SSブログ

経営戦略のはやり・すたり(景気の悪いときにこそ信長型経営では?) [マーケティング・営業戦略]

 かねてから雑誌などの記事を追っている限り、経営戦略にも流行(はやり)・廃り(すたり)があると感じていました。

 それも本質を外した流行で、その手の記事を発見すると少し歴史を知っているだけの私ですらそのおかしさに気付くもので、雑誌を売って売上に結びつける仕事は大変だと思っていました。

 

nobunaga.jpg 信長型経営とは、超リアリストによる堅実経営では? 

 わかりやすい例を上げると織田信長や徳川家康などで、織田信長というと積極経営の代名詞。 徳川家康というと守りの経営の代名詞のように使われています。

 一見これ自体はおかしくないような雰囲気をですが、私が変だと感じるのは景気の良いときに織田信長景気の悪いときには徳川家康に注目が集まりビジネス係の雑誌などによく取りあげられる現象で、なんだか違和感を覚えます。

 織田信長は、周囲の状況が非常に悪いときに経営資産の一点集中を行って突破したことに真骨頂があり(桶狭間の戦い・長篠の戦いなど)、一旦成長期にはいると驚くべき堅実な領国経営によって着実に勢力を伸ばした武将で、負けそうな戦いはどんな手を使っても極力回避してきた超リアリストだったと認識しています。

(安定勢力になってからは常に戦場には相手の倍以上の兵力の集中を行いましたし、リスクの高い武田信玄や上杉謙信との戦いを時には屈辱に喘ぎながらも回避し続けてきました。)

 

 つまりは織田信長に学ぶべき時は景気の悪いときであり、景気の良いときに積極経営などと言うのはその時の雰囲気に乗るだけで誰にでも出来ることでしかなく、景気の悪いときにこそ「我慢」「経営資産の一点集中による突破」という、織田信長の本質が生かされるべき時節であるはずです。

 

ieyasu.jpg 家康は結構勝負師!? 

 また徳川家康は守りの経営と思われがちですが、状況の良いときにも調子に乗らず守りの経営を続けたことに真骨頂があり、いざという時には乾坤一擲の大勝負(小牧長久手の戦い・関ヶ原の戦いなど)を仕掛けた武将との印象があります。

(若い頃には、武田信玄に立ち向かった三方原の戦いなどの無茶もやっています。そもそも織田信長と結びついて織徳同盟などに乗り出すところなど、どう考えても先物買いで、リアリストという面では織田信長に遙かに劣ります。)

 何よりも思うのは「景気が良くても悪くとも信長は信長」「家康は家康」であり、むしろ景気が悪いときにこそ信長の真骨頂が発揮され、景気の良いときにこそ家康形堅実経営が生きてくるように思います。

 

 一時欧米型の経営がブームで、会社全体を数字で見られる経営者がもてはやされてきましたが、それが結果として現場力の低下(ここで言う現場力は製造・開発・営業・サービスなどあらゆる現場の力です)という現象を巻き起こし、現在では再び日本型の経営が注目を集めるようになってきました。

 その時点で自らの付加価値の源泉を今一度単純化して考え直し、自らの特徴を更に磨くことで対応すべきだったにも係わらず、あえてそこから目を反らし目先の収益(単年度決算)を追うことで捨て去ってしまったものを再び獲得するというのは、並大抵のことではありません。

(当然競争相手の中には、頑なに従来の経営手法を続けて生き残ってきた会社もあり、そのレベルに5年や10年掛けても追いつけないかもしれません。)

 これというのも、その時々のブームに乗ってしまったために起こっていることだと思われて仕方ありません。

 

 松下幸之助さんが存命の頃の松下は、不況の時にこそ大規模な設備投資を行うことが有名な会社だった記憶があります。

 また本田技研ソニー・トヨタ自動車なども景気に左右されない独自の経営哲学をもっていて、それが現在の隆盛に繋がっているように感じられます。

 

 小さな商店人区仕事の職人さんでも大企業のトップでも、経営者の仕事の質と言うことではほとんど差がないと思います。

 むしろ、大企業ではスタッフが起案した中から最適なものをチョイスするという形で経営判断が出来るのが、中小規模の場合は自らが起案も行わねばならず、任期が無いので辞めるという責任の取り方もあり得ず大変な仕事です。

(大企業は経済や雇用における責任が重く、比較することは出来ませんが。)

 

 いわゆる経営コンサルタント中小企業診断士・金融機関の経営指導などでも、この手のことが非常に多いと感じています。

 これらの方達は実際に経営に当たる当事者ではなく、会社の状況を数字の上で全般的に理解をするのみで業界や個々の現場に精通しているわけではありません。

 そうでありながら、不採算部門の切り捨てや、人減らし、現場力の低下を伴うリストラクチャリング等を平気で言い出しますし、ともすると中・長期的な会社の展望を無視し単年度決算のみを追いかけた経営改善案などを持ちだしてきます。

(経験上、コンサルタントの方達から良い意見が聞ける確率はぜいぜい3回に一回も有ればよい方だと感じています。ほとんど巡り合わせの世界ですね。)

 それが流行に乗ったキーワードなどと共に耳にはいると、その時々の精神状態によっては甘い悪魔の囁きにも似て、たやすく乗せられてしまう場合があります。

 

 ここ数年来経営者が様々な財務諸表など会社の詳細な数字を頭に入れて経営に当たることが当たり前の如く言われていますし、うちの会社に於いてもそれを求められています。

 

 あえて極論を言いますが、経営者としてこれは絶対に必要なことなのでしょうか?

 勿論キャッシュフローの状態が頭に入っていないと資金繰りのショートで会社が突然死しますし、利益が上がっている場合には利益処分をよくよく考えておかないと必要以上の税金などを取られることになり、会社内の誰かが詳細な帳表を作成して管理して行かなくてはならないのは言うまでもありません。

 しかし、ともすると様々な経営諸表を作ってそれを読み分析することでそれなりのパワーと時間を使ってしまい、本来一番重要であるはずの実際に行わなくてはならない施策経営判断の方に多くのパワーを使えなくなってしまう場合もあるように感じています。

 そもそも基本的な幾つかを除くほとんどの帳表は、自社の状況を他人に説明するための資料で、そこから読み取れるのは日常的な仕事の中で感覚的に感じていること数字で表しただけのものでしか無い場合が大半です。

 大きな会社であれば専門の経理部署や経理責任者がいてこれらの財務諸表の作成に当たり、経営者は大きな経営判断に専念することが出来ますし、また関係する人の数も多くその間での情報としての共有財産として詳細な財務諸表が生きてきますが、中小企業の多くの場合、経営者自らがこれに当たらねば成らず本来経営者としてすべき様々な経営判断現場での仕事のパワーを奪ってしまっている場合もあると感じています。

(会社を守るために必要な帳表は明らかに存在しており、それを蔑ろにして良いという意味ではありません。)

 

 コンサルタント金融機関などの言うがままに様々な諸表を作るのは、結果的に日常の仕事の中で感覚的に解っていたことを先方に納得させるための資料に過ぎず、結果として出てくるアドバイスがほとんどものの役に立たず「何と無駄な時間を消費してしまったのだろうと、無力感に囚われたことが過去に何度もありました。

(コンサルタントとの出会いは運以外の何者ではなく、素晴らしい方も中にはいらっしゃいます。:経験を積んだコンサルタントと言えどもプロのレベルの仕事の世界には、そう易々と立ち入ることが出来ないと言うことなのでしょう。)
 


 詳細な財務諸表予算管理などは、やり始めの初期にはそれなりに効力を発揮しますが、2~3年も経つともう大幅に削減できるものは残っておらず、現在のように原材料費の大幅な高騰などがあるとひとたまりもなく、分析のための分析になってしまいます。

 

 むしろここの所思うのは、意識の上では「ザル勘定」の方が経営のツボを見失わず的確な経営判断が可能なのではないか?ということです。

 利益というものは「収入の総額-経費の総額」と大枠で捉え、自社の付加価値の源泉」をしっかりと認識し、前に記事で書いたような「自社のNo.1」が何であるかを踏まえた上で、単純かつ解りやすい施策を下していくことにこそ経営の本質があるように考えるようになりました。

No.1のモノ(店)しか売れない!?(マーケティングの考え方)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-07-04 

 

 たとえばうちの会社では、個別原価計算という考え方を捨てました。

 個々の製品をそれぞれ原価を割らない価格で販売することが出来れば全体としての利益が上がる。少なくとも原価割れの製品を無くしていけば利益の上がる製品のみになると考えたわけですが、製品を跨って共有する固定費の案分比率や管理費の乗せ方一つで数字が動いてしまい、管理のための管理だとしか思えなくなりました。

 同業者の原価を推定する基礎資料となりムダではありませんでしたが、継続的に実施するには事務工数が大きくなる割りにメリットはないと感じました。

(ただ個別原価計算は、コンサルタントの先生方は好きなのですよね...。)

 

 現に経営が成立している損益計算の中で、ザックリと削減が可能な経費・原材料費に手をつけ、それで足らない部分はさっと頭を切り換え「販売量の拡大は可能なのか?」、その「具体的な方法論は?」と考えを巡らせたり、量の拡大が難しい場合は「平均販売価格をどうやって引き上げるか?」などと考えた方が、遙かに有効な時間だと思います。

 うちの場合は平均販売価格の引き上げの為、通常製品と高付加価値製品の「HighーLow MIX」と言う製品戦略をここ数年来採っており一定の成果が上げられていると思っていますが、これについてはいずれ別の記事で書きます。

(ただ、それにしてもここの所の原材料費の高騰は想定水準を遙かに超えており、同業者と比べた場合に多少優位に立ったところが到底吸収できる数字では無くなりつつありますが...。)

 

 リストラと言う言葉も一時流行になりましたが、本来のリストラはあくまでもリストラクチャリング(事業の再構築)であって決して人減らしを表す言葉ではありません。

 単年度決算のみを考え熟年労働者を切り捨てた会社は、単年度の決算こそ好転はしても自らの付加価値の源泉を失い数年後に業況がまた悪化して沈んでいく例など、枚挙のいとまがありません。

 むしろ最近不況下の中でも好成績をあげている会社は、頑強なまでに人減らしに抵抗したり海外への生産移転ブームの乗らず、独自の考え方を貫かれた経営者に率いられている場合の方が多いように思います。

 

 なによりも自らの仕事なり会社に一番精通しているのは当の自分自身だという自信と気概のもと、自らの付加価値の源泉は何であるのか?」「自社のどこが同業他社よりすぐれているのか?(No.1はどの点なのか?)」をきちんと認識して、流行に左右されない自の行動哲学を持たねばならなりません。

 

 

 信長は、景気が悪くとも「織田信長」。

 家康は、景気の良いときにこそ「徳川家康」。

 私は、景気が良くとも悪くとも、「山本大成」。

 

 答えは自分で見つける以外方法はなく、ブームや他人の言葉に踊らされて右往左往させられるのはごめんです!

 



PS.
 私個人としては、経営資産の一点集中による突破という、状況の良くない時の織田信長に引かれるものがあります。

 ただ、これはバクチなのですよね....。


PS2.
 書いていて思ったのは、ここで書いた様なことは経営者としては当たり前のことですね。

 諸先輩方に読まれるのは少し恥ずかしい記事ですが、ブームや雰囲気に流されるなと言う自戒を込めて、勢いに乗ってUPします。

 

 ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 住まいブログ 一戸建住宅へ  にほんブログ村 政治ブログへ   にほんブログ村 子育てブログへ
日本ブロク村アクセスランキングに参加しています。上のいずれかのバナーのクリック、お願いします。 
 せっかく書いた記事ですので、一人でも多くの方に読んでいただきたいとの思いを持っていますので、読まれる価値のある記事だと思われたらどのバナーでも結構なので、
是非クリックお願いいたします。


nice!(17)  コメント(18)  トラックバック(2) 
共通テーマ:仕事

nice! 17

コメント 18

kappa

経営のことは良く分かりませんが、
それぞれ一国一城の主なのですね。
城主の判断如何によって、国が栄えたり衰えたり・・・
厳しい世界です。
by kappa (2008-07-24 22:31) 

nina

雑誌は「部数を伸ばしてナンボ」のところがありますからねぇ。
織田・徳川両将軍についてはたいせいさんのおっしゃる通りだと思いますが、雑誌を売るためには、景気の良い時は「イケイケ」のイメージが強い織田信長を使い読者の高揚感を煽り、不景気の時にはとにかく不安を煽る、そうした方が本の売れ行きが良いのでしょうね。
それが正しいかどうかは別にして・・・。
by nina (2008-07-24 23:07) 

スミッチ

分析のための分析になっては意味はないですよね。単年度決算で利益を出すことだけを考えてしまうと現場力が低下してよくないのでしょうね。良くも悪くも中小企業は経営者の影響が大きいですよね。
by スミッチ (2008-07-25 01:01) 

夢空

おはようございます。
>意識の上では「ザル勘定」。
。リストラは人減らしを表す言葉ではない。
なるほどと(^^)
頭の中でおおまかな計算ができてないと・・・。
商道はお金ではなく、いかに人を残すか、人を育てるか。ですね(*^_^*)

by 夢空 (2008-07-25 07:26) 

たいせい

 kappaさん、これも当たり前の話なのですが、どんなに身を粉にして働いても、どんな精緻な理屈で動いても、経営者は結果責任で会社をこけさせて従業員の雇用やお客様の信頼を守れなかったら失格なのですね。
 反対に、どんな怠け者で遊び回っても、どんな手段を執っても、会社に利益をもたらして従業員や関連の人たちにお金を沢山分配でき、会社を維持できるものが正しいという冷厳な事実を思うことが、ままあります。
 私の場合は今のところ父が健在で、本当の意味で会社を背負っているわけではないのですが、判断一つで大手上場企業ですらあっと言う間に消え去っていく姿を目の当たりにして打ち震えています。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-07-25 09:02) 

たいせい

 ninaさん、歴史上の人物では織田信長や高杉晋作が好きで自分なりに本を読んでいましたので、ビジネス雑誌などで紹介される織田信長像に常々違和感を感じ続けていました。
 本文でも書きましたが、信長の乾坤一擲の大勝負といえるものはほとんど桶狭間の戦いのみで、それも絶望的に状況の悪いときに並み居る家臣の反対を押し切って、戦力の一点集中により自軍の全力で敵の核心部を攻めるという形で、当然敵核心部に巡り会えにリスクを負いながらの勝利で、以後ほとんどの戦場では敵の倍の戦力が揃うまで戦端を開かないということを徹底して行ってきた武将だったように思います。
(結果的に長期戦になってしまい、苦境に喘ぐことは何度もありましたが...。)
 恐らく雑誌などであれほど書ける執筆陣であれば、これらのことは当然解っていらっしゃるはずなのですが、その上で「売れる雑誌」を作るという部分で、編集者のプロ意識を感じたりすることが多々あります。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-07-25 09:17) 

たいせい

 スミッチさん、経営分析などはやってみると本当に面白く自社の弱点や長所が数字上浮き彫りになった場合などは、「これこそが経営なのかもしれぬ」と思えるような瞬間すら有りました。
 ただ、よくよく考えてみるとこれらで浮き彫りになってものというのは、ほとんどの場合感覚的に感じていたことで、自分自身の頭の中を整理したり他人に説明する為の資料に過ぎないと言うことに気付いたときに、費やした膨大な工数に衝撃を受けました。
 経営に限らずなのですが、どんなことでも分析するだけでは何の役にも立たず、最重要なのは具体的にどんな行動を取るかの方であって、行動のパワーと時間を犠牲にしてまでする分析など、何の意味もないのですよね。
 以後、金融機関の融資を引き出したりする場合などにそれ用の資料を作ればよいと(説明して納得させねば成りませんので)割り切るようになってから、帰ってもう少し大きな会社の進むべき方向などが見えるようになってきたと感じています。
 「勘」も、経験に裏打ちされたものであれば、十分信頼に値するものだと考えるようになりました。

 単年度決算を追うことに関しては、単年度を乗り越えなければ(もう少し言うと数ヶ月レベルの資金繰り)中長期的な計画はあり得ませんので当然追いかけて行かなくてはならないのですが、中長期的な夢なり展望がなければとてもじゃないけれどもやっていられません。
 中小企業の場合は、頭を切り換えながら限られた経営陣でやっていかねばならないのが辛いところです。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-07-25 09:35) 

たいせい

 夢空さん、釈迦に説法だとは思いますが、自分の給料と経費を自分で稼ぎ出そうという意識を明確に持った「プロ」のみによって会社が構成されていれば、業態や仕事の仕方は変わろうとも会社は生き残っていくことが出来るはずだという意味に於いて、会社は「人」だと思います。
 ただうちのような中小企業に於いては、優秀な人材だけで組織が構成できるわけではなく、人を育てることの難しさを感じています。
(そもそも私自身が、まともな人材に育っていません。)

 この一連の記事のシリーズは、あまり詳細に書きすぎると現在進行中の商売に幸使える可能性もあり(同業者も見ている可能性がありますので)、また具体的にかきすぎると業界内でしか解らない話になる可能性もあり、まだどんな記事を続けていけるのか自分でもよく解っていませんが、もう少し続けてみようと思っていますので、宜しくお付き合い下さると嬉しく思います。
(この記事のような当たり前なことしか書けないかもしれません...。)

 nice! &コメント、ありがとうございます!
by たいせい (2008-07-25 09:47) 

とりのさとZ

信長、家康ともに軍将および政治家であって、企業人・経営者とは言えないのでは、とも思うんですけど、秀吉を含めての3者は、あまり私の好みでなく、むしろ、真田幸村のような「負け戦を承知してでも、受け入れていく」姿勢が(当方の経営とは関係ないことないです)私に合っているみたいです。
 当方は、小さな家族農業なんですが、経営も現場労働も私だけ。お書きのように、大雑把でも全体像が、「まぁええやろ」くらいの分析で満足しています。細かいことを言っても動くのが自分でないのなら、満足点は得られないけど、しょうがないじゃない。とは言え、赤字経営でもなく、無借金経営なんだけど、こんなケース、全国ではレアみたいです、有機農業では。
 発想の柔軟性というのは、異業種交流で可能だと思うんだけど、それもこれも本人の技量一つに収斂されてしまうように思います(いたるところに散らばっているヒントや!を見つけられないのなら、それまでですよね)。

 珍しく、誤変換が一つもありませんでしたね!


by とりのさとZ (2008-07-25 12:34) 

こう

 金額以上の物を提供できれば、商売が繁栄すると良く聞きますが、難しいですね。
 また、良いパートナーやメンターがいればより向上出来るとのことです。
 いずれもサラリーマンのである今の私とは無縁ですが、一歩踏み出して環境を変えて、自分を変えなけれいけないと思っています。
by こう (2008-07-25 12:47) 

たいせい

 とりのさとZさん、会社経営も、戦国武将の領国経営も、政治家の国家経営も、家庭経営も、本質的にはそんなに変わらないと私個人は感じています。
 歴史人物では私は、真田幸村よりも真田真幸に引かれていますが、織田信長や高杉晋作については、混沌とした中世という時代や幕末を新しい価値観で切り開いて新しい時代を呼び込んでくるような気分が好きで、自分なりに追っかけていた頃がありました。
 ただ歴史上の人物や今の会社の浮沈なども、結果敵に勝ち残ったものにのみスポットライトが当たって注目・分析され「勝利の方程式」ででも有るかのように思われているのであって、その陰には同程度以上の能力があったにもかかわらず運が無くて表に出ていないケースが山ほど有るのを忘れてはならないと思っています。
 結局、「参加条件」では有っても「必要十分条件」ではありませんので...。

PS.
 無借金できちんと利益を上げていらっしゃると聞き、素晴らしいと感じました。
by たいせい (2008-07-25 16:23) 

たいせい

 こうさん、学校を卒業してから15年のサラリーマン生活がありましたが、「目的のための手段」として自分の役割に添った仕事をしているとの考えで、「管理のための管理」はいやだと議論したあげく組織内で干されてしまった時期がありました。(もっとも私も、今以上に未熟者でした)
 ただそうした考え方自体は今の自分の血肉にもなっていて、良い経験が出来たと思っています。
(「自分の考え方の方が正しい。」「人が決めたことならば、今一度検討して帰ることが出来るはず。経営会議で決まったことであっても間違ったことはやりません」などと、生意気にもほざいていました。)

 何かの本で読みましたが、成功する人は歴史小説などを読んでも「そうだ!、その通りだ!」と思うことの出来る人で、「なるほど!?」と思う人は自分で考えることを放棄していて、なかなか成功者には成れないようです。
 私ももう少し脱皮しなくてはなりません。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-07-25 16:35) 

STEALTH

非常に解りやすく勉強になりましたね。素晴らしい。私は何はともあれ我らがおやかたさまが好きですね。ケイキはともかく。

27日、突撃訪問するかもです。自転車で。
by STEALTH (2008-07-26 08:30) 

たいせい

 STEALTHさん、JCの現役当時、講師例会ででも何でも実際にメンバーが聞いて納得し、スキルの高いメンバーも低いメンバーに対しても何らかの啓発になる実践的なMD(経営開発)というのは十分可能だとの主張をしていた時期があり、今回の記事や前回のマーケティング(No.1戦略)の記事で書いた内容はその際に私が具体的にイメージしていたものでした。
 結局、研修系の委員会に交わる機会に恵まれず、懇親会や理事会などの際の主張のみに留まってしまいましたが、どこかで具体的な形にしておきたいと、あえて今回記事にしている次第です。

 当然、様々な経験を積んでいらっしゃる諸先輩方に読んでいただくには恥ずかしい内容との自覚はしていますが、これから経営を担う立場のJCメンバー対象ならば、こんな内容のセミナーも成り立つのではないかと思っていますがいかがでしょうか?

 nice! &コメント、ありがとうございました!

PS.
 私はやはり、午前中主体の女房子供連れで行くことになりそうです。
 妻とは昨夜の話で弁当を持っていこうと言うことになっていますので、お昼過ぎまではハイウエイオアシス内にいると思いますが、何せ乳飲み子を抱えていますのでどんな行動になるのか自分でもよく解りません。
 会場内に見あたらなかったら、遠慮無く携帯電話を鳴らしてください。
by たいせい (2008-07-26 13:56) 

アキラ

信長、家康について、良くしっていらっしゃるからこそ書けた記事だろうと思います。素晴らしい記事に大拍手です。

私は非常に単純ですから、「仕事は戦い」でひとくくりにしてしまう単純さです。
仕事に疲れたり、息詰まったと感じたら、山梨までひとっ走り。
私にとっての戦いの神様、武田信玄の菩提寺・乾徳山恵林寺(山梨県甲府市塩山)で気が済むまで信玄公と話をしてきます。
結構為になる示唆をしてくれますよ^^
by アキラ (2008-07-26 15:27) 

たいせい

 アキラさん、武田信玄が三方原の戦いの後で亡くなっていなかったとしても、織田と武田の全面戦争はなかったのではないかと考えています。
 義理の娘を婚姻という形で人質として武田側に差しだし、またどこかで読んだのですが「臣下として先鋒に使って欲しい」旨の文章を渡していたと聞いており、負ける戦いは極力回避していたのが織田信長だと思っています。
(戦うつもりならば、三方原の時点で人や鉄砲をもっと出していたはずでは?)
 もっとも戦端を開かねばならない場合は、本拠地の尾張や岐阜を投げ出して武田側を長期戦に引きずり込み、兵農分離の進んでいない武田軍が帰らなければならなくなるまで、我慢に我慢を重ねていたと想像しています。
 歴史に「もしも」は無いのですが、私のひいき目かもしれませんが「そう思わせてくれる何か」が、織田信長にはあるように感じています。
(もっともそれが解っているからこそ、迅速をモットーとした武田軍にも係わらず一旦立ち止まって体制の立て直しを図ったわけで、信玄公がもう少し長生きしていたらどんな歴史になっていたのか?、考えるだけで楽しくなります。)
 私が信長を素晴らしいと感じるのは、桶狭間の戦いのようなリスクの高い戦いを生涯にその一度しか行わなかったことで、一度上手くいけば安易に成功体験の模倣をしてしまう(2匹目のドジョウを探してしまう)私のような凡人では考えられない点で、秀吉や家康とは器が違うと思っています。
(失敗から学ぶ人は多くいますが、成功からも学べる人なんてそうそう居るものではありません。)

 不景気などの逆風は経営者の器が試されるときでもあり、大変厳しい時節でもありますが、様々なものから学び勝ち残っていきたいものです。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
 
 
by たいせい (2008-07-26 16:35) 

mugitea

最近のニュースにもありましたが、
欧米のやり方が素晴らしいって思って取り入れてみたけど、
日本人にはやっぱり合わないのかな?
ということもボチボチ出てきているみたいですね。

自分の普段の生活では知りえないことなので、勉強になりました。
by mugitea (2008-07-27 10:11) 

たいせい

 mugiteaさん、商売という意味では日本も数百年の高度な実践経験があり、それなりの完成したシステムを元々持っていた様に思います。
 会社運営のノウハウについて欧米の経験が洗練されていたかというと必ずしもそうではなく、本格的に始まったのはせいぜい産業革命以後で、日本とさして違いがないというのが本当のところで、日本はもっと自分たちのやり方に自信を持つべきだったのかもしれませんね。
 バブルが弾けて以降多くの経営者が道を見失い、ムードや雰囲気に左右されて右往左往していると感じることがしばしばあります。
 私も含めて、もっと自分たちのやり方にお自信を持たなくてはいけないのでしょうね...。

 nice! &コメント、ありがとうございます!

PS.
 世間的にはKY(空気読めない)というと悪い意味で使われますが、私はむしろKYと言うのは褒め言葉だと感じています。
 自分の価値観をしっかり持って発言・行動すれば、自然回りの空気とは違う動きになりKYと呼ばれることが多くなります。
 回りの空気を必要以上に読んで、ブームに踊らされるより遙かに素晴らしいのではないでしょうか?
(空気を創り出す側に成れれば素晴らしいのですが、そう容易いことではありません。)
by たいせい (2008-07-28 09:34) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 2

Locations of visitors to this page

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。