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江戸の大火と「三州瓦」 [屋根には「瓦」]

 最近趣が変わりつつはありますが、日本の代表的な街の佇(たたず)まいということになると、多くの方が瓦屋根のある風景を上げられることだと思います。

  旧中山道 馬篭宿
妻籠宿保存地区HPより
http://www.mizumidori.jp/minka/045.htm

 

 安土桃山から江戸時代にかけての瓦は、社寺仏閣や城でこそ使われていたものの、一般の町屋はこけら葺き(板葺き)や茅葺き・檜皮葺き(ひえだ葺き:檜の樹皮)が主流でほとんど使われることの無かった屋根材だったようです。

 また、生産においてもそれぞれの有力な社寺が、それぞれ宮大工を抱えていたように瓦大工を抱えていて、一般に出回るための生産者もいなかったと聞いています。

 

 流れが大きく変わった、歴史的なエポックメーキングが二点あります。

 一つは、「桟瓦」の発明です。

 それまでの瓦は「本瓦葺き」と言って、「平瓦(ひらがわら)」と「丸瓦(まるがわら)」と呼ばれる大小2種類の円筒状になった瓦を上下に組み合わせて葺いたもので、重量がかさみ建物本体の構造がよほどしっかりしていなければ採用しづらかった事と、施工に手間もかかり使いづらい瓦でした。(現在でも社寺仏閣で使われています)

  本瓦葺き(写真:道上正製瓦所HPより)

 1674年(延宝2年)、近江三井寺の用を努めていた西村半兵衛が「平瓦」と「丸瓦」を合わせて一枚とした「桟瓦」を発明しました。

 「桟瓦」は、軽いだけでなく、製造や施工のコストも抑えることができ一般家屋への瓦屋根の普及に大きな力となり現在の和瓦の原型ともなっています。(当時の現物が今に伝わっていないのが本当に残念です)

  桟瓦葺き (写真:道上正製瓦所HPより)

 

 そしてもう一つは、度重なる「江戸の大火」

 1657年(明暦3年)江戸に、いわゆる「振り袖火事」と呼ばれる大火が起こります。

 この火事は死傷者10万人を超え江戸城も一部を除いて焼失、江戸の街の過半を焼き尽くしました。

 しかし幕府はこの大火の教訓として、「消火の際に瓦が落ちて危険」だとの理由で家屋敷には既に瓦屋根が普及していたのにも係わらず、大名に対しても「土蔵以外の建物の瓦葺き禁止令」を打ち出します。
(耐火建材である「瓦」を禁止するなんて、私はおかしな禁止令だと思いますが、皆さんはどう思われますか?)

 

 やはりおかしな政令だと気がついたようで、60年後の8代将軍吉宗のときに「火災防止のために瓦葺きを許可して欲しい」という目安箱の投書を切っ掛けに禁令が解かれ、そればかりかこれを機に防火対策のために江戸の町屋での瓦屋根を奨励するようになったそうです。(1720年:享保5年。建物を防火構造として、土蔵造り・塗屋・瓦屋根の普及などの政令が出ました。)

 この政策の実施にあたったのは、江戸南町奉行の大岡越前守忠相で、他にも江戸町火消しいろは45組の設置とか、耐火対策に様々な施策が採用されています。

 また、1792年(寛政4年)には、「焼け跡に建てる建物は瓦屋根以外を禁じる」などの政令も出て、以後瓦屋根しか認めなくなりました。

  他の城下町での経緯はよく解りませんが、これとよく似た経緯を経て、今に残る瓦屋根の街並みが全国の津々浦々で作られていったものだと思われます。


 

 

  瓦の生産に関しては、元々瓦は重量物で運搬に適していないことから、その土地に産出する粘土を使い、全国各地で瓦は焼かれてきました。

 たとえば、鬼嫁の元の実家(今は米子市ですが、元々は島根県安来市)でも100年ほどさかのぼると瓦を焼いていたと顔合わせの際に話していただきました。

 また、今も営業していらっしゃる屋根工事店の中には、昔瓦を製造していらっしゃった方達も結構多く、北は酒田や気仙沼から南は沖縄まで、弊社の客先にもそんな方が何人かいらっしゃいます。

 

 歴史小説にも時々 瓦が登場し、司馬遼太郎の「菜の花の沖」によると、かの高田屋嘉兵衛が最初に船に乗ったのは淡路で焼いた瓦を京阪神に送る「瓦船」だったり、全国各地の城下町に「瓦町」という地名があるのは耐火建築を増やそうと瓦職人を城下に集めた領主の意図が、今も地名という形で痕跡を残していたりします。

 

 江戸にも、昔は柳島二丁目と浅草二丁目あたりに瓦町があったそうで、池波正太郎氏の小説「剣客商売」の「辻斬り」の編に「中ノ郷・横川町は法恩寺の対岸の、横川の流れに沿った西河岸になっている。 このあたり、古くは武州・葛飾郡・中ノ郷村とよばれていたが、貞享年間に幕府が江戸市中の内として、代地をあたえたものである。 むかしはいちめんの田地だったそうであるが、地所が低いため出水が多く、このため横川べりに土手を築き、瓦焼きの職人たちの家や瓦置き場が密集していた。」との記述もあるようです。

 「昔の江戸切り絵図」・「江戸砂子」(菊岡沾涼)・「江戸名所図会(天保五~七)」の巻の六の「長昌寺」・「文政町方書上」などに、痕跡が残っています。(詳しくは下記のHPを参照下さい)

瓦の歴史-加藤瓦店HPより
http://homepage3.nifty.com/Kato/Hi/Histry.html


 ただし、当時の大都市であった江戸の瓦をこれだけでまかなうことが出来ず、深谷や藤岡・児玉から陸便、私の住む三州-高浜から船便で送られて需要に応えていたようです。

 

 当時海運が盛んだった様子が、私の地元高浜ー春日神社の絵馬に残されています。

春日神社の船絵馬-鬼みちものがたり(鬼道案内人の会HPより)
http://onimichi.fc2web.com/oyama/6ema.html

鬼みちものがたり
http://onimichi.fc2web.com/michi/top.html

 

 現在は瓦製造業の業態が変わり、有利な条件を持った産地への集約化の結果「三州瓦」の全国シェアが60%を超えるまでになりましたが、その源泉は大消費地である江戸(その後の東京)の需要に応えるための工業化への取り組みと、船による大量輸送が可能な良港に恵まれたこと、そして良質な粘土が比較的浅い地層で大量に産出したことであったような気がします。

 

横浜-みなとみらい地区「赤レンガ倉庫」:実は「和瓦」です。

 


 瓦伝来以来、千数百年にわたる先人の努力と、粘土・良港に恵まれた地の利に、三州瓦に連なる者の一人として「感謝」

 


 

 (本文にURLを引用した以外に参考にしたHP)
瓦の歴史(三州瓦)/瓦(三州瓦)の基礎知識/瓦Web・愛知県陶器瓦工業組合
http://www.kawara.gr.jp/01_rekishi/rekishi.shtml

瓦 マル浅 80枚判瓦 道上正製瓦所
http://www.moon.sannet.ne.jp/maruasa/


 

(親ばか写真集)

 いちご狩りでの長男立夏

 

  動物園


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plusgate

瓦を禁じていた時代があったなんて驚きです。
わけのわからない法律っていうのはいつの時代にも
あるんですね~。
by plusgate (2007-05-24 17:25) 

凄いすね!さすが、ブログの瓦博物館じゃないですか。しかし知らないことばかり。
めちゃくちゃ興味もって読ませて頂いています。
by (2007-05-24 21:05) 

たいせい

 plusgateさん、千数百年の瓦の歴史の中では本当に様々なことがあったようです。
 生類憐れみの令なども出ていた時代ですので、為政者の思いつきやちょっとした思いつきで、いろいろなことが出来たのでしょうね。(最近もあまり変わっていなかったりして....。)

 今の和瓦の衰退も、後世から見ると訳のわからない流行で変な屋根材が流行った事があると言えるようになるとよいのになぁーなど思っています。

 nice! &コメント、ありがとうございました。
by たいせい (2007-05-25 09:03) 

たいせい

 STEALTHさん、良くお邪魔させていただくBLOGで最近江戸時代の様々な風俗や地誌を紹介されていたのに刺激されて、思わず私も書いてしまいました。
 百済からの瓦博士の渡航から瓦が作られるまでとか、明治維新以降の技術革新と瓦製造の進歩など、まだまだネタは尽きません。

 浅い知識の中でやっていますので、間違いもあろうかと思いますが、その節には遠慮無くご指摘下さい。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-05-25 09:08) 

kassy3

たいせいさん楽しく読ませてもらいました。いい勉強になりましたよ!
by kassy3 (2007-05-25 10:25) 

hoihoihoi

瓦屋さん様
 楽しい記事ができましたね。私の推理では、江戸の消防法は「破壊消防法」で、簡単に言うと燃えている周囲の家屋を壊し、火事になった家が燃え尽きるのを待ちます。火事の現場は騒然としますから、瓦で怪我をした者が多かったのではないでしょうか。江戸時代は庶民の怪我などをじゅうようにかんがえていますから、其の辺りがヒントになるかも。消防庁の歴史関係にも尋ねてみると正確な情報が入手できるかもしれませんね。最後はスペインなどの瓦まで手を伸ばしていただくと。いずれにしても楽しみです。
by hoihoihoi (2007-05-25 12:48) 

アキラ

何事もそうですが、ものには歴史があります。
新しい物だけが重宝される時代にあって、瓦屋さんは頑張っている方だと思います。
毎回こんな記事をUPして、色々教えて下さると嬉しいのですが・・・
by アキラ (2007-05-25 17:52) 

nina

瓦の種類は全く知らないので興味深く読ませていただきました。
いろんなのがあるんですね〜。
by nina (2007-05-26 00:13) 

たいせい

 kassy3さん、ご無沙汰しています。
 そして初のコメント、本当にありがとうございます!
 今後ともよろしくお願いいたします。

PS.
 今年は同窓会、有りそうでしょうか?
by たいせい (2007-05-26 09:25) 

たいせい

 hoihoihoiさん、要塞である城等には瓦が使われていたわけで、耐火建材としての瓦の価値ついては知られていたはずですので、破壊消防の際のけが人の多さに対して取られた措置のような気がします。
 それとも江戸時代に頻繁にあった「贅沢禁止令」も絡んでいるのかもしれません。

 瓦についてのネタは尽きないのですが、なにせこの更新頻度ですので、ボツボツと書いてゆければと思います。

 コメントとありがとうございました!
by たいせい (2007-05-26 09:35) 

たいせい

 アキラさん、瓦の歴史を調べてゆくと瓦は、それぞれの時代において技術革新に常に取り組んだ「ハイテク素材」だったことがわかります。
 単に伝統云々と言うのではなく、千数百年の歴史の中で日本の気候・風土に最適化される方向で進歩が続きましたので、性能的にも歴史の浅い他の屋根材に劣るものではないと自信を持っていますが、昨今の需要減にはへこたれてしまいます。

 今回調べた中で、私も知らなかった事実がいくつかあり、順次記事を書いてみようと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-05-26 09:43) 

たいせい

 ninaさん、全国の津々浦々でそれぞれ独立して瓦を作り始めていますので、古い建物なんかを見ると私の知らない瓦なんかもまだまだ沢山あります。

 製造に関しても、一般に使われている工場で大量生産されたものだけでなく、「鬼師」と呼ばれる鬼瓦職人や、少量生産に対応した「単窯」(トンネル窯による連続小生ではないという意味)の世界などもまだ健全に機能しており(青息吐息ながら)、その世界の話なんかも結構面白いかもしれません。

 瓦の世界の内輪ネタで恐縮なのですが、時間を見つけて記事にしていきたいと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-05-26 09:55) 

日野原信生

コメント&TB、ありがとうございました。
今では珍しくも無い屋根瓦に意外な“迫害時代”があったんですね。
マイ故郷・山梨でも以前、瓦を作っていた所があったんですが、そちらを取材した際、「ここの瓦は三州瓦を元にしている」と聞きました。

先日、ぶら~っと歩いた浅草の今戸神社辺りでも「今戸焼き」と呼ばれるかwらを作っていたとか。
by 日野原信生 (2007-05-28 12:06) 

たいせい

 日野原信生さん、瓦は本文でも書いたように日本全国至るところで作られていたようです。
 城下町以外では、農作物やその加工以外に仕事がなかった頃、多数の人を集め窯などを作れるだけの資力を持った名主や名家などが、第2次産業を興そうと瓦製造業を始められる例なども、農村地帯ではかなりあったそうです。
 また、私の父などは瓦を作り始めた若い頃、「瓦は日本中どこでも作っているので、技能さえ身につければ食いっぱぐれがない。良い職業を選んだ」と周りの方から聞かされたという話をよく話しています。

 そんな各地の瓦を駆逐してしまったのが「三州瓦」なのですが、和瓦離れでなかなか苦しい今日この頃です。(平板瓦はなかなか賑わっているようですが?)

 コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-05-28 13:42) 

瓦良いですよね。その頑丈さが変らぬ町並みを残していますよね。地元は積雪地で瓦を載せている屋根が無く寂しい限りです。長野県内でも小布施や長野市の善光寺界隈はとても良い町並みが残って(復活して)います。うらやましいです。うちの辺りは積雪といっても2mぐらいを想定しなければなりませんから瓦は夢のまた夢かもしれません。
by (2007-05-28 19:03) 

たいせい

 ヒゲボーズ さん、積雪2mは冬の間とても大変ですね。
 この場を借りて質問なのですが、ヒゲボーズさんのあたりでは瓦を使えないのは、どんな理由なのでしょうか?
 私自身各地を出張していて、長野県から盛岡県に至るまでの山間部や海から離れた盆地には、城を除いて瓦があまり使っていないことに気がついていました。
 業界の先輩によると、昔の瓦は今よりも焼成温度が低く凍害が起こりやすかったために温度差の激しい山間部では使えなくて、ほとんどが鈑金屋根になっていると聞いていました。(一日の温度差が大きく瓦が吸水する水分が凍結溶解を繰り返す日数の追い地域では凍害が起こりやすかった)
 反面、雪の多い地域では雪が一緒の保温材となっって、屋根面の温度差が比較的小さくなるために凍害が起こりにくく、瓦が使われているとのことでした。

 積雪2mを想定するとすれば、小屋上の重量的には雪が最大の重量物でありそれを想定した設計ならば瓦の重さが問題になることは少なく、むしろ頻繁に起こるであろう雷雨や雹への音対策という意味では瓦が有利になるように思います。
 また、低温時瓦裏まで入り込む雪や”すが漏れ”を心配するのであれば、瓦であれ他の屋根材であれどのみちルーフィングで持たせるしか無く、瓦を使えない理由でhないと思います。

 いずれにしても、冬場には屋根の上に常時0℃の定温源が居ることになり、野地板の結露を防ぐための断熱も結構大変なのではないでしょうか?

 お時間のあるときで結構ですので、このコメントを読んでいただけましたらお教えいただけると嬉しいのですが....。

 nice! &コメント、ありがとうございます!
by たいせい (2007-05-29 09:07) 

たいせい様
瓦がうちの周辺で使用されていない理由について私の判っている範囲で書かせていただきます。

・瓦屋さんが無い。といっても20キロも南への隣の市は職人さんをたくさん抱える瓦屋さんがあります。工事実施のために今は何も問題無い距離だと思います。

・瓦の重量の問題も構造設計的な観点からはNGになりません。

・問題は雪です。積雪が2mあるまま建物が3ヶ月間も耐えることはできません。よって、建物に負荷がかからないように雪を下ろす習慣があります。しかし、冬季の間ほとんどの時間を屋根に雪が載っています。これが氷の塊となって屋根にとどまっていますので凍害を起こして瓦を割ることもありますし、瓦同士の重なり部分で大きくなり瓦を屋根から落としてしまうこともあります。
うちの近所で瓦葺きの住宅がありますが、屋根面に雪を溶かす熱パネルを仕込んでいます。熱パネルはスタイロフォームなどの板材で温水が循環するパイプを這わせているので断熱効果もあります。昨年は記録的な大雪で瓦葺き屋根が多いところでも雪が解けてすべり落ちる時に瓦を屋根から引きずり下ろしてしまう被害が多数ありました。
最近は屋根野地板面の結露を逃がすことも雪国の屋根の課題とされてきていますので水と屋根の戦いは続いています。
内からも外からも水から守るのが大切ということで。
散文でした。
by (2007-05-30 23:25) 

たいせい

 ヒゲボーズさんさん、丁寧にお答えいただきましてありがとうございました。
 全国各地で気候風土に合わせ、多様な建材を使った様々な工法があるのを承知しつつ無礼な質問をしてしまい失礼いたしました。
 弊社の顧客の話を伺っていると、山形県の日本海側で瓦が使われているのですが山沿いの地域などで積雪量が2m近くになるところもあり、そんな地域でも瓦が普通に使われていたりしますので、ふと疑問に思い書かせていただいたしだいです。

 昨年の大雪では、ヒゲボーズさんの仰っているような、雪の落下の際の衝撃での破損の事例など特に二階の屋根から氷塊状になった雪が下野の屋根に落下することによる瓦の破損なども報告が上がっていました。
 また、例年にない過大な重量が屋根面にかかることにもなり、出屋の破損や雨樋の破損などの報告もありました。

 ただ基本的には、出屋の破損は構造上の問題で瓦だからと言う種類の話ではなく、雪の落下に関しては雪止め瓦の使用数量を増やすことによってある程度の対応は可能ですし(日本海岸最北の瓦消費地である山形県ではおそらく長野県の3倍くらいの数量の雪止瓦を使用しています)、瓦の脱落に関しては防災瓦の使用や瓦の堅結方法を見直すことによって、現在ではほぼ対処が可能になってきています。
(なお一般的に瓦の凍害は、瓦の水分が凍結誘拐を繰り返すことで起こり、素地がフレーク状になり層状に脆くなってゆくもので、割れるという形にはならないので、割れるというのは別の発生要因によるものと思います)
 融雪瓦については、瓦裏に発熱体を貼り付けたものを一時組合の場で開発して当社でもPRしていたことがありましたが、実はあまり出なくて受注生産での対応になってしまっています。

 いずれにしても住宅は寿命の長いものであり、試験施工が済んでから十年二十年単位で経過を見てみないと予期しなかった問題が出ることもあり、地域に根付いた工法や建材をを安易に変えることのリスクが高く(ハウスメーカーなどは単年度の利益優先で簡単にやりますけど、個人的にはとても心配です)、長い目で見て安心して瓦を使っていただけるように、技術開発に努めなければならないと思いました。

 ご回答下さり、本当にありがとうございました!

PS.
 私個人でも気密住宅が一般化した現在、結露による住宅の腐朽対策が一番の課題で今後瓦の復興をはかる最大のキーワードだと思っています。
 瓦の場合は他の屋根材に比べて有利だと考えていますが、それでも瓦裏まで雪が入り込んだり「すが漏れ」により入り込む瓦裏の水分対策、堅結用の釘やビスが熱の架橋となる野地板の結露対策などを考えてみたいです。
(和瓦の場合は、瓦の間の隙間が水蒸気の逃げ場になりますが、鈑金や新生屋根材、平板瓦の場合は隙間が小さく一旦瓦下に入った水分の逃げ場が無く、雪が消えてからの「ルーフィング上-瓦裏」の湿潤環境をどう解消するかも今後課題になる可能性があるように思いますが、いかがでしょうか?)
 
 
by たいせい (2007-05-31 09:30) 

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