GW渋滞覚悟。妻の実家山陰へ!(島根ワイナリー・日御碕燈台・鬼嫁の陰謀・庭のサクランボ) [「家族」とともに]
ゴールデンウィークに、子供達3人と妻を連れて山陰の妻の実家へ行ってきました。
今回は高速道路の料金値引による大渋滞を懸念して、夜間や早朝の移動を行ったため例年に比べ体力の消耗が激しく「呑んで寝」で過ごしてしまいましたが、それでも妻の実家の家族と義妹の家族と連れだって「島根ワイナリー」と「日御碕(ひのみさき)燈台」まで足を伸ばしました。
何と言うこともない山本家のゴールデンウィーク(GW)です。
「往路の渋滞回避」
今回の車移動はなかなかしんどかったです。
例年の里帰りは愛知を早朝出て、中国道-宝塚トンネルの渋滞を午前10時頃のまだ伸びないうちに通過する目標での日中の移動なのですが、何せ今回は高速道路料金が安いことで渋滞の距離が半端ではないとの事前情報により、夜10時に家を出ての深夜の移動となりました。
前日の道路交通情報を見る限り近年記憶にないほどのかなりの渋滞具合、やはりこれしかなかったとほくそ笑んでの出発でしたが、残念なことに私の方が一週間ほど寝不足で過ごしており体力面でかなり厳しい移動でした。
(出張時など普段は寝ずに500kmや1000km位平気で走ります。長男の里帰り出産時などは)陣痛が始まったとの一報後片道460kmをノンストップ、4時間強後には産院に着いていたこともありました。)
渋滞は中国道の宝塚あたりで2~3kmほどで有り、やはり深夜の移動で良かったとは思いましたが、後部座席ですやすや寝ている妻や子供達が何とも腹立たしく(寝ていて貰わないと困りますし、起きていられたのでは休憩回数が増えて到着に時間が掛かります)、時々PAで止まり顔を洗いながらの移動で午前四時には妻の実家に到着しました。
(本当は妻の実家の迷惑にならないよう、米子道の蒜山SAか大山PAに車を止めてしばし仮眠の後に午前7時~8時頃の到着を目論んでいましたが、いずれのPAも駐車場には車が一杯で本線上にまで駐車車両がある始末。子供達のトイレのことも考えて、迷惑とは思いつつも実家まで行ってしまったというのが正直なところです。)
お義父さんお義母さんと、長女「青葉」
驚いたことに家ではお義父さんお義母さんが起きていらして、部屋には私たちが寝る布団まで敷いてありました。(お義父さんお義母さんに深く感謝しています。)
そこで「寝る前に」と薦められビールを飲んでしまったのが運の尽き、私自身はアルコールと寝るばかりのGWとなってしまいました。
「妻の実家での様子・子供達の成長」
その日の夕方には義妹の家族も到着し、我が家の3人の子供に7歳の「H君」5歳の「Sちゃん」2歳の「Nちゃん」を加え、7歳から1歳の子供6人との賑やかな休日が始まります。
日御碕燈台で食べたイカとサザエ
私自身は今回多くを寝て過ごしましたので端折りますが、その日は羊・牛・豚・鶏のセセリ肉の「四種食べ比べ焼肉焼肉」(セセリ肉がとても美味しい。どこか愛知で置いてある肉屋知りませんか?)、翌日は刺身を酒の肴にしながらの「手巻き寿司大会」、三日目は子供達にも大人気の「特製カレー」でしこたまビールを飲んだことが何やら印象的な数日でした。
子供達はと言うと、今までのように大人が絶えず面倒を見なければならない状況ではなく、小学四年生の「H君」を筆頭に6歳の「青葉」・5歳の「Sちゃん」・4歳の「立夏」までは自分たちで勝手に遊んでいる状況で、これまでにない楽な子供達でした。
(親に頼らない自分たちの世界がちゃんと出来つつありました。寂しくもあり、頼もしくもあり...。)
散歩でのワンショット「立夏」「青葉」「Sちゃん」
毎回の里帰りでは久しぶりに会う甥・姪たちと交わる我が子を見て、子供達の成長を感じたものですが、今後はどんどん様変わりしていくのでしょうね。
6歳の長女「青葉」の自転車&次男「太陽」二足歩行開始 [「家族」とともに]
初めての自転車だよー♪
ここの所6歳に成った長女「青葉」が、毎週土曜日の夜になると毎回口にしていた言葉があります。
「お父ちゃん、明日はどこかにお出かけ?」
「お出かけじゃなかったら、自転車買いに行こうよぉ~♪」
はじめ私にはあまりその気が無く、暫くすると忘れるだろうと毎回いい加減な対応でお茶を濁していたのですが、明確な否定をしてこなかったことで娘は買ってくれるものだと思いこんでしまい、とうとうにっちもさっちも行かなくなってしまいました。
正直に言うと、どんどん体の大きくなる子供の自転車ですから成長に伴い買い換えが必要なので、一年でも遅らすつもりでいました。目処は小学生になってからかな?と思っていました。
また、当然子供とのお出かけの際には長女のみではなく三歳の長男「立夏」や1歳の次男「太陽」とも一緒に出かけるわけで、長女一人だけが自転車だと下の二人との対応が大変だとの頭もありました。
勿論「買わない!」と否定することも出来ましたし娘をそれなりに納得させられる自信もありましたが、私の方も明確な否定をしてこなかったことで「お父ちゃんに買って貰う約束をした」と娘は受け取っていたようで「約束を守れないやつは嘘つきだ!」などと言っていた手前、また毎週末「今週こそは自転車買いに連れて行ってくれるのかなー♪」と満面の笑みで迫られてしまうと、無下にも否定できず買ってしまう羽目に追い込まれました。
(娘に甘いお父ちゃんです。少し反省...。)
初めての自転車にこの笑顔
買ったのは安い自転車だったのですが、娘のはしゃぎようと満面の笑みに「買ってやって良かったー!」と心から思いました。
元々長女は、優等生タイプでがあるもののほとんど物をねだったり我が儘を言う子供ではなく、本人が欲しいと思った物でも私が一度買わないと言うと何度も口に出したりするような子ではなく、それだけに今回の自転車への思いは一入だったのでしょう。
私の方も普段だったら必要がないと思った物についてはどれだけねだっても絶対買い与えることはなく、子供達も「ダメなものはダメなのである!」とお父ちゃんが一言言ったら絶対に買わないと解っているので、それ以上は口に出さないという習慣になっていました。
「ダメなものは、ダメなのである!」理不尽な親のススメ!?(会津藩校日新館十訓:会津什訓):山本大成 「かわら屋の雑記帳」
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-06-11娘の育て方は、男親の私には謎だらけ?(長女と父親):山本大成 「かわら屋の雑記帳」
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-06-13
それが今回は、私自身がいつか近い将来買わなくてはならないだろうとの思いもあって明確な答えを出していなかったのが、かえって長女からすると「買ってくれる物だ」と思い込み「お父ちゃん何時買いに行こうねぇー♪」と実に屈託のない笑顔で毎回迫られては、本当にひとたまりもありませんでした。
個人宅開放「チューリップ祭り」&東端・西端の屋根・外構-プロローグ [「家族」とともに]
4月12日(日)に家から車で15分ほどの東端(ひがしばた:安城市)にある個人宅を開放した「チューリップ祭り」に行ってきました。
そして妻がお茶出しなどの手伝いをしている間に、ベビーカーに乗せた次男「太陽」の面倒を見ながら近所を散策したら気になる屋根や瓦の外構での使用例を見つけましたので、次の記事へのプロローグを少々。
珍しく妻がカメラマン
このお宅を知ったのは、妻の生け花・お茶の師匠である内藤満里子先生を通してで、我が家がお邪魔するのも今年で2~3回目になります。
鬼嫁の向上心!?(子育てしながら習い事:着付け·生け花·お茶·そして仕事...。和服·茶道)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-11-02花と自然と愛のある生活―満里子スタイル
http://mariko-style.com/
個人宅を開放とは行っても言葉面でイメージするようなこぢんまりとしたものではなく、よく手入れされた広い庭と実際住んでいらっしゃる家屋を会場に、その集落を挙げてのイベントの様な設えで毎回多くの人出に驚かされています。
受付付近(かなりの人出です)
今回は爽やかな気候に天気も非常に良く、やはりボランティアで開放してくださっている近所の石材店に車を置いて3分ほど歩いて会場であるI邸に向かいます。
狭い路地を歩き会場が目に入ると、早速目に入る鮮やかなチューリップの色彩に目を奪われてしまいました。
裏庭の木々や植物も、春らしい華やかさに包まれていました
建物の脇をすり抜けて裏庭に回ると春咲きの木々や草花がやはりあでやかで、この家の方の並大抵ではない情熱の深さを感じます。
6月の初旬に今度は内藤満里子門下生(うちの妻も含まれます)で、この家の庭の草花を使った生け花をさせていただけるようなのですが、いつも来る春とは違った庭の装いを見られるのを楽しみにしています。
(私も見られるチャンスがあるのかな?:門下生ではないのですが、一応子供達と共に取り巻きのつもりなのですが...。)
裏庭で見つけた瓦の廃材利用
「いちご狩りでお腹一杯だよぉー♪」 長女の誕生日イベント [「家族」とともに]
長女「青葉」6歳の誕生日の翌日(鯉のぼりを上げた日の午前中)、誕生日イベントとして家族で「いちご狩り」に行ってきました。
例によって完全親バカ記事(と言うよりも単なる日常)ですので、興味のない方は読み飛ばしてください。
(季候も良く進級シーズンでもあるこの時期は、イベントが多く記事で追っかけるのが結構大変です。ようやく追いつきました。)
「誕生日には何がしたいー?」
長女に対する妻のその一言から、今回のいちご狩り決まりました。
ただ行こうと決めた2週間前と遅くネットで調べてみると昨年行った所を始め、どこも予約満杯でハイシーズンの日曜日など全く予約できそうにありません。
それでも娘のためにと妻が調べようやく見つけた先が大府市の「茜園」というところで、4月5日分の予約日3月24日には妻が朝から何度も電話をかけなおしお昼近くにやっとつながった電話で何とか予約を確保しました。
その夜、いちご狩りが確定したと聞いた青葉の嬉しそうな顔は忘れられません。
大切そうに収穫したイチゴを運ぶ「青葉」
当日朝、「今日はいちご狩り♪、今日はいちご狩りー♪」という子供達の声に朝早くからたたき起こされ、そそくさと茜園に向かいました。
一昨年行った「南知多いちごの里」はアキヒメ(章姫)の水耕栽培だったのですが、今回はトチオトメ(栃乙女)の土耕栽培で、ハウスの苺畑の畝の間を弾んで子供達はいちごを摘みに向かいます。
一心不乱にイチゴを摘む「立夏」
妻も子供達と一緒に収穫
(土耕栽培は畝の間の通路が狭く子供達でもすれ違えないのが難点でしたが、水耕栽培よりもいちご狩りの雰囲気があったと感じました。ただ、印象ですが一昨年のいちご狩りで食べたアキヒメの方が甘みも酸味も強く、美味しかったような気がします。)
保育園入園式&長女誕生日 「子供の成長とは?」 [「家族」とともに]
4月4日(土)は、長女「青葉」の6歳の誕生日。
ちょうどこの日に「青葉」と3歳の長男「立夏」の通う「よしいけ保育園」で入園式があり、今月から通うことになる1歳の長男「立夏」を連れて、家族で行ってきました。
門の前で記念撮影
今日の記事は入園式&「青葉」の誕生日について、そして子供の成長に関する親の係わりについて少し思うところがありましたので書かせていただきます。
入園式と言っても一学年の全てが新入学する小学校・中学校とは違い保育園の場合は各学年に少しずつ新入園者がいますので、実質的には始業式と変わりません。
またクラスも多少の変動はあるもののクラス替えのようなこともなく一クラスがそのまま上のクラスに上がるだけで(年少だけは二クラスに別れます)、やはり学校などとは少し様子が違います。
ただ私たち保護者としては担任の先生が替わるわけですし、何と言っても今回は「立夏」が未満児から年少組に上がりスモッグを着るようになったのと(これまでは私服)、「太陽」が初めてお母ちゃんの手元を離れて保育園に行くことになる事で、特に新鮮な気持ちでの登園でした。
庭での記念写真
娘の時にも感じたのですが、やはり初めてのスモッグは初々しくてとても新鮮でした。
「立夏」は嬉々として足取りも軽く保育園に向かって歩き出します。
保育園に着くとクラス毎に出欠を確認し、それぞれの部屋に別れます。
私たち保護者は担任の先生を受付の場所で確認してホールに入り式の始まるのを待つのですが(子供達はクラス毎にまとまって入場)、「太陽」は初めての保育園で保母さんに預けての式となります。
園長先生のお話(この先生がカワラダンスをやろうと言い出してくれました)
この保育園では毎回保育士の先生方による出し物が面白く、入園式では保育士の紹介と言うことで2~3名のクラス担任単位で寸劇を繰り広げてくれます。
今回も笑わせていただきました。
(どこの保育園でもやっているのでしょうか?:私はこれが楽しみで保育園に行っているような気がします。)
こんな雰囲気(保護者席は園児達の後)
式が終わり園児達が教室に戻った後で保護者の会の役員選出なのですが 、くじで妻が役員を引き当ててしまいました。
娘のクラスのホワイトボード
その後各クラスに別れて説明を聞くのですが、私が長女の担当・妻が長男の担当とあらかじめ話をしてあり、私は「青葉」のクラスに向かいます。(次男は預けっぱなしです。何せ私たちは二人しかいませんので。)
娘のクラスに入って私は話を聞いたのですが、娘の姿に目を見張りました。
他の子供達は先生が話をしている際にも遊んでいたり友達同士で話をしていたりする子が目立っていたのですが、「青葉」に関しては私が教室に入室する際にこっちを見て少しニコッとしたのみで、ちゃんと椅子に座りずっと先生の話を真っ直ぐ聞いています。
周りがざわついても微動だにしない様子は、なんだか健気でもありました。
娘は誕生日が4月4日と早いこともあって(小さな頃は早生まれと遅生まれでは同じ年齢でも全然違います)物わかりも良く様々なことが誰よりも先に出来るというのが自分自身の自慢で、その事もあって先生の言うことを素直に聞いて真面目に取り組む姿勢が生まれたようです。
ただ年中・年長と成長するに従い他の子供の方が自分よりも良くできることが幾つもできはじめ、娘なりには悔しい思いもここ数年来経験するようになったようです。
親としてもその様子には気がついていましたのでクラスの中での娘の様子が気になっていましたが、素直で真っ直ぐな様子が変わっていないのを見てなんだかジンとしてしまいました。
山本家オトコ軍団お散歩&散髪&十六島(うっぷるい)岩海苔 「長男の成長」 [「家族」とともに]
せんだって日曜日、妻と5歳の長女「青葉」が美容院に揃って髪を切りに行った隙に、天気の良いのに誘われ3歳の長男「立夏」と1歳の次男「太陽」と連れだって近所のお散歩に行ってきました。
どうと言うことのない親バカ記事ですので、興味のない方は読み飛ばしてくださいませ!
桜は、まだ開花したてでした
このメンバーでのお散歩は今回が初めてでした。
と言いますのも次男は2月末に1歳になったばかりのようやく伝い歩きが出来はじめた幼児で、これまでの外出は妻と他の子供も含む5人でのお出かけとなり、妻がいない状態での外出は長男の入院中に5歳の「青葉」と私の3人で一度出かけたことしかありません。
娘の成長「子供二人と亡き祖母の残した乳母車で散歩♪」
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2009-03-04
今回の外出はその際の散歩の話を聞いた「立夏」が悔しがり、「ボクもおとうちゃんと太陽くんといっしょにおさんぽしたいー!?」との言葉が発端でした。
立夏:「たいよう君は、ボクが押すもんねぇー♪」
「立夏」は、「オトコのさんぽー♪」「オトコのさんぽー♪」と唱えながら、足取りも軽く乳母車を押して歩いていきます。
(一月前の入院騒ぎが夢のようです)
乳母車に乗った「太陽」もいつもとは違う雰囲気に、どことなく楽しそうです。
電車見物が「立夏」のお気に入り
行き先は名鉄三河線の三河高浜駅。
お目当ては勿論、電車見物です。
(「立夏」は電車を見ているのがとにかく好きで、たまに名古屋に出かけたときなど「新幹線を見に行こう!」と私の手を引っ張り、一旦新幹線ホームに上がるとしばらくの間はテコでも動きません。)
線路の前でポーズ!?
今回の散歩は、「そろそろ自分がお兄ちゃんだと言う自覚が生まれだしている」様子が見受けられました。
電車を見る際も自分だけの楽しみの世界に埋没するのではなく、弟である「太陽」の様子をあれこれ気遣って、
「たいよう君、電車もうじきくるからねぇー♪」「(踏切が)カンカン鳴っているのきこえるぅー♪」など盛んに声を掛けている様子を、大変微笑ましく眺める私でした。
「太陽」にしてもお兄ちゃんが隣にいる安心感からか?私が少し二人から離れても全く動じずニコニコしています。
少し前なら写真を撮ろうとちょっと離れただけで、泣きながら全速力のハイハイで追いかけてきた「あの太陽」がです。
娘の成長「子供二人と亡き祖母の残した乳母車で散歩♪」 [「家族」とともに]
日曜日、5歳の長女「青葉」と1月25日にようやく1歳となった次男「太陽」と乳母車で散歩に出かけました。
3歳の長男「立夏」の入院で付き添いの妻と二人の家族を欠く我が一家の様子を、記事にさせていただきます。(娘の振る舞いに子供の成長を感じ、嬉しくなりました...。)
乳母車に乗る長女「青葉」と次男「太陽」
原因不明の難病「川崎病」で長男入院:山本大成 「かわら屋の雑記帳」
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2009-02-28
(2月28日には田母神前空幕長の講演会に行ってきましたが、その件に関しては後日記事にするつもりでいます)
先々週半ばから高熱の出ていた長男「立夏」が先週月曜日から入院し妻が付き添いにつくことになりましたので、残された二人の兄弟にとっては突如として母親と接する機会が無くなったことになります。
また私は仕事があり子供達の日常的な世話をお婆ちゃんに任せざるを得ないこともあって、この日曜日には久しぶりに家にいる二人の子供と過ごそうと、乳母車に子供達を乗せ近くの公園「沢渡夢広場」まで散歩に行ってきました。
この乳母車は二十年前になくなった祖母の残した乳母車で、私の子供が生まれた時点できれいにサビを落として車軸などにも油を差して復活させたもので、私の母が子供達を連れて外出する際などによく使っている今も現役の乳母車です。
亡き祖母の乳母車を復活させました!:山本大成 「かわら屋の雑記帳」
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-01-29
特に乳飲み子がいる場合に乳母車は大変便利で、床の上に寝かせておいても良いし、座らせてオモチャなどで遊んだり縁を掴んで掴まり立ちすることも出来ますし、進行方向を見ていることも押し手と話をしながら進むことの出来る、ベビーカーよりも便利で楽しい移動手段だと思い我が家では愛用しています。
(唯一の欠点は、ガタイが大きく車になかなか積めないこと)
二人乗ると満員
今回も最初は5歳の「青葉」まで乳母車に乗りたがり、二人の子供が乳母車の中で遊んでいるのを私が押すというそんな形で公園まで歩いていきました。
久しぶりに時間に追われていない父ちゃんとの時間で、子供達は終始にこやかな表情。
「太陽」は体を揺らしながら奇声を発したり、掴まり立ちしたりと終始ゴキゲンで散歩の時間を過ごします。
縄跳び中の「青葉」
公園に着いたら「青葉」は乳母車を飛び降り持ってきた縄跳びを手に「お父ちゃん、見て見てぇー♪」と縄跳びを始めます。
(ピロートークの場などで縄跳びの話は何度か出ていましたので、何時か父ちゃんに飛べるところを見せようと子供心に狙っていたのでしょう。)
1歳になったばかりの次男「太陽」
次男の「太陽」の方は、家にいるときのように「抱っこ抱っこー♪」と泣き出すでもすり寄るでもなく、ただじっと私の顔を見て終始ニコニコと愛想を振りまきます。
思えば長男「立夏」の入院以来 常に時間に追われる日々が続き(早く帰れる日は病院に行って妻と交代で付き添いを務めていました)子供達と水入らずで過ごす時間を作ってあげらずにいたわけで、こんな些細な時間すらも貴重に思える事に気がつきました。
原因不明の難病「川崎病」で長男入院 [「家族」とともに]
この記事は一定期間後予期無く削除もしくは、内容の大幅修正をする可能性があることをお含みいただいた上でお読み下さい。
3歳9ヶ月の長男「立夏」が先週後半より39~40度の高熱となり、掛かり付けの病院に行って点滴を受けたり風邪薬を中心とする薬を出していただいたにも係わらず症状の改善が見られませんでした。
「立夏」は2歳くらいまで頻繁に熱のでる子供で、いつもは熱が39度くらいあってもほとんど普段の様子は変わらずに鼻水を垂らしながら遊び回っているのですが今回に関しては首筋やお腹に痛みを訴えグッタリした様子で、普段の発熱の様子とはかなり違う雰囲気にただならぬ気配を感じていました。
週末そんな様子で「立夏」を気遣いながら過ごした後、月曜日の朝一番に妻が病院に連れて行くと「川崎病」の可能性があるとの診断で、即座に近くの総合病院へ入院することとなってしまいました。
川崎病のお勉強
http://www.lares.dti.ne.jp/~sky2/kawasaki/kawasaki.htm川崎病の子供をもつ親の会
http://www.kawasaki-disease.gr.jp/index.html川崎病 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E7%97%85(おもに乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患。1961年に日本赤十字社の小児科医・川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。病名は発見者たる川崎医師にちなみ、川崎市や川崎公害、川崎医科大学とは無関係。)
「川崎病」。はじめ聞いたときはどんな病気かよく解らず、ネットで調べたら大変な病気だと言うことが解りました。
「今の医学を持ってしても原因不明の血管の病気で、高熱が数日続きなかなか下がらない」
「罹患中に主に心臓の冠動脈に動脈瘤が発生する場合がそこそこ有り、後遺症として心臓疾患が残る可能性がある」
「学校に行くようになってからも運動制限が必要な場合がある」
「その心臓疾患が原因の突然死で亡くなる子供が居る」
妹の長男が先天性の心臓疾患を持っていて、妹が語っていた「心臓が悪くとも良くともこの子は私の子供、心臓の健康な別の子供と取り替える機会があったとしてもそのつもりはない」「仮にこの子がどうであれ、『この子の個性』と考えるようになった」との言葉と当時の闘病の様子を目の当たりにしていました。
(今は手術で完治し、この3月に中学卒業の健康なスポーツ少年です)
自分の子供については、歯が生えてくるのが標準よりも半年遅くともアトピーになろうとも、動ずることなくありのままを受け入れ親として出来ることを冷静にするという姿勢を妻も私も貫いてきたつもりなのですが、今回の「川崎病」との診断で自分自身の精神の未熟さに直面しました。
雪辱!「伊勢神宮初詣-外宮編」 &友人の結婚式(今年もまたチョンボ!?) [「家族」とともに]
毎年1月の終盤-節分前に、家族で伊勢神宮に初詣に出かけています。
昨年は早朝家を出て伊勢神宮に向かったのはよいのですけれど、子供達の靴を忘れるという大失態を演じてしまい、子供達の「連れて行ってー!?」の声の中家族を駐車場内の車に待たせて、私が一人で山本家を代表して参拝せざるを得ないという大失態を演じてしまいました。
今年はそれを教訓に、決して忘れ物がないように注意して伊勢神宮に向かったはずだったのですが...。(とある事件が!?)
そして家族ぐるみでお付き合いさせていただいている妻の友人の結婚式が伊勢市内であり、その件と併せて記事を書かせていただきます。
昨年あったのはこんな事件です。
嗚呼、痛恨の「伊勢神宮参拝」!?:山本大成 「かわら屋の雑記帳」:So-net blog
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-01-15
伊勢神宮に今年も行くと家族に伝えたら、やはり子供達からは「クツ忘れないでねぇー♪」「太陽くん(次男)のベビーカーもだよぉー♪」の声、妻からは「前の日から車に積み込んでおきなさい!?」とのきついお達し。
昨年の事件は、家族の脳裏にしっかりと刻み込まれているようです。
前日の夜から強い雨と風が吹き荒れていたこともあり、いつものように朝一番の伊勢神宮参拝は諦め(内宮近くの駐車場に止められます)、午前11時から始まる結婚式の少し前に伊勢市に入り、天候と時間の余裕があったら外宮を参拝。
結婚式に家族で参加した後(式のみの参加なので)内宮の参拝を行うというスケジュールで、午前7時半頃家を出発しました。
伊勢神宮-外宮 入り口
途中車中でおにぎりを食べ一カ所のトイレ休憩のみで、午前10時には外宮近くの結婚式の会場に到着しましたが、雨が上がっていたこともあってやはり外宮を参拝しようと言うことになり、車を外宮正門脇の無料駐車場に入れて参拝しました。(天候のおかげか?駐車場は随分空いていました)
伊勢神宮-内宮には結婚以来毎年行っているのですが、外宮には子供が出来て以来一度も足を向けておらず久しぶりの参拝です。
神域を進むと木々の間に正宮の屋根が見えます
子供達に、「外宮は『みけの神』と言って毎日ご飯をちゃんと食べられるのは、このにいる神様のおかげなんだよー!」「毎日内宮にいる天照大神様にご飯を運んでいるんだよ!」などと真偽の程は定かではないウンチクを聞かせながら、神域内の参道を進みます。
遅ればせながら山陰の妻の実家での正月について [「家族」とともに]
お正月はとうに過ぎて今は1月後半でありタイミング遅れのきらいはありますが、定例記事でもありますのでお正月休みの妻の実家山陰訪問について記事にします。(純粋親バカ記事ですのであまり期待しないでください。)
今回の里帰りは私の休みの始まりがなかなか決まらなかったこともあって航空料金の安い12月25日に妻と子供達は飛行機で先に向かい、私の方はと言うと30日やっと仕事がかたずき大晦日に車で山陰まで走っていきました。
妻と子供の里帰り&クリスマス・お正月手作り小物
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-12-27
当初の天気予報では大晦日から1月4日頃まで雪の予報で、子供達と雪遊びをするのが楽しみだったのですが、行ってみると連日のベタ雪に道はずっとシャーベットと深い水たまりで、子どもが風邪気味だったこともあって初詣にも出かけられず家の中に籠もりきりのお正月でした。
(雪という普段仕事で行く東北の乾いた雪の印象が強かったのですが、これも雪国の一つの側面なのだと勉強になりました。)
子供達はと言うと、雪が降っていたので明日こそは雪だるまや雪合戦で遊べると毎日ワクワクしていたようでしたが、朝がた道の様子を見に行った私の「今日も水たまりで遊べそうにない」との声に、落胆を繰り返していたようです。
それでも後半になるとシャーベットと水たまりも消えて道が乾きましたので、ようやくOKを出して私と5歳の長女「青葉」、3歳の長男「立夏」と一緒にお散歩に出ます。
ただ当然の事ながらその頃には雪も随分消えており一部の日陰や芝の上などに少し残る程度しかありませんでしたが、それでも愛知に住む私たちにとっては珍しい雪には違いなく、雪を集めて山を作ったりトンネルを掘ったり棒でつついて雪を飛ばして私に何度も怒られたりと子供達は大はしゃぎでした。
妻の実家には盆正月の年二回(場合によってはゴールデンウィークも)里帰りをしており、そのたびに義妹のところの子供達と我が家の子供達との交流があります。
年齢的には義妹の長男「Hくん」が小学一年生、「青葉」「Sちゃん」が年中組、「立夏」が未満児、「Nちゃん」が1歳、「太陽」が0歳と遊びたい盛りの年の近い子供達で、毎年相手をするのに相当のパワーが必要で今回も覚悟をしていましたが、今回は意外なほど疲労感が残らず拍子抜けをしてしまいました。
妻と子供の里帰り&クリスマス・お正月手作り小物 [「家族」とともに]
12月25日のクリスマス。
妻と子供達はまだ仕事が残っている私を残して、中部国際空港(セントレア)より妻の実家の山陰へ一足先に帰っていきました。
今回はその記事と、妻と子供達が作った「クリスマス」&「お正月」の小物たちを紹介させていただきます。
(何らテーマのない「完全親バカ記事」です)
(妻と子供達の里帰り)
いつもならば車で一緒に帰る妻の里帰りなのですが、今回は私の仕事納めが何時になるのかよく解らなかったこととで、一月前予約なら安く航空券の買える「旅割り」の設定がある最終日、12月25日の里帰りとなりました。
ANAカウンターのオブジェクト(中に飛行機が入っていました)
仕事を早めに上がると一旦家に帰り、妻と子供を車に乗せて中部国際空港(セントレア)まで私が送ります。
実はここ一週間ほど我が家には風邪が蔓延しており、最初3歳の長男「立夏」がハナタレ小僧になったと思うと、あっと言う間に月齢10ヶ月の次男「太陽」そして私へと広がっていきました。
ここで歯止めが掛かるかと思ったのですが3~4日ほど経つと妻の「丸美」、そして24日にはとうとう5歳の「青葉」までもが胃腸風邪にかかり、一家5人全員が風邪の真っ最中という、実に悲惨な状態での里帰りです。
それでも子供達は不思議なもので、「明日お爺ちゃんとお婆ちゃんのところに行くから」と伝えると、鼻を垂らしながらもそれまでグッタリしていたはずの子供達が、飛び回ってはしゃぎ回るようになりました。
「みんながいなくなると、父ちゃん寂しいよ!」と私が何度繰り返しても、子供達は既に妻の実家で久しぶりに会うお爺ちゃんお婆ちゃん、そしておじちゃんのことで頭がいっぱいなのか?、ほとんど聞く耳を持ってくれません。
この反応を、私としてはとても寂しく感じました...。
(出張などで一週間くらい家を空けることは頻繁にありましたので、まぁ仕方のないことなのかもしれませんが。)
乗った飛行機は、はるか遠くに小さく見えるボンバルディアのプロペラ機
空港はクリスマスムード一杯でしたが、搭乗前に食事を済ませてしまわなくてはならない私たちはあまり時間の余裕が無く、飾り付けを駆け足で横目に見ながらフードコートで急いで夕食を採ります。
私たちは焦って急き立てたのですが、ものに動じぬ子供達がいつもの調子で食べているうちに、何時しか指定された時間となり、食事を中断しあわてて保安ゲートに向かいます。
「父ちゃん、バイバイ!」
なんとか僅かな遅れで保安ゲートに着くと、妻に急き立てられ真っ直ぐにゲート内に入っていきます。
私:「いってらっしゃーい!」
長女・長男:「いってきま~す♪」「いってき まんもすぅーー♪」
長女が一度立ち止まって振り返り:「おとうちゃーん、はやくむかえにきてねぇー♪」
この一言に私は救われ、慌ただしいながらも妻と子供を送り出したと言うわけです。
中部国際空港のイルミネーション(子供達と一緒に見たかった!?)
感謝感激!。今度は「親ガニ」(メスの松葉ガニ)をいただきました! [「家族」とともに]
先日松葉ガニの記事を書いたばかりで恐縮なのですが、またまたカニをいただいてしまいました。
親ガニはミソが絶品
送り主は、やはり妻の実家。
先達ってはオスの大きなカニばかりだったのですが、今度はいずれもメスの「親ガニ」(別名:せいこガニ・セコガニ・香箱)、身を味わうと言うよりもミソの味が絶品。
私の方の両親や、妹の嫁ぎ先・弟の所などにもお裾分けして、皆で美味しくいただきました。
やはり前日に、山陰にある妻の実家からの電話。
「今度は、親ガニを送っておいたから!」
前のカニをいただいた記事を書いて数日後のことで、催促になってしまったのでは?と恐縮しつつ、電話があった旨を妻から聞きました。
妻の実家からの松葉ガニ &妻と子供の手作り小物(おまけで「虹」)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-12-01
保冷箱にいっぱいの親ガニ
家の近くの取引先と打ち合わせをしていたこともあり、昼に一旦家に帰って届いた保冷箱をあけビックリ!
なんと30匹もの生きた「親ガニ」が送られていました。
早速妻とも話し合ってお裾分けの段取りを済ませ、また仕事に復活です。
カニは茹でるのではなく、蒸します
仕事を終えて家に帰ると、保育園から帰った子供達が「父ちゃん、またカニが届いたよー!?」と私にまとわりつきます。
台所からはカニを蒸している特有の匂いが、漂っていました。
(大量に茹でるのならば茹で汁にもカニの味が移っているのでよいのでしょうが、家庭で少量扱う場合は茹でてしまうとカニの味が流失します。従って調理法は「蒸す」です。ワタリガニや他の甲殻類でも蒸した方が美味しいと思います。)
妻の実家からの松葉ガニ &妻と子供の手作り小物(おまけで「虹」) [「家族」とともに]
先週、山陰にある妻の実家から例によって「松葉ガニ」を送っていただき、家族で美味しくいただきました。
今回はこれと、拾い集めた落ち葉やドングリで妻と子供が「小物」を幾つか作りましたので紹介させていただきます。
(長期優良住宅についての法案が、先週木曜日(11/25)参議院を通過し成立しました。先進的モデル事業の第2回目の公募結果も19日に発表となり、いわゆる200年住宅についての記事を数日中にUPしたいと思います。)
前日に、「カニを送っておいたから」と妻の実家から入ったありがたい電話。
仕事を早めに切り上げ帰宅し、保冷箱を明けてビックリ。
「今回のカニはとても大きい!」
5匹入っていました
それも全て生きた松葉ガニで、口から泡をブクブク吐いています。
恨みがましいこの目つき。どうせもうじき「釜ゆでの刑」
今年はどうもカニの水揚げが少ないらしくあまり期待していなかっただけに、突然のいただき物に家族みんな大興奮。
階下の私の両親にもおすそ分けし、早速釜茹でし、その日の夕食となりました。
足の落ちたものですが、毎年大量に送っていただいています
親ガニ(北陸では別名「香箱」:メスのカニ)も毎年いただけるのですが、今年は不漁でオスばかり。(親ガニは、甲羅にびっしり詰まった内子が絶品。)
ただ親ガニの場合小さいため身が少なく、我が家のように自分でカニの身が取れない子供のいる家庭ではカニをほじる(三河弁?)のが精一杯で親の口にはなかなか入らないのですが、今年はおかげで私たち夫婦も十分カニを堪能することが出来ました。
子供達もお腹いっぱいになるまでカニを頬張りました。
義父さん義母さん、本当にありがとうございました!
鬼嫁の実家から大量の「松葉ガニ」が届きました。(松葉がに・ズワイガニ)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-12-10
(昨年松葉ガニをいただいた際の記事です)
ドングリ&落ち葉の小物
さて、やはりここ数日のことなのですが、妻と子供が散歩中に拾ったドングリや落ち葉で、さまざまな小物を作っているようです。
妻が前記事で紹介した内藤満里子先生の教室に通うようになったことも、こんな物が作りたかったからのようなのですが、ここに来て子供達を巻き込み始めました。
千万町茅葺き屋敷&二段ベッドと山本家 [「家族」とともに]
もう一ヶ月前のことになりますが、妻の生け花とお茶の師匠である内藤満里子先生のインスタレーション『色・風・想ひ』に岡崎市外れの山里にある「千万町(ぜまんちょ)茅葺き屋敷」に家族で行って参りました。
妻の作品の撤収で26日(日)の夕方に現地に行かなかくてはならなかったのと、夜間のライトアップが見たかったこともあり、25日夜に現地入りし近くで宿泊、そして翌26日と家から片道1時間半ほどの行程ではありましたが久しぶりの家族での小旅行となりました。
家族で「千万町茅葺屋敷」に行ってきました!(追記あり)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-10-11(夏に行ったときの記事です。天気の良いときの千万町萱葺き屋敷の様子は、こちらをご覧下さい)
現地に入ったのが土曜日の午後6時頃、終わりまでいると子供達の食事やお風呂が大変なので少し立ちより早々と宿に入る予定でしたが、諸般の事情で子供達と共に少し周りを歩き回り屋内も覗かせていただきました。
屋外にはロウソクをしつらえた手作りの灯りが設置してあり、風情のある良い雰囲気になっていました。
屋内の囲炉裏端を覗くと、今年1月結婚式で見知ったA子さんのご両親が五平餅を頬張っていらっしゃり挨拶を交わし少し話をさせていただいた後、宿泊先の愛知県野外教育センターに向かいました。
(A子さんY君、前売り券を5枚も買っていただきありがとうございました。ご両親は初孫の誕生を本当に楽しみにしていらっしゃいました。)
妻から「二往復をするのは大変だから満里子先生と同じ宿を取っておいた」と言われて、予備知識無く愛知県野外教育センターに行ったのですが、何やら見覚えのある建物の雰囲気でした。
小学校の「緑の学校」の際にはここに来た様な気がするのですが、ひょっとしたらJCの現役時代にここを使った事業か何かで来ていたかもしれません。
愛知県野外教育センターのオフィシャルホームページ
http://homepage3.nifty.com/yagaicenter/
この宿は大変安いのが魅力。(でなければこの困窮期にわざわざ宿泊したりはしていません。)
小中学校などの緑の学校などのために県が作った施設で、一室に二段ベッドが3台(6人分)と4畳半ほどの畳スペースがあり、もちろん冷蔵庫もTVもありません。
コンセントもなく携帯電話の充電には困りましたが、なんと私の使っているAUでは電波の届かない地域のようで、携帯電話自体何の意味も持ちませんでした。(それが翌日の騒動のタネに...。)
二段ベッドで大興奮の子供達
子供達は二段ベッドに大興奮。
部屋に入るなり歓声を上げ、二段ベッドのハシゴを登ったり降りたりと大騒ぎでした。
5歳の長女「青葉」と3歳の長男「立夏」は、「ワタシは上で寝るぅー♪」「それじゃぁボクは下で寝るぅー♪」と目をキラキラさせて相談しています。
妻の誕生日に子供達とケーキ作り(何と私が作りました) [「家族」とともに]
先週、わが妻「丸美」の誕生日が有りました。
数週間前に、お母さんの誕生日にお母さんに内緒でプレゼントを用意する絵本を子供達の寝かしつけのピロートーク代わりに読んだ影響で、娘から「お母ちゃんの誕生日には、ナイショで何かしようよ!?」との提案がありました。
妻のいないときに何度か子供達と相談をした結果ケーキを作ることに決め 、私と5歳の長女「青葉」、3歳の長男「立夏」と一緒に、何と初めてのケーキ作りにチャレンジしました。
手作りケーキを囲んで
実は私は遙か昔の30年ほど前、クッキーやパイやシュークリーム・パンなどを自作で作ってみたことがあります。
(パンが始まりだったと思います。イースト菌で生地が膨らむ様が面白く、また妹が面白そうにやっていたのに影響され、自分でもやってみようとチャレンジしたように覚えています。)
ただその時の印象では。洋菓子の最高峰はケーキでとても素人には手が出せないモノだと思っていました。
昨年のクリスマスに、妻がスポンジケーキを買ってきて泡立て器で作った生クリームを塗り、苺を載せて自作のケーキを思いの外簡単に作ったのを目の当たりにした印象が娘の頭に残っていたようで、私は抵抗していたのですが娘がどうしてもケーキにこだわりました。
一昨年・昨年のクリスマスケーキ
妻と娘の手作りケーキ・手作りツリー(クリスマスイブの夜)
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2007-12-25
やはり洋菓子の最高峰「ケーキ」へのチャレンジというのは私には気が重く、当初は別のお菓子を子供達と作ろうと思っていたのですが、数日スーパーを一人で物色した結果、電子レンジで簡単に作れそうなスポンジケーキが永谷園から出ているのを発見し、「これだ!」と閃きケーキに確定しました。