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「平成19年新潟県中越沖地震」瓦屋根に関する報告書(平成19年7月16日 新潟県中越沖地震:柏崎市・刈羽村) [屋根には「瓦」]

 今月の初め(8/1~8/2)新潟県中越沖地震の被災地に、所属する愛知県陶器瓦工業組合-技術委員会のメンバーの一人として現地調査に行ってきました。

 末尾に収録した技術委員会としての報告書に併せて、私個人としての所感を含む報告を書かせていただきます。
(最末尾に愛知県陶器瓦工業組合-技術委員会としての報告書を収録してあります。)

 柏崎市内の倒壊建物

 

 今回の視察は、宿泊を長岡市に取り、高速道路の事情により北陸道-柏崎ICで降りることが出来ず西山ICより一般道を走行、その後刈羽村を通り柏崎市内で徒歩調査、そしてJR北陸線で斜面崩壊によって不通となった現場に立ち寄ると行った経路での視察でした。

 刈羽村付近

 刈羽村の倒壊建物

 

 まず全般的な印象についてですが、切り土・盛り土によって造成された一部地域を除き(地盤の問題で地区としてかなりの比率で倒壊)、古い建物のうち何らかの問題があると思われる建物が「選択的に倒壊」に至っているとの印象を受けました。

(上の写真を見ていただいても、屋根に被害がありブルーシートが掛けられた多々物は沢山ありますが、倒壊にまで至っている建物はTV等で受けていた印象に比べてかなり少なく感じられました。)

 

 屋根材の違いによる倒壊の差異については、柏崎地域では元々住宅の大半が「木造軸組在来工法-瓦葺き」であり、他の屋根材や他の工法の建物を見つけること自体が大変難しく(つまり被災物件も瓦屋根、無事な物件も瓦屋根でした)、屋根材の種類による被災状況の差異を明らかにするまでには至りませんでした。

 ただし、数が少ないものの幾つかの被災物件の中には「RC造」や「金属屋根・鈑金屋根(板金屋根)」の建物なども存在しており、瓦屋根だから倒壊したという指摘については明らかに否定できる物と考えています。

   柏崎市内-RC造

 金属屋根

 金属屋根(要注意建物との表示有り)

 金属屋根

 いずれにしても、新興住宅地など新しい建物が大半を占める地区では、瓦屋根であってもその他の屋根材であっても全く被害を受けていないと思われる物件ばかりであり、最新の家に関してはほとんど心配が要らないと安堵いたしました。

 

 建物の倒壊については以上のように感じられましたが、瓦屋根部の被害ということでは以下のようなものでした。

 一部、縦揺れによる物と思われる「平部-桟瓦の浮き」が見られたものの被害物件数は少なく、ほとんどの屋根被害は「棟部の崩落」という形で発生していました。

 柏崎-建物自体は無事だが屋根に被害

 被害棟数自体も、柏崎市内を中心とする周辺地域の古い建物ではかなりの比率で発生しており、雨漏り防止にブルーシートを張った屋根もかなりの比率で存在しており、屋根被害はかなり大きかったと言わざるを得ません。

 柏崎市内

 ただし、築後新しい物件については(葺き替え後も含む)、国内各地での震災経験が生かされた工法にシフトが進んでいることもあるのか?、ほとんど被害は見受けられませんでした

(逆に言えば、最新の工法がもう少し早く普及して屋根被害さえなければ、ほとんど被害を受けていない物件や地域が沢山あったとの印象でした)

 

 ここから「地盤の問題」「建物の倒壊について(構造部分の被害)」と「屋根被害について」の三つの観点に分けて、更に詳しく書かせていただきます。

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「平成16年新潟県中越地震」瓦屋根に関する被害報告書(備忘録) [屋根には「瓦」]

 今回の「新潟県中越沖地震」に関する愛知県陶器瓦工業組合-技術委員会としての現地調査を、来週(8月1・2日)予定しています。

 ついては、今回の地震との差異を明らかにしたいとの思いで、3年前の「新潟県中越地震」の報告書をはじめとする幾つかの地震に関する報告書に目を通しました。

 前記事である「平成17年福岡県西方沖地震」瓦屋根に関する報告書に引き続き、3年前の「新潟県中越地震」に関して当時愛知県陶器瓦工業組合-技術委員会で行った瓦屋根に関する現地地調査報告書を、今回の「新潟県中越沖地震」の現地調査に先立つ比較資料として私のBLOG上にアップさせていただきます。

 やや専門的な内容ではありますが、ネット上にそれぞれの地震に関する瓦屋根関連のまとまった報告書が存在していない点や、先日の「能登地震に関する報告」でかなりの反響があった点を鑑み、備忘録としての意味も持たせたいと思います。

 積雪の中、冬の復旧作業

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「瓦屋根は地震に弱い」は、正しくない!?
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-03-13

山本大成「かわら屋の雑記帳」「能登地震」瓦屋根に関する報告
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-07-17

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「平成17年福岡県西方沖地震」瓦屋根に関する報告書
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-07-27


 現地調査に行った当時の記憶を思い起こすと、3年前の「新潟県中越地震」は震源地が山間部ということもあり、大規模な地滑りや地盤の変化建物被害以前に建物の基礎が乗っている地盤の影響の大きさを思い知らされました。

 結果、そういった地域では地盤に起因する基礎や建物の被害が大半で、昭和56年の建築基準法の改正云々の問題レベルではなく、新しい建物も含めて集落や住宅地全体が壊滅的な状況となっていました。

 それ以外の地域に於いては、やはり昭和56年以前の古い建物に被害があったとの印象を持っていますが、元々瓦屋根の比率が大変多い地域で、またほとんどの被災建物は撤去が進んでいたこともあり、瓦屋根と住宅被害の関連についての調査は行うことが出来ませんでした

 3年前の中越地震は、被災後直ぐに積雪期となったこともあり調査自体を半年後の4月に行ったわけですが、立ち入り出来る地域の復旧はほとんど終わっており、結果的には現地屋根工事業者からの提供写真や、聞き取り調査が主体となっていたことを補足させていただきます。

 

PS.
 来週の「新潟県中越沖地震」現地調査についてですが、今のところ柏崎市内でも昭和56年以前の古い建物が歯抜け状に被害に遭っているとの情報を得ています。

 被災してからまだ日が浅い段階での調査でもあり、交通事情が悪く広範囲の移動調査が難しいであろう点と、被災者のことを思うとなかなか写真も撮れない状況(正直言って被災家屋の写真を撮るのはかなり辛いです)が予測されますが、被災者を増やさない事を目的とした「今後の工法開発」のためにも出来るだけ多くの実を上げたいと考えています。


「新潟中越地震報告書」 愛知県陶器瓦工業組合 技術委員会

実施日  平成17年4月22日(金)~23日(土)
出席者  篠田(泰)技術委員長、岩月総務委員長、篠田(裕)技術副委員長、碧南窯業、
白鳳瓦、山倉瓦、事務局:稲垣
〔ご協力先〕
     新潟県瓦工事業連合会 入山勝夫会長、玉木誠副会長、
     ㈱杉本ルーフ 杉本進社長、㈲佐藤瓦工場 佐藤登社長

 2004年10月23日17時56分に新潟県中越地方の深さ13kmでマグニチュード(M)6.8の地震が発生し、新潟県の川口町で最大震度7を観測した。その後、震度6弱以上を観測する余震が4回発生するなど、活発な余震活動を伴ったが、12月28日のM5.0の余震(最大震度5弱を観測)発生後は、活動が活発化した様子は見られず、今後もこの活動の低下傾向は続くものと推測されている。

 地震の調査については、発生直後より新潟県瓦工事業連合会と調整を計ってきたが(地震発生直後には、依頼によりブルーシート500枚を愛陶工より寄贈した。)、降雪の時期に入ってしまったため、雪の融けるのを待って再度調整した結果、丁度半年後の日程にて調査を行った。

 地震の状況調査としては、新潟県瓦工事業連合会より状況の聞き取りを行い震災地域の巡回視察を行った。その後、新潟県瓦工事業連合会と地震についての懇談会を行った。

 また、震災から半年後にあたるため、地震のシンポジウムが開催されており、23日にはこのシンポジウムに参加した。以下、訪問先等での主な意見内容。

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「平成17年福岡県西方沖地震」瓦屋根に関する報告書(新潟県中越沖地震現地調査-備忘録) [屋根には「瓦」]

 来週(8月1・2日)に予定している愛知県陶器瓦工業組合-技術委員会としての「新潟県中越沖地震-現地調査」に先立ち、過去の地震調査の報告書を紐解き再読してみました。

 やや専門的な内容ではありますが、ネット上にそれぞれの地震に関する瓦屋根関連のまとまった報告書が存在していない点や、先日の「能登地震に関する報告」でかなりの反響があった点を鑑み、記事として私のBLOG上にアップさせていただきます。

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「能登地震」瓦屋根に関する報告
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-07-17

山本大成 「かわら屋の雑記帳」「瓦屋根は地震に弱い」は、正しくない!?
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-03-13

 

 まず第一弾として「福岡県西部沖地震」の報告書です。

 当時の記憶を思い起こすと、震源地が海中で有った事も有り住宅の倒壊などの被害は島の一部に限られましたが、博多湾沿岸部のかなり広範囲にわたり「震度5から6弱」で揺れた事により、屋根被害(特に棟)が思いのほか多かったとの印象が有ります。

 屋根被害の特徴としては、「隅棟」や「くだり棟」の留め付けをあまり太く無い銅線により行っていた事による棟のズレ落ち(銅線が伸びた物と考えられます)が目だった印象です。

 また同一地域でも、被害の有る建物とそうで無い建物のバラツキが多く、施工業者が入り混じっている事による施工法の違いがそのまま被害の有無に直結したように感じられました。

 地元施工会社のヒアリングでは、台風の多い地域であり台風対策についてはかなりの措置が講じられているが、地震は歴史的にもほとんど無かった地域であり、あまり耐震性能を考慮していない施工店が多いかもしれないとの事でした。

 なお、以下の報告書に有る「ガイドライン工法」というのは、「全日本瓦工事業組合連合会(略称:全瓦連)」や愛知県陶器瓦工業組合も参加している「全日本陶器瓦工業組合連合会(略称:全陶連)」で、様々な実験や理論的な検証を行い普及を推し進めている地震や台風に対しても一定の強度を持った「瓦屋根の性能ガイドラインに基づく施工方法」です。

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「能登地震」瓦屋根に関する報告(新潟県中越沖地震、お見舞い申し上げます) [屋根には「瓦」]

 昨日、新潟県中越地方でまた大きな地震が起こりました。
 被災地の方々、関連の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 

 門前町支所駐車場のアスファルト

 3月25日に発生した能登半島地震の視察に「愛知県陶器瓦工業組合 技術委員会」のメンバーとして6月28日に行ってきましたので、その際の私個人としての報告を書かさせていただきます。

(最後に愛知県陶器瓦工業組合の現地調査報告書を、資料として付けさせていただいています)

 

 まず、地震発生後3ヶ月経っての視察だったのですが、被災地の視察は一言で言うと、屋根工事に於いて「どんな工法での施工で被害があったのか?」「どんな工法は大丈夫であったのか?」を明らかにする事が目的であり、被災後直ぐの視察では現地の屋根工事業者が当面の応急措置であるブルーシート掛けに忙殺されており、被災箇所の修理がある程度進んで構造的な差異が明らかになった時期でないと実効性を持たないことが、これまで数回実施された被災地の視察で明らかになっており、やや時期をおいての視察となりました。


 まず一点、この写真をご覧下さい。

 門前町支所横の鈑金屋根の物件

 今回の能登の地震でも、マスコミ報道のほとんどは「木造軸組在来工法-瓦葺き」の被災映像ばかりが紹介されていました。

 しかし現実の被災地には、このように鈑金屋根やコロニアルの屋根も家も被災しています。

 阪神大震災の場合もそうでしたし、今回の能登半島地震でもやはりこのような家は存在していました。

 

 ただしどの被災現場でも現地では圧倒的に瓦屋根の被災家屋が多いわけですが、これは前に記事に書きましたが「建物の災害強度の改善」がはかられた「昭和56年の建築基準法改正」以前の建物は現在の建物に比べ地震に対する要求強度が格段に劣り、そしてそれ以前に建てられた古い建物は結果的に「木造軸組在来工法-瓦葺き」の建物が多いために、被災家屋の多くに瓦が乗っかっていると言うことに過ぎません。

 現に阪神大震災の被災現場でも、鈑金やカラーベストで葺かれた古い建物の多くが実際に被害に遭っており、また瓦屋根でも新しい家は十分地震に耐えていて、屋根材の違いが地震による被災と直結しているかのような議論は全く無意味です。

 

 今回の能登半島地震でもこれは明らかで、建築学会などの地震に対する被害報告書群を詳細に検討しても「屋根が重いから壊れた!」などの記述は全く発見することが出来ませんでした

(そもそも能登の場合ほとんどの家の屋根が和瓦で、結果的に被災家屋の写真のほとんどが和瓦だというのは当たり前の話ですし、冒頭の写真のようにわずかしかない鈑金屋根の家でも被災しています。)

 

   阪神大震災で被災した鈑金屋根

blog山本大成 「かわら屋の雑記帳」「瓦屋根は地震に弱い」は、正しくない!?
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-03-13


 地震による災害現場の視察ポイントは、屋根業界から見て二つあります。

 一つ目のポイントは「瓦屋根であるかどうかで、被災家屋の被害に大きな違いがあるか?」と言う点で、この点につきましては前述のように「瓦屋根であることが主因となっている被災家屋はほとんど無い」と見受けられました。

 今回の現地調査は、瓦工事業者・行政情報の聞き込みと、門前町を中心に被災現場の現場調査を行ったわけですが、被災後時間が経っていることもあり倒壊・半壊家屋のほとんどは解体されていました。
 現地に残る修理可能な建物(ほとんどが外装)を見る限り、古い建物もかなり残っており、解体後の空き地の分布状況からも被災家屋が点在しているという印象であり(面として部落が丸々被災したという状況ではない)、新聞報道や先ほど紹介した「建築学会-能登地震リンク集」で紹介されている「報告書群」で書かれている「近年起こった同規模の地震に比べ、全壊・半壊した家屋の数は少なかった」という内容を裏付ける印象でした。

(壊れる家には、「開口部が広すぎる」「虫害・腐朽の進行」など、壊れる理由があったと言うことです。)


無事な建物の方が遙かに多いです(門前町から車で5分地点)

  解体後の空き地

  解体されるであろう建物

8495984.jpg 8495983.jpg 8495989.jpg 棟のブルーシート

2007年3月25日能登半島地震 - PukiWiki(建築学会-災害委員会)
http://wiki.arch.metro-u.ac.jp/saigai/index.php?2007%C7%AF3%B7%EE25%C6%FC%C7%BD%C5%D0%C8%BE%C5%E7%C3%CF%BF%CC

 



 もう一つのポイントは「瓦屋根としての被害状況はどうか?」と言う点で、これについては幾つか明らかになった点がありました。

 

 建築基準法での屋根瓦の災害に対する要求性能として書かれているのは「脱落無きこと」と言うことで、その点で今回の能登地震を点検すると、平部である「桟瓦」、両脇の妻側の「袖瓦」、軒側の「軒瓦」については、ほとんどの被災建物で全く落下やズレなどは起こっていませんでした。

 被害があったのは、棟(屋根の一番上部)のみで、それも建築基準法で言うところの「落下・脱落」はほとんど無く、のし瓦のズレと棟全体のゆがみという形での被害が大半でした。

8495985.jpg 棟の被害例

8495991.jpg のし瓦のズレ

8495981.jpg 棟の歪み+のし瓦のズレ

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夏涼しく、冬温かい「瓦屋根」(屋根材による夏季・冬期の熱環境) [屋根には「瓦」]

 前回の記事で書いた予告編の本稿第一弾「夏涼しく、冬温かい「瓦の屋根」(屋根材による夏季の熱環境)」です。

「夏季」
 

 夏の西日が当たったカラーベストの家の熱画像です。

 太陽の直射により、屋根の表面温度は70℃以上にまで上がります。

 

 そして、その屋根を裏側から見ると野地板は最高62℃の高温になり、さらには壁や柱までが輻射熱によって高温になっていることが解ります

 

 粘土瓦は、カラーベスト・コロニアルや鈑金屋根に比べ「すごしやすい家」になると言われていますが、それを実験的に明らかにする試みが過去に行われたことがあります。

 

 この実験は、夏季と冬期(主に夏季)における屋根材の違いによる熱環境の違いを明らかにすることを目的に行われていて、「銀色-和瓦」「黒色―平板瓦」「黒色―カラーベスト」を葺いた比較実験棟を屋外に並べて建て、夏季・冬期のについてそれぞれの「表面温度」「野地板裏側温度」「小屋裏空気温度」の比較検証実験でした。

(平成8年度に福岡大学の須貝研究室で行われた「屋根材仕様の違いによる冬期書きの熱環境の比較(夏涼しく冬温かい屋根材は何か?)」:日射吸収に影響のある色については、最も使用頻度の高いものを選択してあります。)

 


 実験棟としては、上記のようなものを用意しました。

 45:100の片流れの勾配屋根の上に「和瓦」「カラーベスト」「平板瓦」をそれぞれ通常の施工(野地板=12mm合板/アスファルトルーフィング22kg/m)によって施工し、さらには小屋裏換気の影響を加味すべく20mm×120mmの換気口(換気効率については最後の付表参照)を設けました。

 

 まず、夏季に直射日光が当たっている状態で表面温度のサーモグラフ画像です。

 左から「和瓦」「カラーベスト」「平板瓦」

 測定値のグラフの紹介は割愛しますが、最高温度がそれぞれ日射吸収が大きく熱容量の小さい「黒色-カラーベスト」で78.9℃、次いで「黒色―平板瓦」が76.7℃、「銀色―和瓦」では71.2℃とカラーベストと比べて7.7℃も低く優秀との結果となりました。


 次いで小屋裏側の野地板裏側の表面温度です。

 カラーベスト

 平板瓦

 和瓦

 サーモグラフの熱画像で見る限り、「黒色-カラーベスト」の温度が最も高く52.4~58.8℃、次いで「黒色―平板瓦」が45.8~53.3℃、一番温度の低い「銀色―和瓦」では43.7~48.6℃という結果となりました。

 野地板温度

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屋根材を選ぶのは、軽さではなく、30年以上家を持たせられるかどうか!!で....。 [屋根には「瓦」]

 最近TVのCMで、「屋根を選ぶことは、命を守ることです!」といったコメントが流れています。

 また、地震の度に「瓦屋根」が建物被害の一番の原因であるかのようなコメントが、ニュースを見る度伝えられます。(少なくとも映像的には、意図的に御瓦屋根の倒壊住宅を写しているように思われてなりません)

 

 地震による古い建物の倒壊は瓦屋根の責任ではなく、耐震に関する要求仕様の古い建築基準法の昭和56年以前に建てられたものが倒壊していて、その頃の建物のほとんどは木造軸組+瓦屋根の在来工法によって建てられていたと言うことに過ぎない旨の記事を、前に書かせていただきました。

(現在の建築基準法で建てられている家では、耐震性能は全く問題が無く、瓦葺きにすることによる構造部分を含むのコストへの影響も、実はそれほど大きくありません。:10年くらいで塗り替えなどのメンテナンスがフリーな瓦の方がむしろ安くなります。)

 

 阪神大震災 壊れた高速道路脇の無事な瓦屋根

blog山本大成 「かわら屋の雑記帳」「瓦屋根は地震に弱い」は、正しくない!?
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-03-13
(鈑金や石綿スレート葺きの倒壊家屋や、震源地付近で有るにもかかわらず無事な瓦葺き建物も写真で何点か紹介してあります)

 

 
阪神大震災 壊れた軽い屋根材の家

 

 屋根材を選ぶと言うことに「耐震性能」ばかりが注目を集めていますが、鈑金やスレートのような薄型のいわゆる「軽い屋根材」には、あまり知られてはいませんが「家を守る」という意味で大きな欠陥を持っています。

 

 住宅については様々な見方や評価方法があろうかと思いますが、住宅の三大要素を一言で書くと

「安定した建築物を建てるための前提条件である『基礎』『地盤』」
「地震や強風等の外力に耐え得る『構造』」
「四季の環境変化から家本体を守る『屋根』『外装』」

の三点に集約されると言うことに、誰も異論はないと思います。

 

 つまりは屋根に対する要求仕様のナンバーワンは、「気候の変動から家を守る」ということであり、この性能が確保されていない屋根材では、いくら軽くとも「屋根材としての適応性」がないことになります。

  スレートを剥がすと長年の結露で野地板やルーフィングも腐ってヨレヨレ

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江戸の大火と「三州瓦」 [屋根には「瓦」]

 最近趣が変わりつつはありますが、日本の代表的な街の佇(たたず)まいということになると、多くの方が瓦屋根のある風景を上げられることだと思います。

  旧中山道 馬篭宿
妻籠宿保存地区HPより
http://www.mizumidori.jp/minka/045.htm

 

 安土桃山から江戸時代にかけての瓦は、社寺仏閣や城でこそ使われていたものの、一般の町屋はこけら葺き(板葺き)や茅葺き・檜皮葺き(ひえだ葺き:檜の樹皮)が主流でほとんど使われることの無かった屋根材だったようです。

 また、生産においてもそれぞれの有力な社寺が、それぞれ宮大工を抱えていたように瓦大工を抱えていて、一般に出回るための生産者もいなかったと聞いています。

 

 流れが大きく変わった、歴史的なエポックメーキングが二点あります。

 一つは、「桟瓦」の発明です。

 それまでの瓦は「本瓦葺き」と言って、「平瓦(ひらがわら)」と「丸瓦(まるがわら)」と呼ばれる大小2種類の円筒状になった瓦を上下に組み合わせて葺いたもので、重量がかさみ建物本体の構造がよほどしっかりしていなければ採用しづらかった事と、施工に手間もかかり使いづらい瓦でした。(現在でも社寺仏閣で使われています)

  本瓦葺き(写真:道上正製瓦所HPより)

 1674年(延宝2年)、近江三井寺の用を努めていた西村半兵衛が「平瓦」と「丸瓦」を合わせて一枚とした「桟瓦」を発明しました。

 「桟瓦」は、軽いだけでなく、製造や施工のコストも抑えることができ一般家屋への瓦屋根の普及に大きな力となり現在の和瓦の原型ともなっています。(当時の現物が今に伝わっていないのが本当に残念です)

  桟瓦葺き (写真:道上正製瓦所HPより)

 

 そしてもう一つは、度重なる「江戸の大火」

 1657年(明暦3年)江戸に、いわゆる「振り袖火事」と呼ばれる大火が起こります。

 この火事は死傷者10万人を超え江戸城も一部を除いて焼失、江戸の街の過半を焼き尽くしました。

 しかし幕府はこの大火の教訓として、「消火の際に瓦が落ちて危険」だとの理由で家屋敷には既に瓦屋根が普及していたのにも係わらず、大名に対しても「土蔵以外の建物の瓦葺き禁止令」を打ち出します。
(耐火建材である「瓦」を禁止するなんて、私はおかしな禁止令だと思いますが、皆さんはどう思われますか?)

 

 やはりおかしな政令だと気がついたようで、60年後の8代将軍吉宗のときに「火災防止のために瓦葺きを許可して欲しい」という目安箱の投書を切っ掛けに禁令が解かれ、そればかりかこれを機に防火対策のために江戸の町屋での瓦屋根を奨励するようになったそうです。(1720年:享保5年。建物を防火構造として、土蔵造り・塗屋・瓦屋根の普及などの政令が出ました。)

 この政策の実施にあたったのは、江戸南町奉行の大岡越前守忠相で、他にも江戸町火消しいろは45組の設置とか、耐火対策に様々な施策が採用されています。

 また、1792年(寛政4年)には、「焼け跡に建てる建物は瓦屋根以外を禁じる」などの政令も出て、以後瓦屋根しか認めなくなりました。

  他の城下町での経緯はよく解りませんが、これとよく似た経緯を経て、今に残る瓦屋根の街並みが全国の津々浦々で作られていったものだと思われます。


 

 

  瓦の生産に関しては、元々瓦は重量物で運搬に適していないことから、その土地に産出する粘土を使い、全国各地で瓦は焼かれてきました。

 たとえば、鬼嫁の元の実家(今は米子市ですが、元々は島根県安来市)でも100年ほどさかのぼると瓦を焼いていたと顔合わせの際に話していただきました。

 また、今も営業していらっしゃる屋根工事店の中には、昔瓦を製造していらっしゃった方達も結構多く、北は酒田や気仙沼から南は沖縄まで、弊社の客先にもそんな方が何人かいらっしゃいます。

 

 歴史小説にも時々 瓦が登場し、司馬遼太郎の「菜の花の沖」によると、かの高田屋嘉兵衛が最初に船に乗ったのは淡路で焼いた瓦を京阪神に送る「瓦船」だったり、全国各地の城下町に「瓦町」という地名があるのは耐火建築を増やそうと瓦職人を城下に集めた領主の意図が、今も地名という形で痕跡を残していたりします。

 

 江戸にも、昔は柳島二丁目と浅草二丁目あたりに瓦町があったそうで、池波正太郎氏の小説「剣客商売」の「辻斬り」の編に「中ノ郷・横川町は法恩寺の対岸の、横川の流れに沿った西河岸になっている。 このあたり、古くは武州・葛飾郡・中ノ郷村とよばれていたが、貞享年間に幕府が江戸市中の内として、代地をあたえたものである。 むかしはいちめんの田地だったそうであるが、地所が低いため出水が多く、このため横川べりに土手を築き、瓦焼きの職人たちの家や瓦置き場が密集していた。」との記述もあるようです。

 「昔の江戸切り絵図」・「江戸砂子」(菊岡沾涼)・「江戸名所図会(天保五~七)」の巻の六の「長昌寺」・「文政町方書上」などに、痕跡が残っています。(詳しくは下記のHPを参照下さい)

瓦の歴史-加藤瓦店HPより
http://homepage3.nifty.com/Kato/Hi/Histry.html


 ただし、当時の大都市であった江戸の瓦をこれだけでまかなうことが出来ず、深谷や藤岡・児玉から陸便、私の住む三州-高浜から船便で送られて需要に応えていたようです。

 

 当時海運が盛んだった様子が、私の地元高浜ー春日神社の絵馬に残されています。

春日神社の船絵馬-鬼みちものがたり(鬼道案内人の会HPより)
http://onimichi.fc2web.com/oyama/6ema.html

鬼みちものがたり
http://onimichi.fc2web.com/michi/top.html

 

 現在は瓦製造業の業態が変わり、有利な条件を持った産地への集約化の結果「三州瓦」の全国シェアが60%を超えるまでになりましたが、その源泉は大消費地である江戸(その後の東京)の需要に応えるための工業化への取り組みと、船による大量輸送が可能な良港に恵まれたこと、そして良質な粘土が比較的浅い地層で大量に産出したことであったような気がします。

 

横浜-みなとみらい地区「赤レンガ倉庫」:実は「和瓦」です。

 


 瓦伝来以来、千数百年にわたる先人の努力と、粘土・良港に恵まれた地の利に、三州瓦に連なる者の一人として「感謝」

 

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甍(いらか)の波と、鯉のぼり♪(唱歌・日本の文化・瓦屋根) [屋根には「瓦」]

 ご存じ小学唱歌「こいのぼり」、「屋根より高い鯉のぼり。大きい真鯉はおとうさんーー」

 文部省唱歌の「鯉のぼり」、「甍(いらか)の波と雲の波。重なる波の中空(なかぞら)にーー」

 鯉のぼりの歌は、いずれも屋根や瓦(甍)と共に歌われてきました

 

 

(一応、甍の波と鯉のぼりなのですが、我が家は出荷できない等外品の瓦で葺いたので瓦屋の屋根としては恥ずかしい限りです)

 我が家でも昨年の長男の初節句から鯉のぼりをあげるようになりましたが、昔そこかしこに立っていた「鯉のぼり」のイメージを持って改めて隣近所を探すと、少子化の影響があるのか?近所で見る「鯉のぼり」の数の少なさに驚きました。

 また、住宅事情によるものなのでしょうが、アパートやマンションからのベランダ鯉はまだ見られるのですが、これも数が少なくなってきているように感じます。

 幸いに我が家は、鬼嫁の実家より鯉のぼりをいただくことが出来(我が家はビンボーなので自力では買えません)何とか面目を施すことが出来てはいますが、ふと寂しい思いに駆られることがあります。

 (鯉のぼりを上げずに、鎧甲などの内飾りで住ませる家が増えたためもあるのでしょうか?:我が家で義父からリクエストを聞かれた際に、内飾りは無しでも良いので「鯉のぼり」が欲しいと伝えた結果、「鯉のぼり」&「武者のぼり」でいく事に決めました。:武者のぼりは、私の実父からの贈り物です。)

 

 また、詩に歌われた「甍(いらか)の屋根」も減ってしまいました。

 うちでは「三州陶器瓦(和瓦)」を作っているのですが、平板瓦を含めた「三州瓦」全体としては出荷を伸ばしているのですが、和瓦の生産量は10年前の半分以下に激減しています。

文部省唱歌:「鯉のぼり」

1 甍(いらか)の波と 雲の波
  重なる波の 中空(なかぞら)を
  橘(たちばな)かおる 朝風に
  高く泳ぐや 鯉のぼり

2 開ける広き 其(そ)の口に
  舟をも呑(の)まん 様(さま)見えて
  ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には
  物に動ぜぬ 姿あり

 

3 百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
  忽(たちま)ち龍に なりぬべき
  わが身に似よや 男子(おのこご)と
  空に躍(おど)るや 鯉のぼり

 ベランダ鯉の普及で、「屋根より高い鯉のぼり」も「重なる波の中空に泳ぐ鯉のぼり」も消え、戸建て住宅の減少で、甍の屋根すら消え去ろうとしています。

 

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「瓦屋根は地震に弱い」は、正しくない!?(阪神大震災) [屋根には「瓦」]

 「瓦屋根は地震に弱い?」と一般的には考えられているようですが、建物の築年度による要求仕様の変遷が本質的な要因であり、「瓦屋根だから地震に弱い」というのは正しくはありません。

  阪神大震災の被災地(神戸市灘区)

 前の記事で書いたE-ディフェンスでの木造家屋の倒壊実験の記事を見て、ショックを受けられた方もあろうか思います。

 また同時に、阪神大震災の際TVで繰り返し流されてきた、木造家屋(瓦屋根)の倒壊映像を思い起こされた方もいらっしゃったのではないかと思います。

 E-ディフェンスでの耐震実験

山本大成 「かわら屋の雑記帳」地震で家が壊れる様を見てきました(E-ディフェンスE-ディフェンス耐震実験、そして瓦屋根)3/10追記有り
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-03-08


 ここであえて言いますが、これらを見ておそらく皆さん方が思われている「瓦屋根だから地震で倒壊した」という認識は間違っています

 

 阪神大震災の被災現場には私も1ヶ月後に行きましたが、瓦葺き木造建築だけではなく、鉄筋コンクリートのビルや家屋、薄型スレートで葺かれた家もすべて等しく被害に遭っています

(斜めになった高層マンションや、ワンフロアが丸々つぶれた鉄筋の建物、鉄筋コンクリートの高速道路も同時に見ていらっしゃるはずです)

 
 手前の建物は倒壊。奥の家は無事に見えますが、左のビルは傾いています(神戸市中央区)

(何故、瓦屋根が地震に弱いという一般の認識になったかというと当時の築年数の古い家屋のほとんどが、木造在来工法瓦葺きであり、それが繰り返し映像で流れたからそんな印象になったに過ぎません。)

 
 瓦に見えるかもしれませんが化粧スレート波形の屋根です(芦屋市)

 それならば何故古い建物が被災にあったか?というと、建築基準法の耐震基準の変遷によるもので、建築基準法改正の年度を追うとよく解ります

 建築基準法は数次の地震での被災状況に合わせて、幾度も改正が行われていて特に昭和56年以前とそれ以降では大きく内容が異なります。

昭和56年以前の建物は「旧耐震基準」と言われる建築基準で建てられていて、接合部の金物がなかったり、現行の耐震基準では耐震力の低い「木ずり壁」で作られていたり、「筋交いが少ない」建物が多く見られ、なおかつ老朽化も進んでいます。

 これらが、震度7の地震にあって被災したわけであり、その時期の建物の大半が「木造在来工法瓦葺き」であったから、映像的にTVで多く流れたに過ぎません。

鉄筋コンクリート建物についても同様の基準でしたから被災しましたし、軽い屋根の被災建物もいくつも有ったことを確認していますし。瓦屋根でも被災を免れた建物もいくつもありました。)

 
 崩壊した高速道路際の、無傷な住宅(神戸市長田区)

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地震で家が壊れる様を見てきました(E-ディフェンス耐震実験、そして瓦屋根)3/10追記有り [屋根には「瓦」]

 先週の水曜日兵庫県三木市にある、独立行政法人防災科学技術研究所 兵庫耐震工学研究センターの実験施設「E-ディフェンス:実大三次元振動破壊実験施設」で、木造家屋の地震による破壊実験を見てきました。

 (これが壊れた状態です)

 E-ディフェンスは、一般的な日本の戸建住宅のほか、鉄筋コンクリート造4階建て程度の実物の建物の震動破壊実験を行うことができる世界最大の実験施設です。

E-ディフェンス – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/E-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9

E-Defense  Home
http://www.bosai.go.jp/hyogo/index.html


 2年前にも同様の実験があり、木造2階建ての既存の建物を移築し、一棟はそのまま、もう一棟は耐震補強を行った状態で、阪神大震災時に震源に近くのJR鷹取駅で観測された実際の地震波で加震し、耐震補強の有効性を実証しました。

 2年前の実験)

E-Defense  Report(その際の報告書が上部「こちらをごらんください」からリンク)
http://www.bosai.go.jp/hyogo/live/live-wood.html

 

 その際の実験で耐震補強の有効性は実証されたのですが、今回の実験では耐震補強を完璧に行うことは、予算面でも施工性の面でもなかなか行われにくい現況を鑑み、不十分な耐震補強で地盤などの影響も加味した上で、どんな被害が実際に起こり得るか?を実証するために行われました。

 右が既存工法の建物(但し新築で再現したものです)、左が実際の周囲地盤を発泡スチロールを用いて再現(比較的地盤の悪い地域を想定)した上に基礎を施工し、右と同じ建物に不十分な耐震補強(壁の耐震化はしたが接合部が簡易なものになっている)を加えたものです。

 

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あなたは、『かわら』と言う漢字が書けますか?(屋根材って?) [屋根には「瓦」]

 弊社は社名に「かわら」という字が使ってあります

 いつも領収書の宛名を書いてもらうときに困るのが、この「かわら」という漢字

 よく間違えられるのが「互」、そのほかにも「亙」なんかが書かれることも良くあります。

 ほとんどの場合、途中まで書いて「かわら」ってどんな字でしたか?と聞かれます。

 そこで、私が別の紙に「かわら」の字を書いても、多くの人はハネるところやはね方を間違えたり、ニ画を一画に書いたりしてそれでも間違えて書く人が結構多くいます。

 誰でも中途半端に知っている簡単な漢字だけに、自分が「かわら」の字が書けないことを知り、ほとんどの方はとまどった顔をされます。

 「あなたは『かわら』と言う字が書けますか?」

(出来れば「続きを読む」をクリックする前に紙と鉛筆で実際に書いてみてください)
 

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屋根工事業の後継者 [屋根には「瓦」]

 BLOGの更新遅れ気味で面目有りません。
 先々週の出張の余波で、パソコンの前になかなか座ることが出来ずにいました。

 さて、愛知県は日本の瓦の6割を生産している巨大産地なのですが、その愛知に『愛知県瓦高等職業訓練校』(以下、屋根学校と書きます)という高等職業訓練校があります。

 ここは、屋根工事職人を養成する場で、全国の屋根工事業者の主に2代目・3代目が、愛知県の屋根工事業者のもとで実務経験を積みながら、週の半分通い、技能を学ぶための学校です。


愛知県瓦高等職業訓練校
http://www15.ocn.ne.jp/~kawara/

 8月の終わりに東北のある地方へ出張していて、職人さんから相談を受けたのは、長男が来年の3月に高校を卒業するので屋根学校に入れたいから、よろしく案配して欲しいという物でした。

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涼しい家と「瓦屋根」 [屋根には「瓦」]

 長かった梅雨も明け、いよいよ夏本番がやってきました。

 あまりの暑さに辟易とし、思わず初の業界ネタにチャレンジします。


 
 今では夏になると、どこの家もエアコンをかけ涼を取っています。

 20年ほど前、今ほどエアコンの普及していなかった頃の家は夏でもそんなに暑くなかったような記憶がありますが、皆さんはいかがでしょう?

 最近まで私も、体がエアコンに慣れたために、同じ室温でも暑く感じるようになったのだと思っていました。(多少は異常気象のせいもあるのかな?という感じです)
 
 先日、暑い日にお客様の自宅に伺い、驚きました!

外気温は35度有るにもかかわらず、エアコンも扇風機も何もないのに関わらずイメージしているよりはるかに涼しいではありませんか....。

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