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私の父の教育(人と違うことこそが素晴らしい!) [「家族」とともに]

 私は父に感謝しているところが一つあります
 それは、自分の価値観を持つことが何よりも大事だと小さな事から教えられたことです。
(他にも沢山あるのでしょうが、まだ生きておりあまりほめると調子づきますので....。)

 

 小学生の頃、超合金「マジンガーZ」のオモチャ(アルミダイキャスト製で関節部分の動く物です)が流行り、私の友達のほとんどが持っていました。
 家で「友達がみんな持っているから、買ってー」と父に頼むと、帰ってくる言葉はいつも決まっていました。
「人は人、オレはオレ。みんな持っている物でも、オレはいらないと思うから買わない!」

 

 かと思うと、子供が自分なりにきちんと欲しい理由を説明でき、納得させられた場合には、顕微鏡や天体望遠鏡のような誰も持っていない高価な物でも、買ってくれる親でもありました。
(高度経済成長下で商売をやっていましたので、お金がなかったという理由ではなかったはずです。:正確には、家や仕事のの手伝いなど必要なお金を稼ぐ方法を教えてくれました。)

 

 そして、「みんながこう言っている」と言う言葉を吐こう物なら直ぐに、「おまえはどう考えるんだ?」と畳みかけてきて、私自身の考えを言わせられたのも記憶に残っています。

 つまりは「みんなが」と言う言葉が大嫌いで、常に主体性を持った「自分で考え」「自分の言葉で話せ」と言うことで、百人の内99人が「そうだ!」と思ったことでも、自分の頭で考えた結果が違うのならば「みんなの方が間違っているのだ!」と、口を酸っぱくして言われた覚えがあります。
(そのかわり「△△△くんが出来るのに、お前はどうして出来ないんだ!」などと家で言われたことは一度もありませんし、「近所に恥ずかしい」とか「世間に恥ずかしい」とかの集団の中でどう見えるか?と言う観点で叱られた記憶も一切ありません。)


 しかし学校のような集団生活の中にはいると、なかなか一筋縄ではいきません。
「みんなが○○○だと言っているのに、どうしてお前だけちがうんだ!?」
「みんな□□□が出来るのに、大成君だけどうして出来ないのー!?」
 クラスの友達や場合によっては担任の先生から、数限りなくそんな言葉を浴びせかけられました。

 そりゃぁ当たり前です。
 家で父親から口を酸っぱくして、自分で考え自分の価値観を持てと教えられてきたので、みんなが○○○だと思ったとしても私には納得できないことなんて多々ありましたし(場合によってはみんな賛同できることは「どこかに嘘があるはずだ」とはじめから疑ってかかる場合すらありました)、□□□が自分の価値を見いだすことが出来ないことであれば、全くやる気になりませんでしたから....。
(当時は勉強をすることの意義が理解できませんでしたので、宿題もやらず、興味がある教科以外の成績も惨憺たる物でした)

 そして、「先生よりもオレの方が正しい!」という親でしたので、その薫陶を受けた私も権威が嫌いで先生の言うことも素直に聞けない子供に育っていました。


 クラスの中に異分子が居ると、組織の中ですので排除の圧力がかかります。
それが切っ掛けで、いじめられて家に帰ったときの父の言葉が今でも忘れられません。

「人と違うことを、考えたり言ったり出来ると言うことは、本当に価値のある素晴らしい事なんだ!」
「人と違うことこそが、お前の価値なんだ!」


 いまでもそれが自分の原体験だと思っています。
 おかげで、今の私があるように思います。

 「自分の価値観を持て!」と、言うはたやすいですが、いざ自分が人の親となり、それを実行するのは大変な忍耐と苦悩が要求される事にも気がつきましたが、自分の子供には「回りに左右されない、自分の価値観を持ちなさい!」という父から伝えられた「私の価値観」を途切れることなく伝えてゆきたいと考えています。

 

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PS.
 考えてみると、我が家は理屈っぽくてひねくれ者の家系。(そしてちょっとアウトサイダー的?)
 こんな風だから、自己中心的な「ひねくれ者」を沢山排出しているのかもしれません....。

 

PS2.
 ”自分だけのOnly One”という言葉が数年前にはやりましたが、その当時のこの言葉の受け取られ方と風潮が私はすごく嫌でした。
 Only Oneという言葉は本来、価値の創造と、その中で誰よりも努力した者だけに与えられる称号であるはずなのに、実態は自分の中に良いところを見つけ、その自分に安心し安穏とする雰囲気しか伝わってきませんでした。
 「自分の価値観を持ちそれを徹底する」というのは、当然「出る杭」になりますし、それをし続けるには「自分を磨き続ける」しかありません。

 それを子供に伝えるのは、当然辛いことが多く、自分にそれが出来るのか不安でなりません。


 


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コメント 4

アキラ

素晴らしいお父様で・・・・
是非ともお子さんに繋いでください。
子供が「みんなが・・・」と言うときには、「何人のみんなだ?」と聞いていたことを思い出しました。
by アキラ (2006-11-10 18:25) 

たいせい

我が家でも「みんなって、誰と、誰と、誰のことだ?」とのセリフは、よく聞いた覚えがあります。
それと、「みんなはみんな、オレはオレ」とのセリフも耳に残っています。

アキラさん、コメント&nice!ありがとうございました。
by たいせい (2006-11-13 10:58) 

なるほど、良きお父様の元で成長されたから今があるのですね。
納得です。
私もあのonly one思想が嫌いです。
ドラゴン桜でも言っていますよ。
「なーにがoniy oneになりたいだ!oniy oneってのはその世界のNo1のことを言うんだろうが!」と。
by (2006-11-24 22:56) 

たいせい

STEALTH さん、本当に沢山のnice!&コメントありがとうございます。
良い父かどうか?はよくわかりません....。
良い部分は沢山あるのですが、それと同等以上にどうにもならぬほど悪い部分も抱え持つ頑固オヤジです。

Only Oneについてですが、「NO.1」は比較一位に過ぎず、「Only One」は比較対照を遙かに超える「ダントツ」で無ければならないという言葉の意味が忘れ去られてしまっていたように思います。
 集団の中で「他と同一の考え方」で、「同一歩調を取ることに安心し」「浮き上がることを恐れた人たち」が、競争から逃げ、自己弁護をはかるために作り出した「キズの舐めあい思想」と言う気がして仕方がありませんでした。

(ここから先は別のところで書いたコメントの引用ですが...)
 最近思うのは、皆がカッコ良くなりすぎてしまったこと。
 ちょっと前なら、街をヘドを吐きながらのたうち回る酔っぱらが居たり、髪の毛ボソボソの子供や、油汚れの作業服でどこでも胸を張って出てくる「とーちゃん」なんか、たくさん居たように思います。
 「自分だけのONLY ONE」なんて言いながら、その実 人目ばかりを気にしていて、人と同じであることで安心する。
 その結果として(人からどう見えるかのみを気にしたあげく)、みんなカッコ良くなった。
(女性が等しく美しくなった事と流行でスカーとが短くなるのはのは大歓迎:これだけは例外事項です)
by たいせい (2006-11-25 12:17) 

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