いのだから自分の子供だとどれほど可愛いのだろう?」「甥っ子は妹夫婦のもの、自分もこれが欲しい」と感じたことが大きかったのだとも思います。
(ちなみにそれまでは必ずしも子供好きではなく、むしろ煩わしいものだと思っていました。)
子育ての楽しさについては、上に書いたような経緯もあり子供が欲しいと思っていたのですが、正直なところ今のところ私は「子育ての苦しさ」と言うこと以上に楽しいと言う印象をいまだ強く持っており、3人の子供を育てている今もまだ「子育ては楽しいものだ!」と思っています。
勿論悪戦苦闘の毎日ですし、今週などは真ん中の3歳の長男が入院してしまい大変な状況にはなっていますが、それでもこの考えに変わりはありません。
ふと思うのですがこの辺りの意識の持ち方には、「父性」と「母性」では役割と受け取り方が違うという事が係わっており、男性である私はととさんと多少子育てについての考え方が違っているやもしれません。
またうちが3人の子供を設けるに当たって考えたことは、オア屋が子供に残してあげられるものは財産や事業などではなく、「名前」と「兄弟」の二つしか存在していないと言うことと、一人の子供が健全に成長するためには同世代の子供同士の絶食経験の絶対量が必要で、最良なのは兄弟だと言うことでした。
財産については経験上親が多額のお金を残しても子供はそれに見合った使い方を覚えるだけだし、事業は20年でビジネスモデルが成り立たなくなり次代に残せるようなものを作り維持していくことの自信がありません。
子供同士の接触経験については、昨今の子供がらみの問題の大半は同世代間のせめぎ合いを経験せずに学校という大集団に突然放り込まれることによって興るというのが真の原因で、喧嘩が起こっても親が係わらずに済む3人というのが我が家においての最低数だと考えてきました。(二人だと親が仲裁に入らざるを得ないが、3人なら多数決で自己解決できる。)
我が家についてはこんな経緯で3人の子供と相成りましたが(4人目の可能性もまだ捨てては居ません)、概ね妻も同じような考えを持っていてくれていると感じています。
子供の同年代での接触経験の絶対的な不足がいじめをもたらすのではないかと考えて書いた記事が、以下にあります。宜しかったらご覧下さい。
いじめは必要悪?
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2006-11-01
子供のことは、子供達の社会にまかせましょう!(いじめ 昔の家族はこうだった?)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-01-08
いずれにしても少子化問題について抜本的な居状況を変え得る可能性があるとすると、個々の対処療法的な施策ではなく心理的な問題の方が遙かに大きいと今でも考えています。
PS.
ペットについても単純に可愛がればよいとの意識で無責任に育てている人は、そんなに多くないと思います。
by たいせい (2009-02-27 14:32)
お子さんのことでご心配なのに,お返事ありがとうございます.
>個々の対処療法的な施策ではなく心理的な問題の方が遙かに大きいと今でも考えています。
わたしは,問題を解決するためには,まず心や気持ちの持ち方だ・・・とは思わないです.
もちろん,それで解決できる人もいるでしょう.ストイックに生きられる強い人なら,自分の心に決めたことをやり遂げることができるでしょう.
けれど,多くの人はそうではなく,誘惑にも弱いし,楽もしたいものです.
たとえばここに,毎日早起きをする人がいます.早起きをすると,毎日を有効に過ごすことができ,とても気持ちがいいものです.だからなんとしても,早起き人口を増やしたいと考えたとします.
周囲に,早起きしたい人と,早起きなど全然興味のない人がいたとき,わたしなら早起きしたいけど,どうしても起きられないという人の方から,早起きに導こうとしますね.それは,道具を使って解決できることだから.また道具でなくても,手段を一緒に考えることができるから.
けれど,早起きに興味のない人に,いくらその素晴らしさを伝えても,実際に早起きさせることにはなかなか結びつかないと思います.「あ~そうね,そうかもね」で終わることでしょう.
つまりそういうことです.
きっとたいせいさんとわたしでは,問題解決の道順が違うのでしょうね.
わたしは,気持ちの問題や心のあり方は,行動で変わると思っているのです.
>ペットについても単純に可愛がればよいとの意識で無責任に育てている人は、そんなに多くないと思います。
これはしつけのことを言われていますか?
そのしつけは,ペットの自立のためですか?違いますね.人とうまく生活するためのしつけですね.
これは,子育てとは根本的に違います.ペットにするようなしつけをしてもらったら困ります.
ペットにしつけもせずに単純に可愛がる人はもちろんいないでしょう.それは当然のことです.そうではなく,親は子を一人前に育て,自立し,社会に還元する責任があります.この点が違うと言っています.
ペットブームのような子育てブームは,起きて欲しくないのがわたしの気持ちです.
>ふと思うのですがこの辺りの意識の持ち方には、「父性」と「母性」では役割と受け取り方が違うという事が係わっており、男性である私はととさんと多少子育てについての考え方が違っているやもしれません。
そうかもしれませんね.
でも,わたしも子供達が学齢前のころは,楽しいことの方が圧倒的に多かったですよ.しんどいのは,これからです.俗にいう,思春期からです.
ただ,この時期は,子供が父親を疎んじる頃でもありますから,子育ての苦しさは,主として母親に降りかかります.そのとき,父親には,母親を理解し支える一番の支援者でいて欲しいと思っています.
いじめについての記事,少し読ませていただきました.
わたしとは違う感じ方だと思いました.正直,当事者になっていない評論家的な考え方のように思えます.
実は,わたしも実際に子供がいじめの被害にあうまでは,たいせいさんのような感じ方をしていましたのでね.
一般的は,たいせいさんのような考え方のほうが多いでしょう.まぁ,それはそれでしょうがないことです.いじめは,実際にその渦中にいる当事者が,自分の知恵を絞ってその渦から逃れるしかないのだろうと思いますね.
せめて周囲の人間が「いじめられる側にも理由がある」などと言わないでいて欲しいと願っていますが.(そう言う人,未だにいるんですよ)
by とと (2009-03-04 23:26)
ととさん、問題が散らかりつつありますので多少整理して考え他方がよいのでは二かと思います。
まずペットのも話はほとんど本質とは係わりのない余談ですので、今後これには触れません。(子供の出来ない家庭でペットを家族同様に扱う例も見聞きしていますので、最初の「ペットのように」との言葉に違和感を感じました。)
いじめの件についても、子供時代の同世代の接触経験の大切さという分に自分としては重きを置き、実際に3人の子供は最低設けたいとのモチベーションの元だという意味で引用したものですのでその点ご理解下さい。
(多少毒のある記事名なのですが、それに気づいたときには既に幾つもコメントが付いており直すタイミングを失いました。いじめが今のように社会問題化した源泉を自分なりに考えた末の記事で、いじめを推奨しているわけでも、実際に発生しているいじめについて突き放しているわけでもないつもりです。:マクロの話と現場での対処の話は違います。)
私が何故子供が欲しいと考えたか?との問いかけでしたので、それに答えさせていただき、さらには三人以上は欲しいと思った理由を書かせていただいたつもりだったのですが、そう言う受け取り方をしていただけなかったようで残念です。
学齢前とそれ以後では子育ての大変さが違うとの指摘についてなのですが、或いはそうかもしれないしそうであろうとも思いますが、基本的に子育ては初めて経験することばかりであり一年置きの3人の子供というのもなかなか大変で今回のような病気騒ぎなどがあるとてんてこ舞いになるのも事実ですが、私も妻も「楽しさ」と「余力」を失わずに今まで来ていましたし、今後もそうありたいと思っています。
ただ今回の少子化問題という点に関して言えば、対象はむしろ学齢期以上の子供を抱えていらっしゃるととさんよりも、現在まだ四人目を捨てていない私の方が立場的にむしろ近く、当然それを経験していらっしゃらない多くの夫婦にとっては、あまり問題となら内部部分ではないかと考えています。
基本的に先のコメントにも書いたように、現状既に私の生まれ育った頃に比べて考えられなかったほどの子育て支援策が執られており、それが多少拡充されたところが少子化問題に対して抜本的な問題解決とは成らないのではないか?というのが本質的な私の疑問です。
モチベーションのないところに対処療法が講じられたとしても、該当者がラッキーだと思うだけで、その施策によって子供を産もうと考えるところまでは到底行きません。
(北欧並みに社会が子供を育てると言うところまで合意が取れ、大幅な増税を含め実施できるのならばその限りではありません。それを目指すと言うことであれば勿論応援しますが、この種の議論も本質的に国民的な合意を得る方向では進んでいません。)
遠回りと言われようがモチベーションの向上以外に方法はないとの考えでこのBLOGでも意図して子育ての楽しさ、実際の子育ての様子がうかがえるような記事を意図して書いていますが、うちの子育てを見て「子供が複数欲しくなった」「やっと仲間になることが出来た」などの声も複数から耳にしており、方法としての有効性も感じています。
再度のコメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-07 14:51)
散らかってきましたかね?
>まずペットのも話はほとんど本質とは係わりのない余談ですので、今後これには触れません。
了解です.
>最初の「ペットのように」との言葉に違和感を感じました。
ん?
はじめにペットの話を出されたのは,たいせいさんですよね?
わたしは,子育てとペット育ては,自立という面においてまったく否なるものだと思いますので,同じようなブームは起きようがないし,起きては困るというスタンスです.
いじめについては,これは当事者とそうでない場合では,どうしても見える風景が違いますので,わたしはたいせいさんのようなお考えを否定しないし,それもありだと思っています.
>私が何故子供が欲しいと考えたか?との問いかけでしたので、それに答えさせていただき、さらには三人以上は欲しいと思った理由を書かせていただいたつもりだったのですが、そう言う受け取り方をしていただけなかったようで残念です。
あ~,そうでしたか.
いじめの話は,そういうことで出てきたというわけですね.
たいせいさんが,お子さんをたくさん欲しいと思われる理由は,よくわかりますよ.そして,4人目を考えつつも,まだ決めかねていらっしゃるお気持ちもわかります.
それが他の夫婦では,2人目や3人目で起きているとは思われませんか?
たいせいさんは確か,年齢的なことをその理由に挙げておられたと思うけど,2人目に踏み切れない人も,年齢的なことや収入の面で踏み切れないのかもしれません.
わたしは,産む気のない人に一人目を産むよう働きかけるより,二人目が欲しいけど踏み切れないと思う人に,まずは産んで欲しいと思うんですよね.
そうやって,2~3人産むのが当たり前になってきたら,たいせいさんのように,独身時代に赤ちゃんのかわいらしさに触れるチャンスも生まれてきます.それが,若い人の子供が欲しいと思うモチベーションにつながっていけばいいなぁと思っているんですよ.
わたしがたいせいさんのお考えと決定的に違うと思うのは,
>現状既に私の生まれ育った頃に比べて考えられなかったほどの子育て支援策が執られており、それが多少拡充されたところが少子化問題に対して抜本的な問題解決とは成らないのではないか?というのが本質的な私の疑問です。
↑ここでしょうね.
子育て支援策が増えたのは,子供を産まなくなったからなんです.
過去にそれがなかったのは,なくても産んでいたからなんです.
今と昔は全然違います.それは女だけではなく,男も違うし,世の中も違うし,親も違う.だから,「昔は~」といってもしょうがないと思うんですよね.
>モチベーションのないところに対処療法が講じられたとしても、該当者がラッキーだと思うだけで、その施策によって子供を産もうと考えるところまでは到底行きません。
そうですかね?
たとえば,保育園の待機児童の問題などが解決されれば,子供を産める人もいるのではないですか?
また,公立学校の教育がしっかりしたものになり,高額な教育費がなくても充分な教育を与えられるようになれば,2人目を産む気になる人もいるのではないですか?
そもそも,多くの施策は,該当者のみがラッキーと思うもんなんじゃないかしら?あちらをたてればこちらが立たず的な施策ってたくさんあると思いますけど.
あ~でも,出産一時金を3万円増やすとかいうのは,どうでもいいですね.そんな風にちょっとだけばらまくのでは,感激も感謝もないし,2人目を産もうというモチベーションアップにもつながりません.
ほんとに何回もコメントしちゃってごめんなさいね.
ただ,
>今言われている社会制度は、少子化対策のための制度ではなくて、女性の社会進出のための施策が議論されているだけだと、思われて仕方ありません。
↑たいせいさんのこのコメントにちょっと引っかかりを感じてしまいましたのでね.
by とと (2009-03-07 21:49)
ととさん、恐らく論点は出尽くしていると思いますので(考え方の違いも含めて)、これ以上続けても平行線かと思いますがいかがでしょうか?
この記事の趣旨自体、昨今の少子化論議を聞き限りに於いてはミクロの対処療法的な議論のみが言われて、抜本的な議論があまり出てきていないことに違和感を感じて書いた記事で個々の対策自体は当然無いよりもあった方が良いに決まっており、否定しているわけではありません。
「子育ての楽しさ」や「意義」を広めモチベーションを上げると言った議論や、抜本的な支援のあり方を考え直し「社会が子供を育てる」という国民的な雰囲気を作り出す為にはどうすればよいか?などの議論をもっと本格的にして方向性をきちんと作り出すべきだとは思っています。
(手厚い子育て環境の整備のためには増税も伴い、国民的な意識の向上がまずスタート地点となります。もっとも私はどちらかというと小さな政府を信奉していますが、外交・防衛や教育・福祉は国の政策としてやらねばならないことだとの意見について異議はありません。)
なお私自身について言えば、子供は5人でも10人でも多い方が良いと思っています。
そうした考え方がベースになっていますから様々な支援を大変ありがたいものだと思い享受もしているわけですが、仮に今ほどの支援が無くとも子供を作っていたと思いますし、結婚年齢がもう少し若ければ何の躊躇もなくもっと沢山の子供を設けていたでしょうけれど、子供が沢山欲しいという意識のないところに支援を手厚くしようとも、効果は限られていると思っています。(今月で45歳ですので、仮に昔であってもそろそろ打ち止めの年齢では?:なお我が家の収入レベルは、平均的なサラリーマン世帯を大きく下回ります。)
なお私なりに国会での議事や様々な答申を読む限り、少なくとも当初の主題としては少子化問題対策の切り口ではなく女性の社会進出にウエイトが置かれた形で様々な施策は議論されているように思います。(穿った見方かもしれませんが見方によっては、時間の経過と共に大きな議論もなく目的がすり替えられているようにすら見える場合があります。)
今よりも昔の方が生活も苦しく、支援策も全くなかった。
豊かになったはずの昨今の方が少子化に向かっているのは「人の心の問題」が第一で、少なくとも様々な支援策もさほど実効性をあげられなかった結果だという現状認識を私は持っており、このあたりがととさんと私の考え方の違いなのでしょうね。
いずれにしても主要な論点は出そろいこれ以上は平行線だと思いますが、いかがでしょうか?
by たいせい (2009-03-10 08:51)
そうですね.
平行線という印象は,ぬぐえませんね.
この噛み合わなさは,論点が出揃ったのではなく,逆に論点が見つけられなかったからだと思います.こういうときは,もっと具体的な何かについて話すと良いのですが,それが見つからなかったのでしょうがありません.
たいせいさんの言われる「人の心の問題」を,もっと具体的にお聞きしたかったですね.
長々とお付き合いいただき,ありがとうございました.
m(_ _"m)ペコリ
by とと (2009-03-13 23:02)
ととさん、どんなことでも対策をするには原因の究明とそれを如何にして取り除くか?と言うことが基本な訳ですが、私の場合はライフスタイルや人々の意識の問題が根底にあるモチベーションの問題と捉え、そこに手を打つことがもっとも本質的な問題だとの認識で、少なくともこの点について議論すら行われていないのがおかしいという考え方でいます。
ととさんの場合は、意識の問題が根底にあるにせよライフスタイルや意識の問題は手をつけようが無く、一つ一つの生涯要因を取り除く以外に対策がないという考えであろうと認識いたしました。
議論が噛み合わないという風に感じた要素の一つとしては、私自身は今盛んに議論されているところの子育て支援を中心にした少子化対策を否定しているわけではありませんので、個々の施策について言われると「そうですね!」としか答えようがありません。
また実感として、私の常々考えているところの「子育ての楽しさ」「素晴らしさ」という部分に於いてはこのBLOGでも意識してそれが伝わるような記事を書いてきているわけですが、それについて賛同いただけ実際に三人以上の子供を設けようとの意識に変わったという話も幾つか耳にしており、それなりに効果もあり意義深いものだと感じてもいます。
TBいただいたととさんの記事でも、確か当初はモチベーションの部分で何かできないかを考えたという種の記述もあったと思いますが(だたその方法は難しいと認識していらっしゃるようですね)、それぞれのやり方・方法論があって然るべきものだとも思っていますし阻害要因を如何に少なくするかという議論も必要だと思っています。
ただ個々の方法論の有効性を吟味しようと思って書いた記事ではなく、モチベーションを如何に引き上げるかという議論や、増税を含む大規模な子育て支援を抜本的に考えるなどの国民的議論などの本質的な議論が行われるようになって欲しいと思っています。
私見ですが、それほど大きな考え方の違いはないと感じました。
幾度ものコメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-14 11:28)