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米軍施設跡(旧日本軍)「依佐美送信所記念館」(フローラルガーデンよさみ:依佐美の鉄塔:中部・愛知の戦跡:返還された米海軍施設) [我がまち「高浜」]

 先週の日曜日、米軍(旧日本軍)の施設跡にある「依佐美送信所記念館」と隣接の公園「フローラルガーデンよさみ」(子供のお目当ては、当然こちらの方です)に家族で行ってきました。

 1/10の25mに短縮して再建された鉄塔

 遊水施設で遊ぶ我が家の子供達


 私の住む高浜市周辺では、日本に返還・撤去される平成9年まで田園地帯の真ん中に高くそびえ立つ250mの「依佐美の鉄塔」8本が遙か遠くより見通すことが出来ていました。

 私自身にとっても、車の運転を始めた二十数年前、道が解らず「依佐美の鉄塔」を目印に家路に帰った思い出や、遠出からの帰りに「依佐美の鉄塔」の明滅する赤い灯りを見つけるともうすぐ家だと安心できる、大きなランドマークでもありました。

(「思い出の中の一風景」というより、脳裏に染みついている「原風景」に近いです。)

 

 作られたのは昭和4年。

 当時外国の通信ケーブルを使わないとヨーロッパとの通信が出来ない状況を、長距離でも届く「長波」で打開しようと民間の資金によって開設された送信所でした。

(第一次大戦時には、これら海底回線が自由に使用できず、ヨーロッパとの通信にはかなりの不自由があったようです)

 展示されていた往時の写真


  その後、比較的小電力でも電離層反射で長距離通信の可能な「短波」の時代となり、大電力で大規模な設備の必要な「長波」があまり使われなくなったこともあり、依佐美送信所も短波の送信設備が増強されましたが、水中でも届く「長波」の特性が再び見直され潜水艦への通信用に使われるようになり、昭和16年に海軍の管轄下に置かれることとなりました。

(大東亜戦争の際の、開戦日を指示する「ニイタカヤマノボレ一二○八」の暗号電文は有名ですが、依佐美送信所はこの電文を海軍東京通信隊の管制のもと、先遣部隊の潜水艦に向けて送信された送信所だったようです。)

 記念館に移設された送信施設

 戦後GHQに接収されアメリカ軍(米海軍)の管理となり、特に水中に潜む戦略原潜(核弾頭ミサイル搭載型)に対しての通信用平成5年まで使われていましたが、衛星網によるマイクロ波通信の時代の到来で使用されなくなり平成6年に日本に返還、そして平成9年に鉄塔を撤去平成18年には依佐美送信所本館・送信局社のいずれも解体され、70年あまりの歴史を閉じました。

 米軍施設当時の看板類


 

 その跡地を利用して今年出来たのが「フローラルガーデンよさみ」で、「依佐美送信所記念館」も敷地内に併設されていました。

 

 「依佐美送信所記念館」は、旧送信所の送信設備がほぼそのまま展示されており、旧米軍施設だった頃の看板など自分の思い出の中にもある様々な展示品や再現ジオラマなどを見て、当時を思い出しました
(ボランティアの方々が何人かいらっしゃり、展示品の説明なども受けることが出来ます)

 英語・日本語併記アメリカ海軍名の立ち入り禁止看板

 

 戦争や歴史というと、自分自身とはずいぶん遠い世界のことだと思われがちですが、現実には自分の祖父母や曾祖父の時代に身の回りで実際にあったことであり、今の自分自身の環境や行動も、孫や曾孫の世代になると歴史の一コマになるのだと言うことを改めて考えさせられた一日でした。

 

KARIYA CITY 無線の鉄塔
http://www.city.kariya.lg.jp/history/musen.html

探検発見  電気興業 依佐美送信所跡
http://naritama.org/report/denkikogyo_yosami.html

愛知の産業遺産を歩く26 依佐美送信所 対ヨーロッパ無線通信発祥の地
http://www.tcp-ip.or.jp/~ishida96/ih-aichi/isan_wo_aruku/1996/1996-06_yosamisoshinsho.html

依佐見送信所 70年の歴史と足跡
http://www-ani.nips.ac.jp/jr2ipn/yosami2/yosami2.htm

 


 

 ただ、子供達のお目当ては人工の遊水施設での水遊び

 水着に着替えて、チャプチャプとゴキゲンに遊んでいました。

 長女青葉の水遊び

 

 公園内にある「無料」の(この無料という言葉に私は弱いです)ミニSLもこの日は空いており、何度でも乗り放題で、特に乗り物好きの長男「立夏」は上機嫌で過ごしました。

 鬼嫁撮影「ミニSL」

フローラルガーデンよさみ
http://www.fg-yosami.com/

フローラルガーデン よさみ


 

PS.
 なかなか見に行く機会に恵まれませんが、愛知県には東洋最大の兵器工場である「豊川海軍工廠」があったり、三菱重工・川崎重工をはじめとする軍需工場滑走路跡などが意外に沢山残っているようです。
(三ヶ根山など、フィリピン方面の慰霊のメッカなどもあります)

 機会があれば、当時の時代の空気を改めて自分で咀嚼するためにも足を運び、当時の空気を自分の目で見て、感じ、考えてみたいものだと思っています。


愛知県内の戦争遺跡
http://akuroma.hp.infoseek.co.jp/senseki/chubu/aichi/aichi.htm


 

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依佐見の鉄塔の赤い点滅、豊明市の我が家からも見えたものです。
小学校のころ、その正体を確かめるべく、自転車でそこまで走って確かめに行った覚えがあります。
最初の冒険だったのかも。
by (2007-09-03 20:32) 

たいせい

 STEALTH さん、依佐美の鉄塔が撤去されて暫く、車で走っていても何やら、もの足らない風景に感じられたことを思い出します。
 生まれてからずっと有ったものが無くなることの違和感のようなものを無意識に感じていたのだと思います。
 また、私も中学や高校生の頃自転車で、当時米軍管理の施設の前を通ると、和文・英文併記の立ち入り禁止の看板に、何やらおどろおどろしい雰囲気を感じたものでした。
 景気も町の雰囲気も、大きく変わってゆきますね...。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-09-04 08:36) 

アキラ

昨日は、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
ご厚意を無駄にしないよう、精一杯活用させて戴きます。

昭和4年に250もの高さの鉄塔が、日本にもあったこと自体驚きです。
しかも、8本も・・・・
お嬢さんの青葉ちゃんは、お母さん似にて、美人になりそうですね。
by アキラ (2007-09-04 08:51) 

たいせい

 アキラさん、今回調べていて驚いたのは国の政策に沿って実際に建てたのが民間だったことでした。
 当然その方達は、ある程度のリスクを背負い、志の高い人たちではなかったのかと思いました。
 比較対象としてはあまり適当ではないのかもしれませんが、私の住む愛知ではミツカン酢で有名な中埜家が半田の港湾開発を行ったり、用水などの開発でも民間の手により行われた事例がいくつもあります。
 企業の社会貢献などが最近言われてきていますが、諸先輩方は血のにじむような思いで普通にそれらをやっていらっしゃったのだと、改めて考えさせられました。
(残念ながら、弊社にはそんな力がありません....。)

 思うにアキラさんの『家づくり学院』や『リフォーム塾』も、そんな地域貢献の一環ではないかと思いました。
(微力でもそれに貢献できるのであれば、私としてもそれに勝る幸せはありません)

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-09-04 10:04) 

友人が依佐美地区に住んでおりまして、
高校時代、友人宅に遊びに行くと
「あの鉄塔があるから、もし戦争になったら
即、ここが狙い打ちされるんだよ~」と
何度も自慢(?)しておりました。

車の免許を持つようになって、自分で友人宅へ
行く時には、やっぱりたいせいさんのように
鉄塔を目印にして行きましたよ~♪
その後友人から撤去の話を聞いて、残念な気持ちに
なりましたよ。(笑)

この間、23号の工事があって渋滞を避けるため
田園地帯を走っていると、依佐美のこの公園がっ!
立ち寄りたかったのですが、用事があってできませんでした。
でも「謎」の公園だったので、たいせいさんの今回の記事で
解けました!
ありがとうございます。また今度、行ってみます!
by (2007-09-05 10:06) 

たいせい

 ぺんたごんさん、「フローラルガーデンよさみ」はやや中途半端な感じもありますが、3・4歳から就学前の子供くらいがほとりで遊んでいても安心してみていられる遊具が比較的充実していて、我が家では時々足を運びます。
(一緒にしか遊べない遊具ばかりだと、体力が消耗しますので...。)

 中にはそれほど大きくはありませんが、イタリア料理店(?:そうめんもありました)があり、子供料金の設定もある昼食バイキングなどもありますので、気が向かれたら足を運んでみてください。

 nice! &コメント、ありがとうございました!

PS.
 昔の鉄塔の存在感が頭にあり、1/10の再現鉄塔、建ったときにはとても悲しく感じました....。
by たいせい (2007-09-05 14:50) 

fanta

小学校を卒業するまで知立市に住んでいました。
依佐美の鉄塔懐かしいです。
いまはなくなっちゃたんですね。
当時はアメリカの国旗がたなびいていて異国を感じたものでした。
by fanta (2007-09-05 21:58) 

たいせい

 fantaさん、昔は知立にいらしたのですね。
 確かに星条旗は、私も記憶に鮮明に残っています。
 この記事を書くときに、表題を「旧日本軍施設跡」にしようか?「米軍施設跡」にしようか?、少し悩みました。
 「旧日本軍施設跡」というのが筋なのかもしれませんが、私の頭の中に象徴的にに残っていたのは、やはり「星条旗」でしたし、「英文・和文併記の立ち入り禁止看板」でしたので、このような表題にしました。

 有ったときにはオドロオドロしく感じていたのですが、いざ無くなってみると何やら寂しく感じています。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
 
by たいせい (2007-09-06 09:24) 

こう

自分の小さい頃の思い出も薄れてきているので、戦時中の事など想像も出来ません。
しかし、今の自分があるのも過去があってこそですね。
自分の原点を見つめるには、過去に触れてることは大事だと思いました。

長波って海中も通るのですね。勉強になりました。
by こう (2007-09-11 06:27) 

たいせい

 こうさん、この鉄塔のことはたまたまなのですが、かつての戦争のことは、ちょっと気づいてあげるだけで身の回りに思いの外多くあると思います。
 戦没者碑や、ちょっとした神社などでは日清日露の戦捷碑が有るところも多いと思いますし、そもそも私達の祖父母世代は当事者でつい数十年前には実際に身の回りに起こったことでもあり、痕跡は様々な形で残っています。
(高度経済成長も歴史の一コマに成りつつあるのと同様に、バブルの崩壊なんかも私達孫の世代には歴史の中の事件になっているかも?)

 こうさんの周りでも、興味を持って眺めると意外な発見があると思いますよ....。
 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-09-11 08:20) 

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