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幼児教育について考える!(英語教育:鬼嫁と冷戦中) [「家族」とともに]

 鬼嫁と、ここ数日来「冷戦状態」です。

 鬼嫁が3歳の長女へと、「ベネッセ こどもちゃれんじEnglish」の申し込みを勝手にしていたのが発覚しました。

http://www.shimajiro.co.jp/english/age2_3/index.html


 内容的には、「しまじろう」と言うキャラクターを使ったDVDによる英語の通信教育で、DMで送られてきていたお試し版のDVDを見る限り、子供が身を乗り出して踊ったり歌ったりしながら英語の発音に耳を慣らさせる、楽しそうな通信教育です。

 しばらく私の帰りが遅く、それほどの金額でもなかったのでとりあえず一回だけでもと、気軽に独断で申し込んでいたようでした。


 私は「今のところ」、子供の勉強や習い事については、次のような考えを持っています。(あくまでも「今のところは」で、将来変わるかもしれません。)

  1.  基本的に「学業成績」という点には全く重きをおかない。
  2.  「知識欲」の旺盛な子供になって欲しい。
  3.  「発想力」や、「自分の価値観」による「論理的な思考力」を持つ子供であって欲しい。
  4.  兄弟や友人など子供達どうしの触れ合いの機会を出来るだけ多くもち、「社会性」を育てて欲しい。
  5.  「命のつながりの中で生きている自分」を、意識できる子供であって欲しい。

 

 「学業成績」については全く頓着していません

 「学業成績」が役に立つのは学校にいる間だけで、学校を卒業すれば何の役にも立たず
 必要なのは、知らないことを知りたいと自分から思う「知識欲」や、無から有を生み出す「発想力」、そして行き方に迷ったときに判断の元となる「自分の価値観」、「論理的な思考力」の方が遙かに大切だと考えています。

 私自身、自分の「学業成績」にはこれまで全く関心を持ったことが無く、学校の通知票は5段階評価で1~5まで満遍なく揃った非常にバラエティに富んだものでしたが、それによって困ったと思ったことは今まで一度もありません

 反面、興味を持った事は何も言われなくとも勝手に本で調べたり実験したりして、解らないことが解ることの喜びのようなものを感じていたと記憶しています。

 

 今になって思うのは、それが社会人になってから非常に大きな力となり、今の自分を作っているということです。

 何故そんな「ひねくれ者の子供」出来たかと言うことになると、やはり私の親の教育方針のおかげでした。

山本大成 「かわら屋の雑記帳」私の父の教育(人と違うことこそが素晴らしい!)
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-11-09

 幸いな事に当時の我が家では、習い事は一歳強制されませんでしたし、どんな通知票を持って帰っても黙って受け取り、「悪いところを指摘するのではなく、良いところを褒める親」でもありました。

 

 子供が大きくなるにつれて考えていたのは、習い事でもスポーツでも親の方から薦めることは一切しないようにと、いうことでした。
子供の方から○○○がやりたいと言うのは大賛成です。)

 「知識」は、知らず知らずにいつの間にか周りから与えられるのだという雰囲気があったら、「なぜー?」と聞くことも減るでしょうし、「知識欲」など望むべくもありません
 英語が話せるようにさせたいのならば、「英語が話したいなー!」と子供自身が思うように仕向ける事こそが必要であり、英語を習得させるプログラムあらかじめ用意しておくのは、順序が違います
(英語を覚えたいと思えるような環境を用意し、自分から「やってみたい!」と言わせること)


 また、英語教育と言うことに関して言えば、藤原正彦さんあたりの本(祖国とは国語:新潮文庫)でも書いてあるように、「一番大切なのは伝えるべき中身を個々が明確に持つことであり、それさえあれば身振り手振りでもコミュニケーションは成立する」「頭の中での論理的な思考は日本語によって行われており、数学を勉強する場合でも日本語が最重要」という考え方に共感していて、全く着眼しても居ませんでした。
(「英語が話したい」というモチベーションさえ育てられれば、中学からでも立派な英語が話せるはずです。別にネイティブな英語が使えるようにする必要はありませんので....。)


 そんな話し合いを鬼嫁と重ね、何とかここ数日で理解を得ることが出来ました。(あー、良かったー! 冷戦集結か?)


 自分の今の考えをどこまで保持し続けられるかよく解りませんが、学校に上がる前の今のうちには、出来るだけ「情緒」を身につけてもらい、就学時には「知らないことを知る喜び」を感じられるような環境を作っておきたいと考えています。


PS.
 英語について私は、中学以降の通知表はすべて最低評価の「1」でした。
 日本人が英語を学ぶ意義が理解できなかったのと、単語や文法の「暗記」という学習方法にとめどない違和感を感じていた為です。
(チョット自慢ですが、理数系なら誰にも負けない自身がありました!?)

 鬼嫁は、成績面では私とは違っていたようですが、海外旅行に行っても英語が話せないと言うことに「コンプレックス」を持っているように感じました。
(結婚してからも、時間があるときにはNHKの英語教室のテキストを買い、TVを見るなど独学で学んでいました。:鬼嫁がいまだに「向上心」を持っていることに深く感動し、実は「惚れ直しました??」)

 私の場合、最大のコンプレックスは字が下手なこと。
 「習字」には通わせたいと思っているのですが、これも習い事であり「知識欲」を壊さないように何時、どういう形でその方向に持って行くのか?、実に悩ましいです
(これって、ダブルスタンダードかもしれません??)

 


 

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 PS2.
 明日は「建国記念の日」、玄関先の「日の丸」は忘れずに!!

杜父魚文庫ブログ  建国記念「の」日 渡部亮次郎
http://blog.kajika.net/?eid=475001
(何故、「紀元節」であった「建国記念日」が正式には「建国記念の日」なのか?制定当時の経緯が書いてあります)

山本大成 「かわら屋の雑記帳」旗日には、日の丸を揚げねば!(屋根には瓦、庭には鯉のぼり、旗日には日の丸)
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-06-19

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「国民の祝日」って国民のもの?(勤労感謝の日に思う)
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-11-23

 

 


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コメント 27

やぶです。

いいじゃぁないですか。

「しまじろう」を見ながら、よろこんでいるのなら。。。。

確かに英語の教材かも知れませんが、子どもが興味を持っているのは「しまじろう」だと思います。たまたま、英語が入っているだけのことですよセンパイ。

そう考えれば、おくさんとの教育に対する思いの違いも、現状では埋められますでしょ。

日本語が大切、と言う考えには同感です。我が家は息子を英会話に通わせていますが、それはあくまでも外国人に対する違和感を無くすためのもの。家庭では専ら日本語での会話になりますので、そうそう英語と日本語が混ざってしまうこともありませんよ。

大切なのは、子どもが楽しんでいるということだと私は思います。

奥さんと仲良くしてくださいよ。
by やぶです。 (2007-02-10 20:07) 

おばりん

今日はコメントを有難うございました。我が家とよく似た状況を微笑ましく読ませていただきました。娘は5歳くらいで大変興味を覚えたようでして、妻は習わせたいと言うのを止めさせました。
たしかにその時期なら習得は大人もびっくりするほど早いでしょうが、実生活で使う場面が無ければ忘れるのも早いと思います。たいせいさんの仰られるように知識欲(向上心)を涵養するのが大事と思います。
勉強嫌いの私でしたが、実年齢と違い「気が若い」と言われることに喜びを感じてます。
「惚れ直した」・・・ご馳走様です(*^_^*)
by おばりん (2007-02-10 22:16) 

nina

私が3歳の頃は・・・ただただ近所の子供たちと遊んでいただけのような・・・。
家の中では、図鑑が好きでよく眺めていましたね〜。
でも奥さんの理解を得られて良かったですね。^ ^
by nina (2007-02-11 12:02) 

「学業成績」については全く頓着していません。その考え方には賛成です。
我が家の娘は13歳と11歳です。
我が家の不文律は、好きで楽しんでやる!ことを自分で選ぶ、です。
この好きでやる、とか楽しんでやることのパワーというのはたいせいさんと出合った某団体で学んだことです。
好きでやる、楽しんでやる=自主性、となるわけですが、そこに親とか年長者のパワーがかかるとその部分が欠落してしまいますよね。
「勉強は自主的にやらねばならない!」なんて言ってしまった瞬間に自主的でも何でもなくなってしまう。。。
こんなことを忘れてしまう事例をよく目にします。
by (2007-02-11 16:51) 

くらじ

私もたいせいさんの教育方針に賛成です~。

私の友人に、小学生の頃、ドイツに住んでいてドイツ語をしゃべっていたと言う人がいますが、大人になった今はドイツ語のドの字も話せません。

多分、中途半端にやっても、それを継続的にやっていかないと結果として意味がないでしょうね。。。
by くらじ (2007-02-12 02:50) 

たいせい

 やぶさん、久々のコメントありがとうございました。
 お忙しい時間の合間、ボツボツ余力も生まれつつありますか?

 さて、「教育」について私と女房は、本質的にはそんなに違っては居ないと思っています。
 看護婦を志し、そう行う現場で過ごしてきたこともあり、基本的に「実力志向」「職人(プロ)志向」、お互いマイペースで周りの評判や、他人の目が気にならない「独自の価値観」など....。
(そのあたりが、独身当時に彼女を気に入った要因でもあります。)
 今回のは、あくまでも「方法論」についての意見の齟齬だったので、鬼嫁的にも「なるほどー」と思ったのか、直ぐに矛を収めてきました。
(だだしこの「直ぐに」と言うのがくせ者で、心の奥深くでは、なにがしかの「逆襲の陰謀」を頭の中では巡らしているのかもしれません。)

 「子供が楽しければ」と言う点については、必ずしも賛同できません。
 「親が与えた枠内で、楽しみを見つける子供」であって欲しいとは思っておらず、子供が「自ら何が楽しくて何が楽しくないかを、見つけられる子供」に育って欲しいと考えており、その為に、特に小さいうちにはあれこれ「与えすぎない親」でありたいと思っていたりしますので...。。
(将来、自分の進路を自分で選べない子供にはなって欲しくありません。:ただし、子供の喜ぶ顔が見たく、思わず禁を破る自分が居ることも否定できませんが!?)

 子供はどんな環境でも自ら「楽しみ」を見つけられる、非常に「素晴らしい存在」です。
 その「子供の楽しみ」を、少なくとも今の段階で「親が方向付けを行いたく無い」というのももう一つの要因でもあります。
(楽器や伝統芸能や様々な職人仕事は物心つかないうちに始めないと技能の継承が出来ない物もありますが、幸いな事に我が家はそういう家ではありませんので、人間としての基本さえ身につけてもらえばOKです。)

 私たちの育った頃は、両親も忙しく、「物」や「情報」が溢れてもいなかったことにより触れることの無かった「様々な楽しみ」が、今は溢れかえっており、「親の自制心」が要求される時代のように思います。
 昔より今の方が、余裕がある分、かえって親の責任が重大になっている様な気すらしています。
 そして子供にとって一番大切なのは、親の「揺るぎない価値観」だと思えてなりません。(特に父性という面で)


 ちなみに、我が家のラブラブぶりには、この件で些かも揺らいではおりません。(そう思っているのは私だけかも...。)
 昨日も、子供を託児に預けて、二人で手に手をつなぎ名古屋まで芝居見物に行っったりもしていたりしますよーー。
by たいせい (2007-02-12 09:20) 

たいせい

 おばりんさん、私の方こそコメントありがとうございました。
 同様の状況を経験されていると言うことで、私も心を強くさせていただきました。

 「知識欲(向上心)」という言葉に、思わずハッとしました。
 確かにおばりんさんのいわれるように、「向上心」を忘れてはなりません。
 「昨日の自分より今日の自分は、少し変わった」「明日の自分は、もう少しでも違う自分でありたい」
 そんな喜びとモチベーションを持つ子供に育つと、素晴らしいですね!
by たいせい (2007-02-12 09:31) 

たいせい

ninaさん、nice! &コメントありがとうございました。

>ただただ近所の子供たちと遊んでいただけのような・・・。
 この部分がとても大切だと思っています。
 親の方がよっぽど注意深くしておかないと、そんな状況が作れない「物や情報過多の時代」になってしまっていますので!

 「鬼嫁の理解」と言うには、もう少し時間の経過を見ないとよく解りません。
 今頃は、「逆襲の刃」を研いでいるに違い有りませんので???
by たいせい (2007-02-12 09:38) 

たいせい

 STEALTHさん、娘さんの陸上を通しての成長ぶりBLOGを通していつも楽しみに拝見させていただいています。
 恐らくはじめは、人より少し足が速かったと言うところからなのでしょうけれど、陸上を通して勝負の「苦しさ」「辛さ」を知り、目的が果たせたときの「喜び」や「達成感」、或いは「挫折感」などもキチンと経験出来ているのかと拝察させていただいています。

 うちの子供達にも、そんな「好きになれる何か」を自分で見つけて欲しいです!

 nice! & コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-12 09:53) 

たいせい

 くらじ★さん、良いお話しをお聞かせ下さりありがとうございます。
 鬼嫁の逆襲があったときには、引用してさらなる迎撃をはかりたいと思います。
(決して、犬猿の仲ではありませんので誤解無きように!?:この手のことは、キチンとコミュニケーションが成立している証ですので....。)

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-02-12 09:57) 

tarako

おじゃましまーす。

うちの子、どうだろうなと思いました。
うちも同じように嫁はなにか画策してそうです(w

やはり保育園の同級の子が自分の生徒(ピアノ講師をしとります)だったりするとなにかさせなきゃと焦るようですね。

3歳の記憶というのはすさまじいなと思います。
ワールドカップのコーラのオマケ(僕のコレクション)のメダルで国旗に興味をもったようであてっこをしているうちにワールドカップ参加国の国旗と国名は覚えてしまいました。「どらえもんの世界の国旗」という本を買ってやったらずっと見てました。数日後、テレビを見ていて、「イラン」というのでなんだろうと思うとイラン国旗が・・・
先日ご紹介させてもらった勅語も字は読めませんが、絵と言葉が対になっているようで、めくるたびに先読みします。

学業成績の為とかではなく、言語野を柔軟にしてくれるかなと思うので否定もしずらいですね、ただ3歳ぐらいだと興味があっちいったりこっちいったりしますから、他に興味がいったときに「お金がかかっている」という意識がはたらくとヤバいですね。

そういえば最近「太鼓をたたいて」喜ばしてくれる事がなくなったなと・・・
※趣味でパーカッションやっているので
まぁいずれ気が向けばくるでしょうが・・・
by tarako (2007-02-12 22:28) 

鬼嫁の妹

我家も4月からスイミングをH君に習わせます。彼が保育園のプールが大好きでもっと泳ぎたいと願うからです。もっと早く習わしてやりたっかたですが、土曜日も仕事をしている両親ではなかなか、送迎のめどがたたず、祖父にお願いすることになりました。H君がすれば、きっとSちゃんもしたいでしょうがこれは彼女が決めることなので、やりたいと言えばさせますが、とりあえずH君だけ習わせます。習い事をするよりもっと遊ばせてあげて下さいと昨年の保育園の担任の先生に言われたことがあります。今の年齢しかできない遊び、今しかできない親との遊び、もう数年すればきっと友達と遊びに出かけてしまうんだよ、と主人とも話しています。
by 鬼嫁の妹 (2007-02-13 11:04) 

たいせい

 tarakoさん、初のコメントありがとうございます。
 仰るように、子供には「興味の趣く物」を「興味の趣くまま」自由にやらせてみたいですね。
 いろいろな物を少しずつかじって、試行錯誤の中から「琴線に触れる何か」と出会い、やがては「美しい音色」を奏でて欲しいと思います。
(自分の望む子供にしようなんて考えてもその通りにはならず、せいぜい親として出来るのは「子供の邪魔をしない」ことぐらいではないでしょうか?)

 今回の件に関して、子供が興味を持ったのは、あくまでも「しまじろう」。
 それを「英語教育」と結びつけたのは、提供元である「ベネッセ」と「うちの鬼嫁」で、最初に違和感を持ったのはそのあたりだったりします。

 「三つ児の魂100までも」と言う言葉もありますが、幼児期から少年期への狭間は、知識や技能的な物よりも、「美しい物を美しいと思える感性」なんかが育ってくれると良いなぁと思っています。
(もう一点、親としては、「人間としての原風景」を残しておいてあげたい。)

 今後ともよろしくお願いいたします。

PS.
 我が家でも、子供の能力に目を見張ることがしばしばあります。
 余計な「知識」や「経験」に汚されていないだけ、物の「本質」を見極める力はひょっとしたら大人より高いかもしれないと、ここの所考えさせられています。
by たいせい (2007-02-14 09:30) 

たいせい

 鬼嫁の妹様、我が家の鬼嫁はインフルエンザの大流行で、ここの所疲れ気味のようですが、相変わらずこんな調子でやっています。

 前も思いましたが、「保育園の先生」とても良い先生だと思います。
 考え方もしっかりしていらっしゃるし、保護者とのコミュニケーションもしっかりとっていらっしゃる。

 次の里帰りでは、更に進化したHくん、Sちゃんを楽しみにしています!
by たいせい (2007-02-14 09:45) 

tarako

レスありがとうございます。

瓦屋さんということで、春先の突風には気をつけてくださいね。
※どうもみていると、左官屋さんと瓦屋さんは転落対策あまりしていないような・・・

>「美しい物を美しいと思える感性」
なにかで読んだのですが、例えば散歩の途中などで夕日が奇麗だったりしたときに、「すげぇきれいだな」と感動してみせる。かっこいいとおもった音楽を聴けば「かっこいーなー」と。
子供の美に感動する気持ちはそういう親の反応から醸成されるそうです。

男親というのは、このあたりどうにもテレがはいったりしてどうにもいかんですが、生活外のこういう情操は男親の方がインパクトあるみたいです。
by tarako (2007-02-14 10:17) 

アキラ

子育てから離れて久しく、最近の流れに逆行しているかも知れませんので、あくまでも、私見として・・・・

私の子育ては、兎に角「外で遊ばせる・・・勉強は2の次・3の次」と、言っても、外で遊んでくれる友達は居ません。
だから私は『カブスカウト』に入れて、私もリーダーとして一緒に遊びました。女の子は家内と共に『ガールスカウト』に。
勉強は2の次・3の次とは言え、付いていけないようでは困ります。
だから、毎日の「復習・予習」は欠かさずに。予習・復習だはなく、順番は復習・予習です・・・
特に予習は念入りに、時には、つきっきりで。
同じ勉強を家と学校でやるつもりで・・・
友達は皆、子供にゲームを買い与えていましたが、我が家にはゲームという物はありませんでした。
それでも子供は、友達の家に行ってはやっていたようですから、積極的に買い与える必要は無いと思っています。

普段は男の子も女の子も隔てなく「兎に角本を読ませる」ことを心がけました。
映像を見るTVと違い、本は世界を見せてくれますし、想像力を育てます、言葉遣いや微妙な言い回しも自然に身に付きます。
私自身、「私の教師は本だった」と言えるほど、本を読んだからです。

そして、仕上げは中学校・高校の選定。
大学はそれぞれ、進路を自分で決めますから・・・・

女の子は最初からエレベーター式の私立へ。
あまり無理をさせるよりも、清楚で優雅にしとやかに育ってくれればいいと。

男の子は将来の競争世界にうち勝てるよう、小学校から公立へ行かせました。
お陰で息子は入試で大分苦労をしましたが、こうして出来上がった息子は現在34歳になりました。
我ながら、世間に胸を張って『立派な息子に育った』と言うことが出来ます。

子供は千差万別、子育てにはマニュアルがありません。
子育ての結果が出るのは、何十年後です。
良きも悪しきも子供の将来には、親が責任を持つものだと思いますが、最近はそれさえも希薄な世の中になってしまいました。

『鉄は熱いうちに打て』と言います。
私に言わせれば、英語教育はそれほど急ぐ必要はないだろうと思います。
しかし、日本の英語教育が間違っていたお陰で、何年も英語に親しみ乍、未だに話せない日本人が多い事を考えれば、やっておいてもいいのかな?と。

日本はなんとしても「英語」ですが、将来は英語ではなく、中国語・韓国語などの方が、より重要視される世の中になるかも知れません。

お子さんが小さいうちに、ご夫婦で子供の将来を真剣に考えてあげてください。
つまらない、私見で失礼を致しました。

奥様とは、仲良くしてくださいよ。
by アキラ (2007-02-15 09:54) 

たいせい

 アキラさん、 私も個人的な意見ですが、子育てに「最近の流れ」も「昔の方法」も無いように思います。
 子供にはその年代でしか経験できない様々な事象を経験し、親は子供の成長の手助けをする。
 アキラさんの仰るように、子供は千差万別であり、子育ても千差万別で、様々な子育て論は有ろうかとは思いますが、基本的なところは何も変わりがないのではないでしょうか?

 ただ、少子化の影響で近くに同年代の子供の姿を余り見かけなくなった事(遊ぶ友達が近所に出来るのかな?)と、私の住む高浜でも最近不審者情報などを見聞きするようになり、かつてのように「外で遊んできなさい!」というのが難しくなってきているのを感じてはいますが....。


 ボーイスカウト良いですね!
 いずれ我が家もと、密かに情報を集めています。
 さしあたっては、もう少し大きくなったくらいの時期を見計らって、それぞれの名前の由来ともなった梓川上流域へ家族で行って(出来れば友人達の家族と連れだって)、自然との触れ合いや天幕生活・集団生活での反応を、確かめてみたいと思っています。(興味を持って欲しい....。)

 子供自身が「好きで興味を持てる物」でないと、長続きするわけがないので、今後子供達が何に興味を持つのか?楽しみで仕方ありません。


 そして子供が仰ぎ見るに値する「親父の背中」を、自分自身、是が非にでも手に入れたいと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!


PS.
 鬼嫁とは、本質的な部分で理解し合えていると思っています。
 (そう思っているのは、私の方だけかも....。)
by たいせい (2007-02-15 15:08) 

こんばんは。
私も、たいせいさんの考え方に近いと言うか、子供の自主性に任せるというのが基本線です。
うちの息子に、親が強制でやらせたのは水泳ぐらいですか。特にやりたいスポーツも無かったようなので、何にでも応用の利く体力をつけさせておこうと小学3年生から水泳をやらせました。

“しまじろう”というのは、こどもが興味を持つように、うまく出来ているんですよ。教材の作り方というのも学習効果云々よりも子供が興味を持つことが主眼で、教材によって本当に学力が上がるかというと、そうでは無いと思います。
あくまで、「自分が知りたい、覚えたい」という意識を持つことが、大切だと。

あと、これは完全に主観なんですが、子供に英語は不要です。それよりも日本語で自分の気持ちを表現できる感受性を育てることの方が、より大切だと思うのです。英語は私もうまくは話せませんが、正直サラリーマン生活をやっていて、外資系企業に何社か勤めましたが「英語能力と仕事能力は反比例する」というのが、私の結論なのですよ。まあ、私の勤めた程度の企業では、“英語も出来て、仕事も出来る”レベルの方は入社しない、というのが真相でしょうが(爆)

最近は少子化で子供が減っていることの一番の弊害が、子供同士での社会性が育たないというか、コミュニケーション取る場所が無くなっていますよね。
子供を取り巻く社会も、(親自身も)子供を危険を避けるあまり、手元においておく、大人ばかりの環境で育つなどと、私の子供の頃とは大違いの「不適切」な環境になってしまっています。

教材一つをとっても、このようにとっかかりが容易いだけで、あんまり中身の無い教材(所詮は儲け主義でしょうから)をわざわざ与えるよりは、集団生活の場を沢山与えてくれるボーイスカウト・カブスカウトなどを通して、自分から探し出した興味を追求してもらったほうが、良いと思いますよ。

とは言え、うちの息子は何にも興味を持たずにだらだら過ごしてばかりで、見ていて情けなくなりますけど・・・。

うちの息子、今年中学に上がりますが、何度も「自分が興味を持てること、ちゃんと探せよ」と、塾に入れるよりも、まず運動系の部活への入部(何でもいいので)必須を条件に課しました。
大人になってから本当に役立つのは、仲間を作る能力ですからね。今の指導要領で作られた授業では、学力などは望むことは出来ないので、少し「塾へ行かそうかな」とも考えましたけど、初志貫徹するつもりです。

長々と申し訳ありませんでした。また宜しくお願いします。
by (2007-02-17 19:54) 

takkyu

はじめまして
私も教育に関してはたいせいさんの意見に賛成です。

我が家は妻、10歳の長男、7歳の長女、4歳の次女の5人家族です毎日賑やかというか、やかましいですし、金もかかりますが、子供は多いほうがいいですね。
私自身も4人兄弟でしたし、お盆や正月などで親戚が集まるときなどは子供だけでも10人以上になり、とても楽しかったのを覚えています。

子供は子供なりに学習していく力を持っているものだと思います。
by takkyu (2007-02-18 08:40) 

たいせい

 まーさん、子供の自発的な意欲をどうやって発動させるか?が、うちの場合でも一番の課題になるかもしれぬと思っています。
 極端に抑制された中から、反骨心によって出てくる「自発的意欲」という物も考えられ(昔はこちらの方が主流派だったかもしれません)、一概に否定する気にはなれません。
 私の場合は、高校生の時にたままたま観に行った「中部地区高校演劇コンクール」というのが一つの転機で、一生懸命に練習を積み「晴れ姿」を見せている同世代の存在に大きなショックを受けて、「自分も何かせねば!」と仲間を集めて芝居を始めたのが、「自発的意欲」を見せた最初だったと思います。
 この場合なんかは、親から自由自在に何も強制されていなかったが為に、出すことが出来た意欲だと思いますので、果たして自分の子供には、どんな方法がBESTなのか?見当も付きません。
 結局、子供の個性によって千差万別と言うことなのでしょうか?
by たいせい (2007-02-19 15:58) 

たいせい

 takkyuさん、お正月に女房の実家へ里帰りした際に1歳から5歳の4人の子供に囲まれて、大変疲れたけれども楽しかったことを思い出しました。
 来年のお正月には義妹のところに3人目が生まれ、5人になります。
(何とか我が家でも最低網一人は頑張って、3人兄弟にして6人の子供集団と対決したいと、野望を巡らせています。)

 子供と一緒に過ごすと毎日が発見、子供の示す「興味」、「学んでいく力」には、日々驚かされます。

 コメントありがとうございました!
by たいせい (2007-02-19 16:07) 

ゆうこりん

はじめまして。まーきん。さんのブログからこちらにお邪魔いたしました。
過去記事にコメントで申し訳ありません。

たいせいさんの教育観にわが意を得た気持ちです。
私もほぼ同じような考えを持ち、そして日々思うことをブログにしております。
英語教育についても全く同じ主旨の記事を書いたことがありますので、
よろしければご覧になってください!
http://blog.so-net.ne.jp/yukorin/2006-11-20-1

ただ学業成績についてのみ、少したいせいさんと意を異にします。
自ら学び知りたいと思う気持ちがあってこそ、思考も発達するとは思いますが、その自主的な学びを続けるにも、基礎学力は大きな意味を持つからです。いろいろ言われて久しい学校教育ではありますが、バランスよく基礎知識を入れられるシステム自体には日本の教育界ももっと自信を持っていいと思っています。
ということで、我が息子達には基礎学力ひいてはその結果である学業成績にはある程度の結果を求めて欲しいと考えています。

さて、私は教育ママではありますが、書を指導する立場でもあります。
美しい字を持つことは一生の財産です。でも、子どもに習字を教える場合、「うまくなる」ことよりも「集中力を養う」ことや、「小さな達成感を味わい続ける」ことを重要視しています。
武道と同じ。書「道」ですからね。
by ゆうこりん (2007-02-21 22:05) 

たいせい

 ゆうこりんさん(ゆうこさんの方がよいのかな?)、私の場合自由奔放に過ごさせてくれる両親に育てられたことが、発想の基礎になっているのかもしれません。
 「勉強をしろ!」と一言も言われず、宿題すらも小・中・高と学校ににいる間一度もやったことがないにもかかわらず、何も言いわず自由に過ごさせていただきました。(家庭訪問では、毎回それがテーマになっていましたが....。)
 かといって遊びほうけていたわけではなく、とにかく本を読むのが好きで(ほとんど科学物・歴史物でした)知らないことを知る楽しさを感じ、知識には貪欲だった様に思います。
 時に、自分が勝手に集めていた知識が学校の授業とオーバーラップすることもあり、その時のよろこびが、さらなる知識欲を高めていきました。
(考えてみれば、両親が私の一番の理解者だったと言うことなのでしょう。)

 私は子供の勉強については、自らの経験を鑑みて上に書いたようなパターンで進むのが理想的ではないかと考えています。
 子供の「何故?」という声には、その疑問を解く術を教え(実験する・本で調べるなど)、本を読むためには「字」を知らねばならぬから「字の勉強をしたい!」と思うようになり、理解するために「数学」が必要だから「数学の勉強がしたい!」と言う流れでが出来れば素晴らしいことだと考えています。
(私の話で恐縮なのですが、私の場合、学校の授業とは関係なく惑星や流星の軌道計算がしたくて、中途半端でしたが独学で中学生の時に球面三角関数や行列式の解き方について興味を持ち、勉強していたこともありました。)

 つまりは、「知識」は親をはじめとする周囲から与えられる「プログラム」によって自動的に身につけられる物ではなく、「自分から意欲を持って獲得する物!」、そして「知ると言うことは楽しい物!」と言うことを感じさせてあげるのが第一だという考え方です。

 反面、ゆうこりんさんの言われることもよく解ります。
 私の場合、結果的に「字」が下手だということと、英語がわからないと言うことが、大きなコンプレックスの元にもなっており、これらには一定の訓練が必要になります。
 特にITが発展している昨今、英語が解れば原文にあたれるのに!?と思うことも一度や二度ではありませんし、「字」が美しい人にはそれだけでも尊敬の念を抱いてしまいます。
(本質的には、英語が解れば素晴らしいと思わせる場面を与えたり、手紙によるコミュニケーションの楽しさを知らせればよいのかもしれませんが?)

 恐らくは、その子供の能力や個性によって適切な方法は変わるのだと思います。(私が理想的と考える方法に、何の反応も示さない可能性もあります)
 幸いな事に我が家では大きい方でも3歳で、幼児期から少年期への狭間です。
 もう少し子供の個性を見極めて、どんな対応を実際に行うかを近い将来決めてゆかねばなりません。
 ゆうこりんさんの意見も、参考にさせていただきたいと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!

PS.
 「集中力を養う」ことや、「小さな達成感を味わい続ける」こと
 私もとても重要だと思います。
by たいせい (2007-02-22 15:18) 

あるぱか

たいせいさん、拙ブログにコメ、TBありがとうございました。
人の不安を煽って、クズの壺を売りつける霊感商法と、英語推進派がダブって仕方ありません。

社会に出て一番重要なのは健康な体と、多少の事ではへこたれない強い意志です。
何より優先して子供のうちに身につけさせたい。
ゆとり教育で、体育の時間は減らされ、悪平等思想で徒競走や校内マラソンは減少傾向、子供達はどこで体を作れば良いんでしょうか?
英語なんぞを教えるより、立派な体(外国人に見劣りしない)を作るのが先決でしょう。
イザとなれば、足を開けば済む女性と、力の優劣に帰着する男性との差と言ってしまえば身も蓋も無いけれど、健康体を作る事、コレは至上命題でしょう。

と、書くと「障害を持つ人は」と言い出す人が出ますが、それは医療の問題で、教育とは別物ですので勘違いなさらぬよう。

たいせいさんのブログを拝見させて頂きましたが、キッチリお子さんと向き合うイイお父さんだと思いました。
少なくなりつつあるそうしたお父さんが、もっと増えてくれれば良いなと思っています。
by あるぱか (2007-03-16 14:30) 

たいせい

 あるぱかさん、「ゆとり教育」の理念。私にはさほど悪い物とは思えません。
 ただ、本来の理念が現場に正しく伝えられておらず、詰め込み教育自体の教育手法をそのままで、詰め込む量を減らしただけであったのが、問題の根本のように感じています。
(子供達の思考力の向上や、多様な能力を伸ばすためには、子供たち個々に合わせた多様なサポートが必要で、先生方の労力が今まで以上にかかるのが、本来の「ゆとり教育」では?)
 また当然のことながら、子供達の多様な能力を伸ばすという意味では、同時に「エリート教育」や、入試などでの選抜方法と基準の変更を伴う「入試改革」とセットで行わなければ成り立たないはずなのにも関わらず、実際には行われていなかったことで、おかしな事になったのではないでしょうか?
(入試が同じでは、それを補うために塾に通わせるのは当たり前です。)

 英語教育については、自分自身としてはこの記事に書いたように考えていますが、「家庭教育」と「学校教育」では、考え方や目指すべき目標が違っていて当然なので、別に考える必要があります。
 「子供達が目指すべき『日本人像』」がまずあって、その為に何が必要か?を優先順位を付けて書き並べ、それを何時の段階でどう身につけさせると効率的なのか?という順に考えていかないと、まともな議論にならないように感じています。

 英語の学校教育については、「子供達が目指すべき『日本人』」はどの程度の英語力を持っていなければならないか?をまず考え、そこのコンセンサスを作り上げた上で、手法や時期などの方法論に入っていけば話が噛み合うように思いますがいかがでしょうか?

 社会に出て一番大切なのは学力ではないとの意見。私も全く同感です。
 私個人としては、学校は子供達にとって「大集団での人間関係」と「対人経験」の学習の場であって欲しいと思います。
 その為には「健全な子供達社会」で、いじめて後味が悪かったり、いじめられて悲しかったり、能力差を補う術を学んだり、悪いことをすると糾弾されたり、泣き、笑い、感動したり、といった、多感な頃でなければ経験できない「子供時代の原風景」を、普通に経験できる学校であって欲しいと考えています。

PS.
 少し考えていたこともあり、あるぱか さんのコメントしていただいたこととは若干脱線して、失礼いたしました。

 今後ともよろしくお願いいたします。
by たいせい (2007-03-17 14:25) 

jaramu

おじゃまします

今日、過去から続いて来た日本人を形作る慣習や制度あり方が形骸化しているため、過去と同じ様な考えの中に居るだけでは、日本人を形作る民族の遺伝子を受け継がせる事が難しくなっております。
戦後から比べて社会の規模やその複雑さもまるで違った状況になっておりますので、身につけるべき内容も変化している筈であり、その習得方法も同じあり方では難しいものと考えます。
またこの事は子供を取り巻く環境だけでなく、親の子育て環境や地域社会のあり方も、過去とは違って大きく変化しておりますので、以前と同じ考えの中に居ては十分な躾が行い難いという事があります。

私は若者と接する機会が多いのですが、最も足りていないと感じる事に「継続力」があります。今日の若者は色々な事をやれる環境にあるのですが、やりたいと思い始めても、「継続力」に欠ける為に続かない場合が多くあります。

「歩みを止めさせるものは”絶望”ではなく”諦め”
 歩みを進めさせるものは”希望”ではなく前に進むという”意思”」

この事が足りていないと感じる若者が多く存在致しますが、その原因は家庭での”躾”のあり方にあるものと考えます。
by jaramu (2007-03-23 10:11) 

たいせい

 jaramuさん、返事が遅れて申し訳ありませんでした。
 私見ですが、あっしゃるように時代は流れており、jaramuさんや、私の育った頃の教育自体が、その前の時代の方達から見ると憂慮すべき教育であったのではないか?と考えています。
 メソポタニアかなにかの古代文書を解読した中で、「最近の若い者はダメだ!」という趣旨の言葉があったようで、恐らくこれは古代から連綿と続いてきたことのように思います。
 その意味で、「今の教育」「昔の教育」という線切り自体があまり意味が無く、jaramuさんの仰るように今できることを”諦め”ず”意志”を持って自分で行うと言うところが、もっとも大切な部分だと自分自身は考えています。

 「継続力」に欠けると言う点について、私も同様に思います。
 これは、衣食住のほとんどに於いて満ち足り、欲しいと言えば直ぐに手に入る状況がそうしてしまって居るように感じています。
 おそらくは、「夢に見るほど欲しいと思ったこと」や「涙が出るほど嬉しい達成感」を経験したことが無く、「継続することによって得られる力の大きさ」を感覚として持つこととが出来ないためではないかと思っています。

 私の場合は、力の及ぶ範囲が今のところ二人の子供達に限られますが、達成感の素晴らしさを、自分で望んで努力することによって経験する機会を作ってやりたいと思います
by たいせい (2007-03-27 17:50) 

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