私の文章修行(ワープロという奇跡の道具に感動!) [あいさつ]
最近、私には過分な評価ながらこのBLOGを読んでくださった方から、「難しい内容を良くかみ砕いて書ける物だ」とか、「人間味が伝わる文章だとか」、文章についてお褒めいただく事が数度有りました。(恐縮しています)
私自身は、二十代半ばまで自分は文章能力がないと思いこんでいて、文章を書ける人に対して強いコンプレックスを持ち続けていたこともあり、これらの評価をいただいたことが本当に嬉しかったと同時に、正直意外な思いを持ちました。
今回は、文章作成へのコンプレックスと、今に至る経緯を書かせていただきます。
私は文字を書くのがとんでもなく下手で、綺麗な字を書ける人に対し未だにコンプレックスを持っています。
字が上手くならなかった要因としては、小学生時代に字や文章を書くことを好まずに、全く練習しなかったことだと思っています。
作文は大嫌いだし、夏休みの宿題の読書感想文などもほとんど書いた記憶が無く(結局、毎年出さずに済ませてしまったような気がします)、漢字の書き取りなどでも字を書くこと自体が嫌だったため全くやる気がなく、テストで一問も出来ないという恥ずかしい成績でした。
ただ、解らないことが解るようになることに悦びを感じていた事もあり、本を読むのは好きで、科学物・歴史物など時間があればひたすら本を読んでいましたので(読書量は、恐らく学校内でも飛び抜けて多かったと思います。:図書室で書棚単位で読み進め、卒業時には読みたい本が無くなりました)ほとんどの漢字は読むことが出来、結果的に漢字テストは書くのは0点、読むのは満点のきっかり50点でした。
学研「科学」と「学習」。私の『知る悦び』の原点!
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-06-06
私の父の教育(人と違うことこそが素晴らしい!)
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-11-09
自然、自分自身の認識としては「字が下手」で書くのが嫌い、作文なども全くしたことが無く、文章をまともに書くことが出来ない人間だと二十歳過ぎまで思って育ちました。
なによりも、汚い字で書かれた自分の文章を読み返すなんて、触れたくないコンプレックスを直視するような思いがして、まともに自分の文章を読んだことがありませんでした。
就職をして働くようになり、それでは済まなくなりましたが、それでも報告書等の文章を書かねばならないときは、嫌々ながらミミズののたうち回ったような文字を連ねて当時の上司に「お前の報告書は読めない」等との小言を何度も言われ、対外文書などを書かねばならない際には下書きのメモ(要約メモ)を女子事務員に渡して文章を作ってもらうような、非常にみっともないことをやっていました。
初めてワープロでの文章作成は、私にとって大きな感動体験でした。
職場にワープロが導入され、否が応でも自分で対外文書を作らねばならなくなった訳ですが、いざ自分が作った文章を印刷してみると意外と読める文章が書けていることにビックリしました。
当時1時間強の電車通勤時間をつかい相変わらず読書の習慣が続いていたこともあり(ほとんど活字中毒で、食事やトイレはおろかお風呂でも本を読んでいました。:年間500冊くらいの読書量はあったと思います)、
少なくともおかしい文章の識別が出来る感覚を知らず知らずのうちに育てていたようで、その感覚で自分が作った文章であれば十分に対外文書として通用するという事実は新鮮な驚きでした。
最初のころの文書作成は、文書になれていなかったこともありかなり変な文章だったと記憶していますが、読書によって良い文章と悪い文章の識別能力が育っていたようで、文章のおかしい部分は自分でわかり、ああだこうだと試行錯誤を繰り返して文章を直して完成文書を作るという時間のかかる作業でした。
(今思えば、子供に読書の習慣を付けるのは大切ですね!?)
いままで文章が書けないと思っていた自分に、実は文章能力があると解ったときの悦びは本当に大きかったです。
当時やっていた山登りの際にも、檄文や文章部分の長い登山計画書・企画書をわざと作ったり、何か機会がある度に文章を作りたがるようになり、作文嫌いの私が180度の大転換を遂げたわけです。
(仕事の上でも、「企画書」の起草はやたら楽しく、求められても居ない企画書を書いたりしていました。)
我が青春の穂高岳(山登りの檄文が載っています)
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-07-27
そして、会話では一対一でしか伝えられず記録が残らない「思い」が、文章にすることによって不特定多数の方たちに「思い」を伝えられるという事に目覚めてしまいました。
文章が掛けないというコンプレックスから解き放たれたのは、ここで書いたように20代も半ばになってからのことで、当然 稚拙な文章からのスタートでしたがだったように、新しく知った「文章に思いを載せる」と言う作業の楽しさが、今の自分を作っているように思います。
このBLOGも、その「人に思いを伝える楽しさ」で続けているような気がします。
ワープロを発明した方たちに、強い感謝の念を持っています。
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私も直筆はとんでもない字です。そのため、大学4年生の時に卒業論文を全てワープロ打ちしました。当時としては画期的なことでして、内容はともかく”優”を頂戴しました。それからですね、キーボードに抵抗がなくなりましたのは。
良い経験でしたよ。
by (2008-01-19 22:47)
字の下手な人のトレーニング法:
3センチ平方くらいの升目(将棋盤)を(サインペン)で作る。その上に紙を載せて「細丸ゴチック」をモデルにして、鉛筆かボールペンで、ひらがなや漢字を書いていく。筆順は無視する。下から上に書いてもいい。
これを1ヶ月以上やれば、字の癖がなくなり、「よそゆき」の文字が書けます。(これはレタリングのマル秘練習法です)
文章は、私は今でもあまり自信がなくて、書いてから後で読むと、いつも反省点ばかり目立ちます。読書の後のまとめ方がむつかしいです。
by とりのさとZ (2008-01-20 06:49)
いつもniceありがとうございます。ワープロは、確かに便利ですが、字を読めても字体忘れ、自筆で書くことが苦手になる欠点がありますね(^O^)
by (2008-01-20 17:58)
たいせいさんが文章書くのが嫌いだったなんて
想像がつきませんでしたが・・・ワープロは良い道具ですね!
特に日本語は漢字変換などをして複雑だと思いますが、
それを見事にクリアーして開発してくれて
「変換間違い」なんてこともあって、本当に楽しいです。
by (2008-01-20 19:58)
私も字はあまり上手くありません。
が、両親ともに書道の有段者で、字に対するコンプレックスはありましたね。
(だからといって練習したりはしませんでしたが・・・)
仕事柄パソコンで文字を打つようになり、字が下手な事でどうこうはなくなりましたが、漢字が書けなくなってしまったのが悪い点ですね。
以前は普通に書けていた文字をかなり忘れてしまっています・・・
by nina (2008-01-21 00:50)
STEALTHさん、その頃は日本語ワープロの黎明期ですね。
まだその時期は、日本語入力が稚拙でせいぜい日本語タイプライターとしか呼べない代物でまともな漢字が出てこずに、一旦下書きを起こしてからの入力だったのではないでしょうか?
私の場合は自分で本格的に使い始めたのは、パソコン上のワープロソフトで一太郎だったように記憶していますが(Ver3 or4.3。確かOSはCP/M)、今思えばかなり貧弱な日本語変換だったはずなのにも関わらず、この記事で書いたような強い感動を覚えました。
今思えば、夢のようです。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 08:48)
とりのさとZさん、字の上手い人にコンプレックスを感じつつも、字の練習という地味なことをするよりも本を読むことの法を今も優先してしまう、今も懲りていない私だったりします。
文章について自分自身ではさほど自信が有るわけでなく、お褒めの言葉をいただくと恐縮してしまうのが正直なところです。
実際に駄文も多く生み出していて、この記事なども何を言いたいのかよく解らない文章だと、今読み返していて思いました。
結局文章能力というのは、国語力と言うよりもむしろ数学的な論理的な思考能力で、結論めいたことがまず頭にあってそれについてどう論理を展開しようかと考えたときに、解りやすく意図の通じる文章が生み出されるように思います。
BLOGの記事を書きながら、楽しくそんな訓練が出来るのは本当に楽しいと感じています。
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 08:57)
一真さん、私もはじめのころはワープロによって文字が書けなくなったと思っていたのですが、自分の場合よく考えてみると元々漢字を書くことが出来なかったので、辞書でどの漢字が正しいか調べながら文章を書くことにより、むしろ最近漢字が書けるようになってきたと驚いています。(少しずつですが...。)
私のような者に、文章を書く気にさせてくれたワープロという文房具に、心より感謝しています。
nice! &コメント、ありがとうございます!
by たいせい (2008-01-21 09:04)
ぺんたごんさん、仰るように時々の変換間違いは、思わず笑みがこぼれる事が良くあります。
最近のワープロは頭が良く学習機能などもあるので、他の肩の打たれた文章の変換間違いから、その肩が普段どんな文章を打たれていらっしゃるかが垣間見られることもあり、その意味でも面白いです。
まだワープロが今ほど頭の良くなかったころ、入力を楽にするためによく使う慣用句を短い文字数で辞書登録していたことが良くありました。
(「いつも」→「いつもお世話になりありがとうございます」など)
それで会社のワープロなどに、くだらない文言を登録しておいて遊んでいたのを思い出しました。
「あ」と打って変換すると、「あ○○部長は、アデランス」などという変換文字が出てきて、社員同士の遊びの温床になっていましたが、時々それによって間違った変換の車外文書などが出てきて、大目玉を食らったのも思い出に残っています。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 09:14)
ninaさん、字の上手い人などを見ていると子供に対して有る程度の訓練や詰め込みなども必要なのではないか?と思うことが時々あります。(漢字の練習などもそうですね)
自分自身のコンプレックスの裏返しなのですが。子供も字が下手だったらひょっとしたら書道塾などに通わせてしまうかもしれません。
字の上手い人の考えることは私にはよく解るませんが、ninaさんのご両親は、我が子の文字を見て何を考えていらっしゃったのかな?と思いました。
(ちなみにうちは、両親共に「くせ字」です。)
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 09:23)
文章力がない・・・に驚いています。
「また、また~!」という感じです。
きっと、本を読まれることで、知らず知らずのうちに文章力も身につけられたのでしょう。
頭の悪い人は「コンプレックスをコンプレックスと思わない」そうですから、
たいせいさんは、持って生まれた頭いいんです。
by アキラ (2008-01-21 10:27)
子供の教育で「本を読むこと」は、とっても大切なことだと思います。
幼い頃は、「読み聞かせ」ですね。
私の中学時代、国語の先生がとんでもなく厳しい先生でした(女性)
漢字テストやら半端な量じゃなく。。当時の教え子の間では語り継がれる
先生でした。でも、その教育方針が、その後の生徒たちには通用しなく
なったと聞きました。私にとっては、有難い(今となっては)教育だったのですが。。
by (2008-01-21 11:37)
アキラさん、二十代半ばまで、自分には人並みな文章力はとても無く、まともな文章を書くことが出来ないと本気で思っていましたし、実際稚拙な物しか書けなかったと思います。(今も稚拙で恥ずかしくなることがままありますが)
友人にどうやったら文章が書けるようになるかを聞かれることが何度か有りましたが、結局、文章力成る物は才能の部類に属する力ではなくて、訓練によっていくらでも洗練されていく物だと、今は思っています。
現にこのBLOGの記事でも、始めた当時は一つの記事を書くのに随分時間がかかっていましたが、最近ではそれほど時間を掛けずとも済むようになりました。
考えてみれば、日本語で普通に話をして意思疎通が出来るのですから、慣れてしまえば誰でも文章で意思の疎通が出来ると言うことなのだと、最近は考えるようになりましたし、私の場合はその切っ掛けが、ワープロとの出会いと感動だったように思います。
BLOGを続ける原動力を下さる皆様のコメントに、感謝感激です。
nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 11:54)
夢空さん、小学生のころから続く本を読む習慣に、本当に助けられています。
私のような学校教育の落ちこぼれ(関心のある物しか頭になく、通知表は1~5まで揃うという妙な物でした)が今日生きていけるのは、そのおかげ以外の何者でもないと思っています。
とは言っても勉強のための読書ではなく、知らないことを知ったりする面白さから始まった読書で、自分の子供にそれをどう伝えようかというのは、親としての私の今後の課題ですね。
小学生の私の担任の先生も、漢字テストや宿題の漢字の書き取りなどは半端な量ではなく、優等生たちはかなり苦しめられていたようですが、私も両親も学業成績に関心が無く、宿題をいつもやらずに済ませこっぴどい罰を毎回受けていた記憶があります。(それでもやらなかったのですから、有る意味、強者だったのかもしれません)
それも今では、良い思い出です。
コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2008-01-21 12:06)
子供の頃に本を読む習慣が無かったのを未だに悔いています。
本を読むようになったのは、電車通勤をするようになってからです。今でも、本を読むのは電車の中が多いです。
学生の頃は、本を買っても最初だけ読んで積んでおく(積読ってやつ)だけでしたので、電車通勤してよかったです。ですが、文章がうまくなるほど読むのはこれからです。
私も字を書くのが下手なので、ワープロは助かりました。FM-77で論文を書いたのを思い出しました。
by こう (2008-01-21 13:29)
こうさん、FM-77と言う機種名、とても懐かしいです。
私は当時、FM-11を大枚はたいて買ったはいいものの(確か総額で70万円くらいかかった記憶が。)ビジネス系のソフトがあまりでないのに絶望して、何故かZ80カードを載せてCP/Mを走らせ(当時のOSはCP/Mぜんせいだったのでうよね)、一太郎のVer.4.3やロータス1-2-3を走らせていたのを思い出しました。
つまりは、会社で出会ったワープロの素晴らしさに感動して、自分専用の物が欲しいとそこまでやってしまいました。
本の積読、私も良くやります。
昔、読書術系の本に書いてあった「読まない本を積んでおく事にも意味がある」との記述に何感じる物があり。(買うときに何かの思いがあったはずで、それを思い出すだけでも能への刺激になるとの記述だったと思います。何よりも、見つけたときに買わないと二度と巡り会えない後悔を、何度も経験しました。)
子育てに追われて読書時間が確保できない今でも、気になる本を見つけると思わず買ってしまいます。(家計に響きます...。)
情報過多になっている昨今ですが、自分の子供には読書の習慣を付けてもらいたい物です。
nice! &コメント、ありがとうございます!
by たいせい (2008-01-22 09:08)
20年くらい前に、確かNECのPC-9801で、一太郎Ver1.1がワープロとの出会いだったと思います。
当時は、パソコン(というかワープロ)って思ったより面倒くさいし、難しいなぁと感じてました。
でも、なにか便利そうだという夢のような感じが、開発している技術者や黎明期のユーザーの原動力だったんでしょうね。
しかしながら、最近のワープロは、本当に進化しましたね。
わたしも、こどもの頃には作文や感想文が大嫌いでした。
社会人になって、やむなく文章作成。
でも、人間やればできるって感覚が芽生えると、ちょっとした自信が持てるみたいです。
30代後半になって、ひょんなことで習字を習い始めましたが、ワープロの時代だからこそなのでしょうか、手書きの良さを実感しました。
ワープロで書く漢字は、書いたらほとんど素通りですが、習字の場合は言葉単位もさることながら、文字単位でも意味を考え、字を少しだけですが大切にするようになりました。
by mike (2008-01-23 08:25)
mikeさん、このコメントを読んで私の記憶の曖昧さに気づきました。
PC-9801のころに一太郎]Ver1.1だとすると、私が一太郎に触れたのはFM-11に8088ボードを入れてMS-DOSを走らせてからか?、次のパソコンだったのか?(或いは会社のパソコン?)、記憶に自信が無くなってきました。
(そう言えばピコワードとか言う、日本語タイプライターも買った覚えが...。)
やはり文章作成というのは、日本語で意思の疎通が出来る人であれば、訓練(慣れ)次第でどうにでも成る物だとの持論を持っていますが、mikeさんも社会人になってからの文章修行だと伺い、持論に少し力をいただいたような気がしています。
習字もいずれやってみたいとは思いつつも、なかなか機会がないと始められる物でもなくこの年になってしまっています。(よっぽどのことがない限り、もうやらないでしょう。)
コメントを読んでいて少し羨ましく感じました。
私自身は冗長な文章を書きがちなので、今後如何に単純化して解りやすい文章を書けるようにすることを課題だと感じていますが、今後自分の文章がどのように変化してゆくかも楽しみの一つです。
nice! &コメント、ありがとうございました!
PS.
パソコン歴自体は、H68TRやTK-80などのボードマイコン時代から有りましたので、マイクロコンピュータで日本語が使えるようになったこと自体に新鮮な驚きを感じたのも記憶に残っています。
by たいせい (2008-01-23 09:30)