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改正の手続きを定めてないのは憲法違反(違憲状態)ではないのか!? [旗日には「日の丸」を掲げよう]

 前に憲法改正について記事を書いたこともあり、余り騒がしくない国会の休会中に記事を書いておこうと思っていました。(時事問題として受け取られるのが嫌だったので...。)
次の国会の会期が近づいてきたのと、この件については年頭の安倍首相の発言以来騒がしくなってきましたので、今の内に記事にしておきます。
 このBLOGにはそぐわないかもしれませんが、お許しください。

 前に書いたのは、
「憲法に書いてあるから△△は出来ない」「憲法に書いてあるから□□は出来る」という論法は本来おかしく、「国民の意思が○○だから、憲法に書いた」というのが本来の姿であり、
神棚から降ろして「国民のもの」にしなければならないと書かせていただきました。

(①「自衛隊も持ってはいけない旨を憲法で明記する」「国民の私有財産を認めず共産主義を国是とする」という改憲論も当然あり得る、②違憲判決が出たら立法府を起点とする一連の粛々とした手続きにより国民の意思を問うのが本筋ではないか?、③現憲法は「大日本帝国憲法(昭和21年度改訂版)」が正式名称ではないのか?:実はよく解っていません、などいろいろ書かせていただいていますので、是非そちらの記事も読んでいただければと思います)

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「憲法改正」について思う事
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-07-29

 

 さて今回触れたいのは、前国会から検討が始まった憲法改正の手続き法、「国民投票法案」についてです。

 

 本来、憲法の改正というのは、日本国憲法 第9章96条「憲法改正の手続き」で明確に規定されており、現在の手続き法が無く条文の発動が出来ない状況は、明確な「違憲状態」あたります。

 これは、解釈の違いで揺れている9条に対する問題どころの話ではなく、憲法の発動を行うことが出来ないという実に由々しき事態ではありませんか!

 これについては、いわゆる護憲勢力こそ党利党略のご都合主義で「護憲」を言っているのでなければ、この状況を憂い、国会での議論を引っ張って行かなければならない種類の問題のように思います。

 また、憲法についての議論を忌み嫌うというのも、
憲法に保障されている言論の自由を封殺するものですし、
牛歩戦術や、議場の封鎖や気に入らない議論が行われていると言うだけでの欠席なども、憲法に定められている国会の機能を損なうものです。

(国会というのは、国民から選ばれた異なった意見の持ち主を集め、最大公約数を導き出すのが仕事であり、気に入らない法案が成立しそうだからと言って拒否するなんて、愚の骨頂。主張と票差を議事記録に残すのが、国会議員の仕事です。)


 願わくば、憲法がらみのこの法案でこそ、粛々とした議論を期待したいと思っています。

PS.
 なお、憲法改正についての私の考えは、以前の記事で書きましたが、
 「第9章96条(改正の条文)さえ変える事が出来れば、他の条文はまったく変わらずとも良い」とすら考えています。
 (憲法を私たち国民のものとし、通常の立法手続きとして改廃を論じる事が出来るようになりさえすれば、他の条文は時間の経過とともに後からついてきます。)

 


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(資料)
日本国憲法の誕生-国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

憲法条文・重要文書  日本国憲法の誕生
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html

よりよき国民投票法案とは何だろう。-中静の「日本国」を考えるイザ!
http://nakashizuk.iza.ne.jp/blog/entry/85805/

乱読雑記 民主党は憲法から逃げるな
http://nobu-bookshelf.cocolog-nifty.com/random/2007/01/post_baea.html

乱読雑記 政権担当者は改憲を提案する権利を持つ
http://nobu-bookshelf.cocolog-nifty.com/random/2007/01/post_c3d9.html

(追加資料)
衆議院 憲法調査会
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kenpou.htm

参議院憲法調査会ホームページ
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/


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憲法改正についてはいつも9条のことや自衛隊に関することばかりがクローズアップされがちですね。
でも実際は一つ一つの条文の文言や表現だけの問題じゃない、これは以前から思っています。

変えるのと中身を精査する、議論するは違うはずなのに、そのレベルの話をするだけでタカ派と思われてしまう。
これをまずなんとかしないといかんと思いますね。
by (2007-01-11 09:13) 

たいせい

 STEALTHさん、一つ一つのコメントが励みになります。
 nice!&コメント、ありがとうございます!

 9条の問題にしても、
「条文がこう決まっている」→「だからこの方法しかない」との論法ではなく、

「各党が、実現可能な防衛プランのメリットとリスクを提示」→「国民がどの防衛プランを選ぶかを選択する」→「憲法を含め各種法律との整合性をチェックする」と言う順に論議して、「必要とあれば絹布を含む関連の法律を手続きに従って粛々と手直しする」と言うことでなければ、まともな防衛論議にたどり着けません。

 何とか憲法を神棚から降ろして、普通に議論し、改廃を論ずることの出来る、国民皆の英知が結集した、国民の総意による憲法にしなければ、先に進みませんね....。
by たいせい (2007-01-11 10:23) 

nina

私は自分のブログにも書いたことがあるのですが、日本国憲法は前文から修正して欲しいと思っています。
建前としては「諸国民の〜」でもいいのですが、その建前に手足を縛られている状態では・・・。
「憲法改正」と言うとスグに「戦争がしたいのか!」などとレッテル貼りをされてしまいますが、誰だって戦争なんてしたいわけないじゃないですか。
暴論かもしれませんが、私は憲法なんてものは聖徳太子の「一七条の憲法」くらいでも良いと思っています。
基本的な事だけを憲法で決めておき、その他は刑法や民法といった法律に任せておいて、時代に合うようにその都度変えていけばいいんじゃないかと思います。
by nina (2007-01-11 23:07) 

たいせい

ninaさん、nice!&コメントありがとうございました!

非武装中立だって良いのです。
国民がそれについて真剣に議論し、メリットとリスクについて「観念論」ではなく「国家戦略」として認識し、国民的なコンセンサスが出来た結果、憲法に書かれたのであれば!
(前の記事で書いた記憶がありますが、たとえ他国の侵略を受け支配される事態が起こったとしても、自らが選んだ道とそれによる災悪ならば、必ずやそこからもう一度立ち上がることも出来るはずです)
(もっとも、ハイリスクなこの道を国民が選択するとは到底考えられませんが....。)

 問題はninaさんが仰るように、「護憲=平和勢力」という、なにやらよく解らない雰囲気。
 もっとも個人的には、憲法にキチンと明記してある「国会の機能」を蔑ろにする「津堂の悪い法案の審議拒否」「牛歩戦術」「議場のバリケード閉鎖」等を、かつて幾度となく行い、これも憲法に期待されている「言論の自由」を封殺する人たちは、到底「護憲」などと言える代物ではないと、かねてから疑問を持って居ます。

 憲法の簡略化も含め、国の先行きを国民としてどう考えどんな国家設計を行うかの「国民的なコンセンサスの醸成」が一番の大事では....。
(慣習法で成り立つイギリスの様な形も一つの方法ですから...。)
by たいせい (2007-01-13 09:00) 

くらじ

改憲反対論者の意見を見ていると、殆どが「憲法が改正されれば戦争が起こる。だから、改正手続きを定めることも反対」という「風ば吹けば桶屋が儲かる」的な飛躍した理屈ばかりで、「なるほど、それも一理あるな」と思える理屈には遭遇したことがありません。
戦争を起こしたくなければ、改憲して、戦争を起こしようのない条文にしたらいいだけで、ことさら「戦争が起こる!」と不安を煽って、社会に混乱をもたらしているのは許せません。

ヘンな理屈を振りかざして邪魔することだけに終始していないで、まともで前向きな理屈を主張できるようになって欲しいものです。
by くらじ (2007-01-13 12:17) 

たいせい

 くらじ★さんに同感です!
 憲法にしても、歴史認識にしても、外交にしても、核の問題にしても、まだ混沌とはしていますが、小泉内閣の後半から安倍内閣の現在にかけて、なにやら今まで闇だった部分に光が当たって、着実に前進している実感があり、嬉しく思う今日この頃です。
(10年前なら言っただけで閣僚不的確と見なされてて良そうな発言が、普通になされるようになりました)
 まだ迷走は続くでしょうが、理解不能の論理は次第に少数派になり、いずれ消え去るのではないかと期待しています。

 nice!&コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-01-13 15:23) 

かついち

初めてコメントさせていただきます。
今まで憲法に手を触れることすらタブーとされていましたから、今のように憲法を変えてもいいという意見が出てくることは、ごく普通のことであって、それすら許さないという共産・社民の護憲勢力のほうがむしろ時代遅れ甚だしいんですよね。
しかし、まだ国民的な議論をする空気は醸成されていないような気がします。改正すべき点は9条だけでなく、前文からすべてを見直すべき時期に来ていると思います。変えることを恐れていたら何にも進展はないだろうと思います。
by かついち (2007-01-14 20:40) 

たいせい

 かついちさま、はじめまして!
 今の憲法改正の流れは、制定後60年の時を経て、現状の条文では運用上の問題点が多数発生するようになり修正せざるを得ないと言うところから始まり、同じ改正するのであれば、時代を経ることによって違和感の出てきた他の条文もこの期に修正しようとの観点で、他の条文の検討が始まった。と言うことではないかと思います。
 そして、「国民的議論」無しに憲法の改正をすることは現行憲法の改正の期待からも全く不可能なことで、いずれにしても国民的な議論を起こさなければなりません。

 私がこのBLOGで言いたかったのは、いずれにしても国民的な議論となるわけで(国会だけでは改正することが不可能ですので)、個々の条文を議論する前に、きちんと「憲法の位置づけ」「憲法の定義」「憲法の運用」「今後どんなときに改正するか」について、「国民のコンセンサス」を作り上げておかなければ、新たなる「神棚憲法」と成ってしまうだけだと言うことです。
 その部分に触れずに、憲法改正の議論が進展してしまうと、神棚に上げる新しい祝祠が増えるだけの事になってしまいかねないし、場合によっては些末な条文の文言で、せっかくの改正機運自体がしぼんでしないかねないとも思っています。

 恐らくは今回の改正機運は、9条を軸に展開されるでしょうが、かついち様の仰るように「前文」と96条「改正」についてのつっこんだ議論が必要で、それを議論することが「憲法のあり方」の検討につながると考えています。
(迂遠な事を言っているように見えてしまうかもしれませんが、それが本筋だと思っています)
by たいせい (2007-01-15 10:16) 

練馬のんべ

TB有り難うございます。
国民投票法が成立したのは、違憲状態の解消という意味で、一歩前進ですね。
by 練馬のんべ (2007-05-16 20:28) 

たいせい

 練馬のんべさん、ようやく明治維新以後志向した「国民国家」が欽定憲法→大正デモクラシーを経て制度的には一応完成したように思いました。(ハードルのあまりの高さなど、不満は沢山ありますが)

 仰るように今回の法律の成立は、96条(改正の条文)の発動が出来ないという「違憲状態」を脱したと言うことで、ようやくスタートラインに立ったに過ぎません。
 問題はこれから、「憲法を護るために国民と国家がある」かのような不毛な議論を脱し、「国民の永続的な幸せという最大の目的のために政府があり、憲法はその運営ルールであるに過ぎない」という常識に立ち返り、日本の歴史上初めての「国民が参加した形での憲法の制定(改正)」が淡々と行えるかどうかにかかっています。(日本が主権在民の国民国家だという前提です)

 なにはともあれ一歩前進。
 後戻りせず前に進み続ければ、時間がかかろうともより良い国につながるものと思います。

 コメントありがとうございました!

 
by たいせい (2007-05-17 09:32) 

ハハサウルス

TB有難うございました。

「国民投票法案」が成立したことは、本当に大きい意義がありますね。
普段「国民が…」と、如何にも国民の立場に立っているかのような左派系の政治家の先生方こそ、国民投票に賛成すべきなのに、まるで国民に投票させるととんでもないことになるような考えは如何なものかと…。結局、国民に議論させない“共産主義的発想”で、国民を信用していないことが明白。現代を生きる日本国民は、旗を振られたからと言ってすぐに戦争に向かうなんてことは有り得ないと思います。

先ずは、憲法を議論する「緒に就いた」ことは喜ばしいことです。
by ハハサウルス (2008-01-09 23:11) 

たいせい

 ハハサウルスさん、福田政権に変わって憲法について議論しようという雰囲気が表に出なくなり、非常に残念な思いを持っています。
 国の指針などの大きな政策を議論するためには、今の支持基盤を元にした正当の振り分けではなく、政策毎に分かれた本来の政党政治が行われるようにならなければ、政党内での意見集約すら出来ず前に進むことが困難な気がして仕方ありません。

 ただ仰るように、「国民投票法」が成立したのは明らかな前進で、後戻りすることのない大きな一歩には違いありません。
 粛々とした議論と、意見集約を期待しています。
 コメントありがとうございました!

PS.
 強行採決の連続と、この法案をはじめとする幾つかの重要法案の審議の過程を批判されましたが、四面楚歌の中よくぞこれだけの結果を残されたものだと私は安倍首相を評価しています。
 今の福田首相では到底この法案は通せなかったでしょう。
 首相の交代というのは、これほどまでにインパクトのあるものなのですね...。

PS2.
 仰るように左巻きの議員の方たちは、国民と自らの属する国会の機能を信じないこと甚だしいと、私も感じています。
by たいせい (2008-01-10 09:41) 

元気

こんにちは。

基本的なことで申し訳ないです。
お教え願います。

>第9章96条(改正の条文)さえ変える事が出来れば

変えるために、

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

実現出来ますか?
また、実現出来たとして、その後の改正のハードルを下げたら…
なんだか憲法がオカシナ方向に向かうことはありませんか?
私には、解釈を変えることの方が現実的に思えます。
また、元が占領憲法ですから、いじればいじるほどおかしな方向に進み取り返しがつかなくなる恐れはないですか?
その時代に生きる人が憲法をつくる。
マスコミに乗せられ、報道しない自由を行使されている現在。
とても危険を秘めている気がします。
日本の過去も未来も危うくなる気がしてなりません。

杞憂であれば良いのですが。

by 元気 (2009-07-08 17:00) 

たいせい

 元気さん、私は民主主義の本質は、「皆の意見を統合して意志決定を行う」という事ではなく、「自らの下した決断の結果を、良くも悪くも国民皆が負わねばならない」(他人の責任として転嫁することが出来ない)ということで、その一点に於いて存在が許されている不完全な政治システムだと考えています。
 例えば選挙に於いても、自らの投票という政治行動の結果がわかりやすく結果に繁栄するシステムが必要で、時間は掛かりますがそれによって私達有権者自身が多くの経験を獲得して成長しなくてはなりませんしそれと同様の事が憲法にも言えるのではないでしょうか?

 あくまでも憲法は、伝統や慣習・常識を明文化してルール化した普通の法律に過ぎず(勿論最高法規ですが、所詮人が起草し人が修正する種類の法律という意味です)、時の内閣の恣意により解釈を変えて対応する事よりも法文本体に修正を加えた方が本筋だと考えています。
(そもそもいい加減な信任投票が根拠になっている司法府の、恣意に基づく司法判断の余地を減らすべきでは?)

 大切なのは、「時の政府の勝手な憲法判断によっておかしな事になってしまった」などという曖昧な要素を廃して国民自身が改憲に明確に係わることで、例え間違った改憲であろうとも「良くも悪くもその結果を享受しなくてはならない国民自身が係わる」事で、国民の当事者意識を育てることが何よりも必要だと感じています。

 コメント、ありがとうございました!

PS.
 国民的な議論の末に、現憲法の改正でも明治憲法の復活でもない「新しい憲法の作成」が出来ればそれがBESTです。

 新しい憲法を作るための手続きとしての現憲法無効宣言は十分技術的にはあり得る話だと考えていますが(当然根拠も十分にあります)、国民的な理解を得るために実質的にはおそらく現憲法の改正以上の、票を集める必要があるでしょう。
by たいせい (2009-07-10 21:57) 

元気

たいせいさん、こんにちは。
ご存知でしたら、失礼をお許し下さいね。

(私のブログでの)たいせいさんのコメントに対して、
昨夜、貴重なコメントをいただいております。
お時間を頂戴するのは恐縮なのですが、ぜひおこし下さい。

早急に、記事を立ち上げる必要を感じていますが、
どういう形にすれば良いか考えている最中です。

山、動きますかね。
海、割れますかね。
無関心な日本人、動いて欲しいなぁ。
動かす手立てを考えねば… 日本は、ますます危うと思えてなりません。

by 元気 (2009-07-17 15:22) 

元気

おはようございます。

8/8、8/9 は、試験でしたね。
無遠慮なコメント、大変失礼しました。m(__)m

落ち着かねばなりません。
急いてはいけません。
山も海もなくなりませんから。(笑)

たいせいさんにパワーいただいてます。
勉強させてもらってます。

試験、応援しています。(^o^)丿
by 元気 (2009-07-18 10:35) 

たいせい

 元気さん、他のBLOGをいろいろ見させていただいている中で、いわゆる「炎上」の原因となっている元々の発端は、「BLOG主」を単なる「管理人」と勘違いしてのコメント者同士のやり取りがエスカレートした結果であることが多く、基本的にBLOG主からの問いかけを除いてコメント者間のやり売りには応じるべきではないとの考えで(公のものである掲示板のマナーと、個人BLOGのコメント欄のマナーは違うと考えています)、一応私の方もBLOGの記事本文に対応する書きたいことは一通り書いたつもりでいましたので今回もスルーするしようと思っていました。
(今回の場合がどうなるかはよく解りませんが、「○○であるべきだ」との考え方が双方ベースになっている場合はまず議論に答えが出ず、平行線のまま不毛な議論ばかりが白熱するケースが多いです。)
 また仰るように、この種の話は特に議論ベースになってしまうとコメント一つ付ける場合も下調べが必要で、大切な議論だとは思いつつもあまりこれに時間を割いているわけにはいかない事情もあるという点もお察しの通りです。

 いずれ何らかの形でこの件についてコメントをつけたいとは思っていますが、一点だけ誤解を解いておきたいのは憲法の基本部分において現憲法をベースにした物をかならすしもBESTだと考えているわけではありませんので、その点はご理解下さい。
 私がもっとも大切に思っているのは、憲法を神棚の上に祭り上げておくのではなく私たち「国民のものにする」ということで、その為にどんな手法が適当なのかと言うことを考えているに過ぎません。
 意見が分かれるやもしれませんが、衆議によって国の歩むべき方向を決めなければならないという意味で、これは明治憲法発布の根拠ともなった「5箇条の御誓文」(もっと言うとさらにその元になったと言われている「船中八策」)でも盛り込まれている思想だと私自身は感じています。

 また主権についてなのですが、付けさせていただいたコメント中に「主権という言葉の持つ曖昧さ」に多少触れさせていただいたつもりでいましたが、私の知る限りにおいては主権という言葉が登場したのは戦後で、改めて考えると明治憲法下でも実質的に国民に主権があったような読み方も可能だと感じていることに寄ります。
 天皇陛下や皇室の位置づけという点においては、「統帥権」や「外交特権」が実際に認められ国策の不統一が起こったという点も含めて、建武天皇の昔にまで遡る気なら別なのですが、わが国の伝統的な姿とは感じていません。
(統帥権や外交特権と言う切り口で明治憲法を見ると、また違う見え方がするように思います。:明治憲法は制定年度を考えれば実に素晴らしい憲法ですが、やはり末期には様々な矛盾を発生させています。良い部分だけではなく矛盾点も同時に考える必要があります。)

 なお、元気さんの方でも引き続きこの件には触れられるご様子でもあり、今後この件については引き続きコメントさせていただこうと思っています。

PS.
 基本的に憲法無効論自体に十分な根拠があると思っていますが、占領下という異常な状況下であったとは言え一応は現憲法制定時には明治憲法の手続きに従って改正手続きが取られていると言うことも忘れてはならないと感じています。
(無効論を否定するわけではなく、憲法有効論も理屈の上では十分成り立つとの理屈の展開も可能だとの意です。)

PS2.
 BLOGと言う情報発信形態は、同じ考え方の方ばかりが集中する傾向があり、自分自身がBLOG運営上心がけているのは一般の方達が出入りしやすいBLOGを作ったうえで時々問題提起を行うと言う形なのですが(最近掛けられる時間の問題でしんどいネタが書きづらく。親バカ記事が主体に成りつつあって申し訳ありません)、私の場合は来てくださる読者の層と実名でやっているという事情もあり、お互いの論点が一通り提示された時点でほとんどの場合その後の議論は不毛になるとの印象がありますので、議論を打ち切ると言う方法を採っています。
(必要があると思えば、その論について別に記事を立てますが。)

 元気さんのBLOGを汚したくないこともあって、私の方で記事を立てて私の考えに対するやり取りはこちらに誘導すると言うことも考えましたが、元々のこのBLOGの趣旨から外れそうなのと、時間の制約で果たせず申し訳ありません。
by たいせい (2009-07-18 14:05) 

元気

たいせいさん、本当に、丁寧なコメントをありがとうございます。

たいせいさんの冷静な文書を丁寧に読ませていただきました。
恐縮しております。
どうも私は、文章が単細胞(直球)です。戒めねばなりません。

この件は、一つ一つ積み重ねばならないと考えています。
一つ積み間違えても崩壊しかねない論だからです。
結論を急いでしまうことこそ、戒めねばなりませんね。

議論には、相応の根拠が必要です。
さらには、議論は勝ち負けではありません。
情報を多く持つ者が勝つのでも、大きな声で主張するものが勝つのでもないと考えています。
大切なことについては、特に慎重にならねばなりませんね。
一つ、一つの積み重ね。
確認しながら、急がず進んでいくように致します。

お忙しい中、真摯なコメントをありがとうござました。m(__)m


by 元気 (2009-07-18 14:17) 

たいせい

 元気さん、私の方こそ恐縮しております。
 結構この手の「国家ネタ」は、大切ではあるけれども「○○で無ければならない」と言う趣旨の理念やイデオロギーめいた論争が発展しやすく、私のBLOGでも危うく炎上という状況を数度経験して、些か小狡くなってしまいました。
 少なくとも自分が切っ掛けで、他人が大切にされているBLOGを炎上させるという状況はどんなことがあっても避けたいとの思いで、こんな対応になってしまっていることをお許し下さい。

 かつて自分の身の回りで、市町村合併に係わる市民運動を進めるべきか?否か?との議論が勃発したことがあり、賛成派・反対派がそれぞれ議論を闘わせる中で気がついたのは、賛成派の方のところには肯定する情報のみが集まり、反対する人のところには否定的な情報が集中して集まってくると言うことで、一旦議論に勝ったとしても遺恨が残るだけで実際の意見が変わることはまずあり得ず、負けたことが悔しくて相手を論破するための新たなる論拠が集まった段階で第二ラウンドがまた始まるだけだと言う経験をしました。
 ひょっとしたら人は理屈で正邪を見極めるのではなくて、感覚で答えを選びその後に理屈を集めて理論武装する動物なのだとすら感じた一連の議論だったのですが、あまりの議論の白熱で人間関係が壊れ組織も崩壊へと向かっていきました。

 一応は双方の論点が明確になりさえすれば(考える材料が揃う)、あとはBLOG主の元気さんや、コメント欄を見られた方達が判断したり考える切っ掛けとなるはずなので、それで良いのではないか?と言う私のワガママでしたが、ご理解いただけたようでありがとうございます!

 今後とも宜しくお願いいたします!
by たいせい (2009-07-18 15:56) 

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