「近現代史について私のスタンス」田母神前空幕長-岡崎講演会プロローグ(追記有り) [旗日には「日の丸」を掲げよう]
随分遅い記事にはなってしまいましたが、2月の28日(土)に岡崎で行われた田母神元空幕長の講演会に行ってきましたので、その際の感想などを数編の記事にさせていただきます。
岡崎講演会での田母神前空幕長
「田母神前空幕長-講演会」が2月28日岡崎であります!
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2009-02-13
この種の記事を書くと「この人は右翼だ!」「この人は左翼だ!」などと入り口の部分で毛嫌いされる方もいらっしゃるでしょうから、自分自身がこの種の近代史にどうして興味を持つようになったか?、この講演会に何故行こうと思ったか?という部分から書き始めさせていただきます。
このBLOGでも何度書かせていただいておりますが、私の母方の祖父は終戦の年にフィリピンで戦没しています。
少年時代、母と一緒に里帰りする度に祖父と同じく戦地で戦った大叔父(祖父の弟)から聞かされてきたのは、
「お前達のおじいさんは自分で進んで前線に出て戦った立派な人だった!(志願して大陸から南方に向かったそうです)」
「近衛部隊に配属されるほど優秀な人だった」ということで、
当時学校などで教えられたりマスコミなどの戦争に関する報道に対して違和感を感じ続けてきました。
自分なりに納得したいとの思いと、祖父の辿った道を多少なりとも理解したいとの思いがあり様々な本を読み漁りましたが、著者の立場や考え方によって同じ戦争を書いているはずであるにもかかわらず善悪の観点や主張は真っ向から異なり、ますます頭の中は混乱するばかりです。
父が商売屋だったこともあり、言わば「究極のリアリスト教育(理想を掲げた上でと言う前提ですが)」を受けてきたおかげで観念論が頭に入らない考え方を当時より持っていましたので、これらの本より空理・空論や観念の部分を除外して読むことを覚え、結果頭の中で組み上がったのは以下のようなものでした。
その当時の空気に身を置いて当時の価値観で論ずることが出来ないかぎり、立場や考え方により様々な捉え方があって善悪について論ずることにほとんど意味はない。諸外国の当時の要人の公式発言には(特に近隣アジア諸国:米国の軍人・政治家も含めて)、日本を評価する公式発言が予想していた以上に多い。
開戦の経緯についても「やむにやまれず戦争せざるを得ないところまで追い込まれた結果」と言う考え方でも説明できるし「好戦的な軍部によって戦争に踏み切らされた」との解説も不可能ではなく(統帥権云々が絡みます)、結局のところ経緯が非常にわかりにくいが「大多数の国民の支持」の上で戦争に踏み切ったということ。(今風に言えば世論に押されて)
マスコミは私程度にでも見抜ける程度の稚拙な論理矛盾を内包した報道を行っており、何らかの意図に基づいて是が非でも「日本が悪かった」事にしたいらしい。(少なくとも両論併記という、本来持つべき公平な報道機関の姿ではない)
その後自分が拘ったのが出来るだけフィルターの掛からない一次情報に直接触れることで、伝聞情報や意図を持った取捨選択の後に私たちの目に触れる報道や書籍ではなく、実際にその時代を経験された方の話を多く聞いて当時の時代の空気のようなものを感じようと言うことでした。
幾つかの講演会などにも出席し、何人かの地域のお年寄りの話を聞きましたが、やはりその方の立場により様々な捉え方があり、また時間の経過と共にその方達の中の記憶にも知らず知らずのうちに取捨選択がされておりこれも一筋縄ではいかないと感じましたが、その時思い出されたのが少年時代に聞いた大叔父の言葉でした。
今は病没しておりもはや再び聞くことは敵いませんが、大叔父は「自ら戦場に赴いていたことを誇り」に思っていました。
また大叔父を含めて私の知る戦争経験者は、マスコミなどでよく言われているような虐殺や悪逆非道の限りが尽くせるような人間ではありませんし、自分の意志をしっかり持っており自分自身が納得できないことをどんな命令があろうとも出来るような人間ではありません。
望んでいない戦場に上層部の命令で無理矢理送られて戦わさされたという状況での部隊勤務ではなく(勿論死にたくないのは当たり前ですが)、部隊勤務の中でも辛いことや悲しいことは元論あったでしょうが同時に悦びや笑いもそこにはあり、悲喜こもごもの日常だった様子も私には伝わってきました。
一部国家指導者のみが戦争に血道をあげていたのではないと言うことは私の地元でも物的痕跡が幾つも残っていることでも明らかで、日清・日露の戦捷碑や様々な出征記念の地元氏神様などに対する寄進など(私の地元には靖国神社遙拝所なるものまで残っています)、当時の時代の空気は私たちの親類縁者や地域社会の大人達の大半の理解がなければ出来なかったものが幾つも現存しています。
実は私の場合、いわゆる保守と言われている方達の論説に関しても違和感を感じることが少なくはありません。
実証主義的に事実を積み上げながら話が展開するうちはよいのですが、語り手によってはどこかで「イデオロギー」や「観念論」の匂いを感じる場合も多くあり、自分自身はいわゆる右に寄った考え方という物に対しても両手を挙げて賛同する気持ちには必ずしもなれません。
恐らくは現在の世界と同じように「全て正しい」訳でも「全て間違っている」訳でもなく、当時の時代の空気の中で様々な事実と思いが交錯して戦争という局面に達し、全ての事柄には某かの理由と原因と錯誤があったというのが真の姿であろうと思います。
どこかで読んだ記述をそのまま書きますが、今の私のスタンスは以下の一言です。
「右でも左でもない!」「ただ日本が好き!」
「意見を持たないというのは、一人前の大人としてはとてつもなく恥ずかしいことだ!」
そして、今回の田母神前空幕長の講演会に是非参加してみたいと思ったのは、マスコミによって取捨選択された後の情報や伝聞情報ではなく可能な限り一次情報に触れその上で判断したいという私の考え方が元になっています。
ここで言う一次情報とは、必ずしもマスコミなどの扱うニュースの元ネタという意味ではありません。
直接経験した血縁者や地域のお年寄りなどよりの伝承、石碑や地域に根ざした当時をうかがえる地積、”当時書かれた”本などを含みます。(ネット上でも信頼置けると思われる当時の手記や備忘録は幾つもあります。)
これら直接見聞きできる資料を自分なりに吟味したモノサシの上で、様々なニュース・書籍などの信憑性を考えることが出来れば、私のような地方の普通の人間でも十分物を考え得るものだと思っています。
逆に言うとこれらの民間伝承が途絶えたことで個人レベルのモノサシが無くなってしまったことが、現在のマスコミによる情報の一方的な支配構造を招いていると感じています。
(この欄は、追記しました)
少なくともTVなどで見る限りに於いては、田母神前空幕長は現場を背負って来た方だけに討論番組などで見てもそんじょそこらの看板を背負っていない陣笠議員程度では太刀打ちできない特有の空気を感じていました。
また言われているところの「田母神論文」についても、ほぼ私が自分なりに組み立ててきた歴史認識と近いものだと感じたことにも寄ります。
そんな意識の上での参加でしたので、実際に講演会を聞くと歴史についての主題についてはさほど目新しいと感じませんでしたが、話の中で引用される事柄や自らに係わるエピソードなど大変興味深い内容を幾つも耳にすることが出来ましたし、洒脱で真面目な田母神前空幕長の人柄にも触れることが出来大変素晴らしかったと感じました。
次の記事で講演会本体について書かせていただきます。
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せっかく書いた記事ですので、一人でも多くの方に読んでいただきたいとの思いを持っていますので、読まれる価値のある記事だと思われたらどのバナーでも結構なので、是非クリックお願いいたします。
PS.
関連で私自身の考え方については、過去に以下のような記事を書いてきました。
興味のある方は是非お読みいただけると嬉しく思います。
旗日には、日の丸を掲げねば!(屋根には瓦、庭には鯉のぼり、旗日には日の丸)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2006-06-19地元の神社の靖国神社遙拝所
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2006-06-24「愛国心」「アイデンティティ」の源泉は『情』!?
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2006-07-10「憲法改正」について思う事
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2006-07-29「終戦の日」の国旗は、「半旗」が作法。(正式呼称は『戦歿者を追悼し平和を祈念する日』:「終戦記念日」ではありません!)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-08-11米軍は何故、日本に駐留しているのか?(日本を守るためではなく、アメリカの都合:沖縄の基地問題:嘉手納基地:自主防衛)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-09-06「勤労感謝の日」はおかしい?(祝祭日とは?・国民の祝日?・新嘗祭)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-11-22「矜持」エーレイライズ(英霊来世)涙がボロボロ止まりませんでした!
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-03-21名古屋高裁の「ねじれ判決」は司法の自殺?(自衛隊イラク派遣)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-04-19時事評論は難しい!?(六カ国協議:柳沢発言問題)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-02-21大東亜戦争が正式名称との政府答弁書(安倍首相もなかなかやります:NATO演説・河野談話見直し)2/23追記有り
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-02-22戦前・戦中・戦後派の価値観?(戦時体制以前と以後で、かなりの相違が?)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-11-12
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我々一般人が一次情報に接するというのは難しい事ですよね。
たいせいさんのように自ら行動を起こされる方はそれほど多くはないでしょうし、多くがマスコミのフィルターを通した後の情報から判断しなければならないことのように思います。
一つの事柄に対して「いくつかのメディアを読んで比較検討する」ということができればまだ良いのですが、日本のメディアって同じ方向を向いた論調ばかりのように感じます。
メディアにも色んな論調があって欲しいと思うのですが・・・
統制された論調のメディアって、それこそ戦時中の「大本営発表」と同じじゃないかと思います。
田母神さんの講演会の記事も楽しみにしています。
by nina (2009-03-12 20:59)
>そんじょそこらの看板を背負っていない陣笠議員
誠にもっておっしゃるとおり、
まさに、いい得ていらっしゃるなぁと思います。
うまい表現ですよね(^ー^)/
>当時の時代の空気
たいせい さんがおっしゃるように、これは決して無視してはならないファクターだと思います。
あの時代の庶民の空気、官僚の空気、政治家の空気…。
それぞれのポジションが真に明確になってほしい、そう願うところであります。
田母神前空幕長の講演会のレポート、楽しみにしています。
by hankyu8200 (2009-03-12 23:02)
ninaさん、本文の方に若干追記しましたが「一次情報」と言ってもニュースなどの元ネタという意味ではなく、私のように親類縁者などよりの伝承や地域の様々な地積からうかがい知れる情報、実際の当時の本などもその後の情報操作が介在しない一次情報だと考えています。
本来的な意味での一次情報ではないかもしれませんが、これらから得た自分なりのモノサシで様々な情報を吟味する姿勢があれば十分個人レベルの尺度としては通用するのではないでしょうか?
歴史認識について本質的な問題は、戦後世代間の伝承が途絶え(価値観の大きな転換で大人が自信を持って語らなくなった)個人レベルのこうしたモノサシを失ってしまったことに依るものだと考えています。
(その辺りが自分自身の子育てに於いては、自分自身が育ってきた原風景を可能な限り子供達に伝えたいとの原動力になっています。)
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-13 10:50)
hankyu8200さん、本文にも書きましたが現在の政治状況や国際情勢を見ても善悪論で評価できないことは明白で、過去についても同様で何らかの評価をするとしたならば、戦争の当事者は全て「当時の時代の空気の中で様々な事実と思いが交錯して戦争という局面に達し、全ての事柄には某かの理由と原因と錯誤があった」とししか言いようがないのではないかと感じています。
織田信長や源頼朝を善悪論で語る愚を、近現代史については未だやっているとの印象です。(こういう部分は良かった、こんな所は悪かったと冷静に分析することが出来ていません。)
田母神前空幕長に関しては、現場の看板を背負う以上譲ることの出来ない一線があり、その一線が一部の方対に利用されての更迭劇だったと感じていますが、防衛省内やマスコミ・サヨクなどの陰謀論もある中で言いたいことは沢山あるであろうにその内幕を語ってしまうと今回の更迭劇が矮小化されたゴシップ扱いをされかねないとの自覚を持ってあえてそれには必要以上に触れない講演会であり、田母神前空幕長の潔さを感じました。
(自らを弁護する気になればいくらでも弁護できるにもかかわらず、その論調はほとんどありませんでした。)
近々に記事にさせていただきたいと思っています。
nice! &コメント、ありがとうございました!
PS.
講演会の書き出しに悩みましたが、出来るだけ一般の方に読んでいただきたいと考えるとこの記事のように前置きに一篇割かなければならない不自由さが悲しいです。
by たいせい (2009-03-13 11:08)
「右でも左でもない!」「ただ日本が好き!」
「意見を持たないというのは、一人前の大人としてはとてつもなく恥ずかしいことだ!」
非常に同感です。
そしてちょっぴり恥ずかしくなりました。
by 前太 (2009-03-13 17:44)
関係ないけど、誕生日でしょ。おめでとうございます。
(本当は、丸美さんの方へ言いたかった(爆笑))
by とりのさとZ (2009-03-13 19:27)
私は4歳で北満の黒河(北緯50°線、アムール川の畔)から引き上げてきました。幸いしっかりした母のお陰で、私の家族は誰一人として欠けることなく無事に日本の土を踏むことが出来ましたが、引き上げの最中に見たことは、それはそれは悲惨な状況でした。
戦争とは「そのようなもの」であると、幼い頭に叩き込まれています。
田母神氏の論文は、今の人が知らない世界の話です。
戦争の実体に付いてどれほど勉強しているのかは知りませんが、マスコミ人は知らない世界の話にもう少し耳を傾けるべきではなかったか?と思っています。議員さん達の所行は論外だと思いました。
惜しい人を追放してしまったように思います。
by アキラ (2009-03-14 10:38)
さきの戦争に関しては、私も「世論の支持」があった、と思います。政府の言論統制の効果はもちろんあるでしょうが、それのみとも思えません。
私は、戦争の結果としての預金封鎖、デノミを見ると、実は「巨大な公共事業」だったのではないか(その結果としての大インフレ発生)と思っています。
いずれにしても、我々が実際に国家という制度の恩恵に浴して暮らしている限り、国防ということは理想論だけではなく(もちろん理想は大事ですけど)現実の問題として、誰かが考えなければならないことだろうと思います。
田母神前空幕長についても、イデオロギーの問題ではなくて、リアルな現実の一端を指摘したと言えるのではないか、と思います。
by single40 (2009-03-14 15:41)
前太さん、ノンポリ(ノンポリシー)と言うのは恥ずかしいことで、自らの考えを持つためには様々なことを知らねば成らず、個人的な興味もあって世の中の多くからするとやや右側にいるかもしれない(?)自分が出来てしまいました。
とは言っても周りの情報に流された結果こんな考え方を持ったわけではなく、この記事のように組み立ててきた方法論の末に今の考えがあり、世間で言うところの「保守」や「右」とも少し違う考えのように思っています。(言うなれば「土俗的保守」かな?)
ただ何と言っても不自由なのはこの種の歴史認識や戦争のことを記事に書こうとすると、記事の中の様々な言葉が大きな意味を持った「キーワード」賭して受け取られがちでたった一つの言葉の持つ語感で意図しないレッテルで見られてしまう危険が多々あり、本論を語る前に自分自身の思考回路について触れざるを得ない現実があり、とても悲しく感じています。
一時「KY(空気読めない)」なる言葉が流行りましたが、周りの空気に左右されずに自分の考えを持ち更にそれを述べると言うことは、とても大切なことだと思います。
(記事紹介の中にありますが「旗日には日の丸を」などは、それを表現するのは決して恥ずかしいことではないとの考えで、やり始めたことです。)
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-14 16:59)
とりのさとZさん、私ごときの誕生日に気がついていただき本当にありがとうございました。
実は私が生まれた年のこの日は、今年のように13日の金曜日でさらには仏滅のおまけ付きという大変素晴らしい日だったようです。
ひょっとしたらその辺りも、宗教的な禁忌をあまり気にしないリアリストの自分を作るのに一役買っているのかもしれません。
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-14 17:04)
アキラさん、昨年後半のBLOGの記事にあった満州からの引き上げから青年時代までの自記を、大変興味深く読ませていただきました。
ある意味そうした悲惨な経験を実際に持っていらっしゃる、歴史の当事者であるアキラさんに賛同いただける部分があるというのが、事実はマスコミで言われていることだけではない証ではないかと感じています。
次の記事で書こうと思っていますが、全国で行われている田母神前空幕長の講演会はどこも満員で熱気に包まれており、ご本人も「更迭された当時は恨みつらみもあったが、今はかえってこれで良かったと思っている」と仰っていました。
この反応は十年前では考えられず、時代は確実に前に向かって進んでいるようです。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-14 17:13)
single40さん、仰るとおり今風に言うなれば「大多数の国民の圧倒的な支持」があっての戦争だったと私も感じています。(おそらくA新聞も今と同じで世論調査の結果支持していたのでしょう)
少なくとも一部指導者が私利私欲のために国民を扇動して戦争に持ち込んだ砥は到底考えられず、この考え方自体当時の政治家・軍人などの国家指導者のみならず国民そのものをバカにした考えだと思われて成りません。
田母神前空幕長の更迭劇で感じたのはそれぞれの立場による温度差の違いで、その違いが極端であることはすなわち「情報の共有化がキチンと行われていない」事を示しているのではないかと言うことでした。
もっとも自衛隊内部でも文官の認識の違うことはあたりまえとしても陸・海・空それぞれで認識が違うのを感じ、スクランブル出動などでパイロットが個人レベルで死と任務を考えねばならない空自関係者に比べて、上層部の判断を仰ぐ時間的な余裕のある海自や、そもそも国家に存亡に係わる緊急事をこれまで経験したことのない陸自では全く反応が違うように見受けられ、個人的にはその点にも興味を持つに至りました。
歴史認識は別問題としても、迂遠な観念的議論しか行うことの出来ない国会やマスコミ論調の中で、ただ一つ現実とリアルに対峙しなくてはならない自衛隊の皆さんに頭が下がります。
そして田母神前空幕長に対しても、その自衛隊の思い看板を背負ったものだけに持つことが出来る気概と空気感を感じました。
コメント、ありがとうございます!
by たいせい (2009-03-14 17:35)
ナルホド!
あらためて当時を考える良い切っ掛けになりました。
おっしゃるように物事は、マスコミからの垂れ流し情報を鵜呑みにしては
いけないと思っています。
「そう言う考えもあるなぁ」と片目、片耳で聞き、感情で理解出来るか?
確認しながら、自分なりの結論を導いていきたいものです。
by 浜松自宅カフェ (2009-03-14 18:56)
母が台湾からの引き上げ者であるので・・・戦時中の話を非常に身近に聞かされて育ち、興味を持って考えてきました。
お陰で今では右っ!とラベルを貼られてしまっています。
次回の記事にも期待です。
by STEALTH (2009-03-14 21:34)
浜松自宅カフェさん、偶々私の場合はこの記事に書いたような祖父と大叔父がいて、そのおかげで様々な情報に惑わされることなく今の考え方に立ち至ることが出来ましたが、そうでなければどんな考えを持つようになったのかはよく解らないと感じています。
仰るように「感情で理解できるか?」と言うのも非常に重要な視点で、記事中にも書きましたが世代間や地域の中での伝承が途絶えたことにより、個々が「感情で理解」するための判断基準(基準点})を失ってしまい、それによって情報に流されやすい現在の状況が出来てしまっているように思っています。
地域を歩くと本当にいろいろなものがあり、個人の出征記念碑や少し話が変わるかもしれませんが明治用水の記念碑などもその種のもので、歴史を知識として知るのではなく自分自身の身の回りで起こったこととして「身近に感じる」と言うことが非常に大切だと思います。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-16 10:40)
STEALTHさん、昨日偶々機会があり子供達に「お婆ちゃんのお父さんはお婆ちゃんが生まれる前に死んでしまい、お婆ちゃんの顔を一度も見ていない」などの話をしたのですが、子供達は自らと考え合わせて沈痛な顔をしていました。
もちろん「後の世を生きる自分たちのために戦った」「命はお前達にも繋がっているのだから不幸なことだけではない」などと話は続けたのですが、最後の「タバコ止めないと私の子供に命が繋がるのが見れなくなるよー!」と5歳の娘の手痛い逆襲を受けてしまいました。
私たちの世代はSTEALTHさんや私などの例を除いて普通には世代間の伝承を受けられなかった世代だと感じています。
少なくとも自分の知る限りに於いてはこんな形ででも、次の世代に繋いでいく責任があると感じています。
nice! &コメント、ありがとうございました!
PS.
私も友人などの間では「右」と言われることが多いです。
だたこの記事に書いたような経緯もあってそれなりに長い時間の吟味の末に今の考え方があるわけですし、自分なりの根拠もあるわけですから、あくまでも自分がセンターで他の人が右だったり左だったりしているのだとと考えています。
そしてなぜ自分がセンターだと考えているのかを出来るだけ多くの方に知っていただいて、考えていただきたいとの思いでこんな記事を書いています。
by たいせい (2009-03-16 10:53)
日本酒の試飲会、チケットがあれば声をおかけしようと思ってたのですが
、私も自分のを確保するのに精一杯でした。実はズタッフに入りたいと思ったのですがそれも乗り遅れたのでした。
今回のブログの話は仕事がばたばたでゆっくり考えられないのです
by スミッチ (2009-03-18 20:27)
スミッチさん、年度末という事あるのか仕事がとても忙しそうな様子が伝わっていています。
また私ごときのことを近かけて下さり本当にありがとうございます。
季節の変わり目でもありますので、体を壊されることのないようご自愛下さい。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2009-03-19 11:23)