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戦前·戦中·戦後派の価値観?(戦時体制以前と以後で、かなりの相違が?) [時の話題]

 この記事も、とあるBLOGに付けさせていただいたコメントのサルベージです。
(つまりは手抜き記事なのですが、埋もれされるのがもったいなく感じました

 コメントを付けさせていただいた記事は、「無党派日本人の本音」という80代の方が書いていらっしゃるBLOG(この年で書いていらっしゃることに、畏敬を感じています)で、「戦前、戦時中の日本人の価値観」という記事でした。

  無党派日本人の本音 戦前、戦時中の日本人の価値観
  http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/e/b1e247c67e58f7e3209744e8f78f3fba

 

 私の書いたコメントは以下のような物です。

 戦前·戦中派と言う言葉を良く耳にしますが、戦前派には実は二種類あって、それぞれ実際体験された経験も考え方も異なっているように感じています。

 私見ですが、思春期の頃に戦時体制に入っていた「戦時体制派」と、それ以前の「生粋の戦前派」の二種類です。

 本などを読む限り、「生粋の戦前派」の方たちは戦時体制を醒めた目で見ていらっしゃって、日本が国際社会の圧力を受けた結果、国力を集中して欧米に立ち向かわねばならない「やむを得ない体制」だと肯定的に捉えていらっしゃる記述が多いように感じています。
(少なくとも「戦時体制派」の方が言われるような重苦しい雰囲気は感じず、十分自由闊達な社会があったように感じています)

 その視点で見ると、大正デモクラシーの延長線上に自力で現在のような民主主義体制が出来たと考えることすら可能で(少なくとも他国での民主化がなかなか上手くいかないのに比べ日本では簡単に実現できたのは、明治の議会開設以来大正デモクラシーまでの間で十分に経験を積んできたことに依るのでは?)、わずか十年ほどの戦時体制で、戦前全てを語ることに違和感を感じることがあります。

 高度経済成長以後しか経験のない若輩者の感想ですので大きな認識違いなどもあるかもしれませんが、その点はいかが考えていらっしゃいますでしょうか?

 

 そしてそれに対して、無党派Aさんは以下のようなコメントを返していただきました。


私の意見は、戦争中は軍の指導や締めつけで、一見、皆同じ価値観を持たされた。
戦後占領軍が入って、大まかに言って3種の価値観を持つ人に変わった。

1.日本古来の価値観の良い部分も全て捨てて、米国の言うことをそのまま呑みこんだ人。
 その極端なのが、権利は主張するが義務、責任を感じないひと。

2.日本古来の価値観の良いことも悪いことも全て護るひと。

3.日本古来の価値観の良い所と、米国の価値観の良い所を自分のものにしようとする人。

私の考えでは3.の人が大部分と思います。

今後ともご助言とサポートをお願い致します。


 私自身これを考えるようになった切っ掛けは、20代の頃情熱を燃やした「山登り」を通してでした。
 (山登りも、理屈からはいる私であったりします)

 日本の岩壁登攀の歴史は、主に戦前·戦中派の人たちによって作られて来たのですが、それぞれ思春期を迎えた時期「戦時体制以前」「戦時体制-戦中」「戦後」で大きく異なります

 「戦時体制以前」の方達は、主に旧制高校を経て大学山岳部を活動の基盤としていて、自由闊達な雰囲気があり独自の美学で飾られていた印象が強くあります。

 「戦時体制-戦中派」の方達は、戦後生きる目的を失い生き残った自分に呵責を感じつつ、危険と隣り合わせの岩壁に向った印象です。

 「戦後派」の方は、混乱の中の実生活を離れて自分が生きてゆく目的を求めて、バリエーションルートを切り開いていきました

 以上は、私の全く個人的な印象なのですが、その後自分なりに様々な近現代史についての本を読んでいて、著者が思春期を迎えた年代によって戦争や戦時体験についてのスタンスが全く違うこと気がつきました。

 それが、戦前の人たちには「大正デモクラシー戦時体制以前」「戦時体制-戦中派」とでは全く違う時代認識を持っていらっしゃるのではないかという点で、その後の自分なりの勉強でも、一層その思いを強めています。

(今では、親がどの世代の人か?によって、子供世代の歴史認識も違うように感じています)

 

  ともすると大正デモクラシーを経験された世代の方の本などを読むと、戦時中もそんなに暗い印象で書かれてはいません

 また戦後民主主義も、連合国によって唐突に教えられて根付いた物ではなく、大正デモクラシーの経験の上に立ったもので、現在の民主主義はその延長線上で根付いていると一層思うようになりました。

(少なくとも、日本以外の国では上手くいかなかったり定着に過度の時間がかかったのは、大正デモクラシーを経験していないためなのでは?)

 また、この世代の方達が社会から引退されてから近隣諸国との問題が先鋭化したようにも感じでいます。(国内もそうですし、海外も)

 

 

 私自身、未だ定見を持つところまでは来ていませんが、

 皆様は、いかが思われますか?

 

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PS.
 我が家では昭和10年生まれの父からは、戦時中の話を聞いたことは全くありませんが、フィリピンで亡くなった母方の祖父の話を大叔父から何度見聞いて育ちました。(「誇り」が感じられる話が多かったです)

 大叔父も祖父も戦時体制以前に思春期を迎えられており、その話からも戦時中の「暗さ」を感じる話は一切無かったと感じています。


 

PS2.
 久々の重い記事で恐縮です。

 一応次は、「中低層住宅と今回の建築基準法改正」(来年末の4号特例廃止についても含むつもり)か、例によって「親バカ日記」(実はすごく好きです)を書くつもりでいます。(その次は瓦の記事)

 時間の都合で、またコメントのサルベージ記事になったらご容赦下さい。

 


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コメント 8

私は幼年期に明治生まれの祖父母に育てられた経験があります。彼らは戦時中外地にいて終戦時には酷い目にあった話を繰り返し私に聞かせてくれました。
今回の記事を拝見して封印していた祖父母の話を書いてみようかと思いました。
by (2007-11-12 21:05) 

たいせい

 STEALTH さん、私の場合は母方の祖父が大陸での後方業務は嫌だからと自ら志願して前線のフィリピンに転属してんそこで戦死を遂げられたと、同じく部隊経験を持つ大叔父から聞かされて育ちました。
 身の回りの戦争に関する話がそんなところから始まっていたので、いわゆる自虐教育というものに違和感を感じ続けていました。
 今は大叔父も亡くなってしまいましたが、今にして思うのはもう少し話を聞いておきたかったという事です。

 STEALTH さんの記事、楽しみにしています。
 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-11-13 10:18) 

とりのさとZ

こんにちは
前の戦争体験を元にしての、現在への流れのお話なのですが、もう少しタイムスパンを広げて、坂本龍馬から小泉純一郎までを鳥瞰した本を最近読みました。
イアン・ブルマ「近代日本の誕生」ランダムハウス講談社 ¥1890 (06年10月刊)
 これを読むと、個人的体験が歴史的にどの位置にあるのかがわかるような気がしました。しかし、戦後日本への評価はまだ早いような気もします。

 
by とりのさとZ (2007-11-15 12:28) 

たいせい

 とりのさとZ さん、その本は未読ですが「歴史の中の今」と言うことを考えるに当たり、もっと長いモノサシが必要だと感じています。
 その意味で言えば、幕末に何故「尊皇」だったのか?と言う話から始まって、「五箇条の御誓文」(船中八策?)から「自由民権運動」を起点とした「議会の開設」、そして平民宰相に代表される「大正デモクラシー」、行き着くところの「戦後民主主義」。
 戦争が間になくとも、一本の線につながっていると感じられますよね!

 話は変わってしまうかもしれませんが、昨今の、誰に責任の所在があるのかよく解らない官僚や政治の制度。
 どこか、江戸末期の幕府の意志決定のあり方と似ているように感じませんか?

 コメント、ありがとうございました!

PS.
 地域の歴史伝承と歴史教育について、題名は忘れてしまいましたが呉善花(オ・ソンファ:韓国人)さんの本で面白い本を読んだ記憶があります。
 済州島に生まれた呉さんは故郷では親日的な話を聞かされて育ったのですが、ソウルで大学教育で反日的な歴史を学び「故郷のお年寄りは学問を知らないから、間違った認識をしている可愛そうな人たち」と考えるようになったそうです。
 日本に留学して、数年過ごすうちに「自分の周りにいるこの日本人が、大学で学んだようなことを韓国でしたはずがない」と違和感を感じ、自分なりに歴史を調べた結果、韓国の歴史教育こそが変だと感じるようになったと言うような経緯が書かれていました。
(呉さんは、本を書いて、韓国からのバッシングで帰国できなくなり、今は日本の大学で教鞭を執られていらっしゃいます。:拓殖大学?)

 民間の歴史伝承というのは、呉さんの例もそうなのですがとても大切なものと感じています。
 ただ、時間が経った記憶は自分の認識の中で情報の取捨選択が進み、同じ事を語ってもその人の立場で全く異なる話しに聞こえる場合も多々あり、背景を頭に入れて注意して聞かないと危険性もあると感じています。
by たいせい (2007-11-15 15:19) 

とりのさとZ

http://homepage2.nifty.com/torinosato/wadai6.htm
呉善花さんの本、好きですよ。よくご存じでしたね。
上に、私の感想文、あります。

 間に戦争が挟まれたということで、大正デモクラシーには無力感が…というふうに、その前に紹介した本には書かれていたような印象でした。ではまた。
by とりのさとZ (2007-11-15 18:03) 

こう

 私の父は昭和11年生まれです。
 戦争は子どもの時代だった為に、とにかく怖かったという印象しか持っていないようです。
 また、あまり話したくないようです(思い出したくないのでしょうか?)。
by こう (2007-11-16 13:06) 

たいせい

 とりのさとZさん、呉善花さんは初期の何冊かがとても好きで、結構嵌ってしまいました。
 私個人の趣味と言うことになろうかと思いますが、理屈中心のイデオロギーじみた歴史観よりも、民間伝承(私自身の実際体験したこと、実際聞いた話なども含めて)レベルの一次情報の方が大切だと感じていて、その意味で何か感じるものがありました。

 戦後民主主義が定着したことについては、やはり大正デモクラシーを日本人が経験していたことが大きいと感じています。
 本文にも書きましたが、他の国ではそう簡単に実現できていない「民主主義」が日本で何故実現できたのか?と言う点では、やはり大きな流れの中でそれに向かっていたからだと考えています。
(制度上の民主主義国と言われている国でも、大統領の交代があると必ず前の大統領が裁判に掛けられる国や、安定していると安心していたら軍事クーデターが起こったりするのが「押しつけ民主主義」の特徴で、まだまだ成熟はしていませんが日本ではそんなことは起こりません。)

 追加コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-11-17 10:24) 

たいせい

 こうさん、私の父も昭和10年生まれで父からは戦争の話を聞く機会は未だにほとんどありません。
 ただ私の印象では、戦争中の記憶はそれほど濃く持っておらず、戦後の混乱期の印象が非常に強い様に感じています。
 世代的には当然「戦時体制-戦中・戦後派」に成るのですが、父も天の邪鬼名傾向があり、必ずしもWGIPに染まっていないようです。
 実際には、それぞれ個人の体験なり環境によって、様々な受け止め方をしているのかもしれません。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-11-17 10:32) 

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